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忘れられない一言

なるほどという感想です。

アスリートとしてのプロを目指す過程において、その仕事が嫌になったりすることは、他の仕事と同じくあると思いますし、私は肯定します。

しかしながら、自分にとって最適で合理的な判断が出来ない人がいるなら、それを環境によって強制して継続させ、その人から楽しみを奪うことはあってはならないと思います。

また、そういった経験によって「下手なことは恥ずかしい」「下手くそは来るな」「どうせ下手だし」というルサンチマンを生み、「上手い人ばかりだから行きたくない」といったアレルギーも生むわけで、体育教育という方向は正しくもそのプロセスには間違いが多いのではないでしょうか。

日本のスポーツに対するアレルギーは部活的体育教育の歪みと間違った指導から生まれるのは確かでしょう。

ゆえ、アスリート養成という意味でのクラブ活動ならば、厳しさもまた必要で、結果として故障を生むことも一定の範囲ではあり得るかと思います。ただ、その指導方法が現状で良いのかということで言えば、それを肯定するものではありません。
オリンピックが商業的だという批判もありますが、プロスポーツはスポーツビジネスなので、スポーツを楽しむという意味においては競技性と相反するものなのではないかと思います。レースでもありますけど、楽しみたいならレースをやめればいいわけで。部活の中での環境の問題は常々あることでしょうね。だから、私は中高で部活に入りませんでした。そこで自転車に乗っていました。もし、部活と自転車がリンクしたら、競技者になっていて、そのスポーツが嫌いになっていたかも知れません。

私が忘れないのは、Jリーグ開幕当時、高校で体育の授業中にその話、例えばどこが強いとか弱いとか、楽しみだという意味での内容ですが、それを横で聞いていた、勉強はそこそこできるけどあらっぽい性格でサッカー部に所属していたEK戸くんは

「お前みたいなサッカー知らないやつが話してんじゃねーよ、うるせーな。どうせわかってねーんだよ。知ったかぶりすんじゃねー。」

と言ったことですね。これは記憶から消えません。彼の顔をまだ思い出せるレベルです。

なお、私は中学でサッカー部に入ったのですが、彼らが荒っぽいのと、大した実力もないクセに(笑)育成環境として稚拙だったので、辞めました。

その後、遊びだった自転車で偶然に仲間に恵まれ、自分なりには相当きついこともやってきました。自分なりに、スポーツに打ち込むことができる時間を30歳を過ぎてから作れたというのは良かったと思っています。それは部活からは生まれないでしょうけれど、競技者育成はそれとして正しく行われるべきだとは思います。



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