復刻版「よせあつめ瓦版・ランダム」その3(94.6.1~6.30)
1994年6月5日(日)
NHK衛星第一で、「ザ・ロンゲストディー・ノルマンディー作戦50周年」を見る。
ノルマンディーのドイツ兵の墓地で、アメリカの観光客(元兵士)が墓石を土足で踏みにじっていた。逆に、ドイツの現役の部隊が一年に一度、墓石を手洗いしている場面もあった。後日、この場面に対して様々な意見があったようだが、考えさせられる事が多く、ドイツの戦争責任・補償の基本方針の原点を見たような気がした。
1994年6月9日(金)
NHK衛星第二で、「フォーク大全集」。今回のゲストは、「五つの赤い風船」の西岡たかしということで、楽しみにしていた。当時のライヴにも感動したが、スタジオでのライヴには、まいってしまった。「遠い世界に」はこれから新曲として発表しても、かなりのセールスになるのではないだろうか。
遠州文化連盟の機関紙「はぴねす」7月号に細坪基佳氏が、今年、日比谷野外音楽堂での南こうせつコンサートへのゲストで出演していた西岡たかしの印象について、次のように書いていた。
僕は西岡さんの歌唱指導に声を合わせた。大声で唄った。僕はプロになるなんて考えもしなかった高校生のフォーク少年の頃にタイムスリップしている。‥あの頃の僕は、何も始まっていなかったから、世の中に対しても『いつも悲しい』気持ちなんて抱いてなかったし、『力を合わせて生きる事』を忘れる程の体験もなかった。ただ、『遠い世界に旅に出ようか‥‥』の一行に憧れを感じていただけだ。
同じ表現で感想を伝えたかったので、ここに無断掲載させていただいた。
1994年6月12日(日)
「蒲郡落語を聴く会」第105回で、春風亭正朝師を聴く。
故柳朝師の愛弟子の一人で、二つ目時代より「連続五夜」と銘打った、毎晩三席の独演会を開催するなど、並々ならぬ努力型の噺家の一人だと言えるだろう。古典落語は、はたして古典になってしまうのか、という非常に難しいテーマがある。噺家と観客が同じ空間に居て、同じ感性で受け答えできるならば、常に「今」が存在していて続いていくのである。この「今」を共有できる噺家の一人として正朝師を推薦しておきます。
さて、当日のプログラムで、三河地方の寄席として「本果寺寄席」と私が紹介された。何と、遠州地方の落語会の他、映画、音楽、書籍、グルメと、まさに歩く情報誌。いえいえ、「町内の生き地獄」でございます。
ごめんなさい。当日の演目は、「悋気の火の玉」「宗論」「祇園祭」の三席でした。
1994年6月18日(土)
浜松・宝塚劇場で「とられてたまるか!?」を観る。
武田鉄矢・明石家さんま・田中美佐子という顔ぶれならば、もっと話題になって観客が多くて当たり前なのに、なぜ少なかったのか。アメリカ映画のように、マイホームを守るために機関銃やバズーカ砲を登場させることはできないので、要塞化といっても自ら限度はあるわけで、これはこれでうまく描いていると思った。
後日、この映画の原作を読んだが(斉藤ひろし著・扶桑社文庫)、原作のほうが数十倍おもしろかった。日本映画には、映画倫理規定とかいう具体的には誰も説明できないし、理解できない内部規定があって、最後は必ず勧善懲悪にしなければならない作り方があるように感じている。かなり前の映画で「蘇る金狼」などの大藪作品があった。殆どのラストでは、主人公(悪のヒーロー)を自殺させたり、利益を手にすることができなくさせたり、原作とはかなり変えていた。
いいかげんに、原作を大切にしないと誰も原作を書かないし、提供しない時代になりますよ。
1994年6月19日(日)
豊橋駅前文化ホールで、豊橋三愛寄席の第116回例会「林家染八独演会」。
演目は、「禁酒番屋」「時うどん」「三十石」の三席で、約1時間半の熱演であった。前の二席が受けすぎて「三十石」は、休憩後でも少ししんどかったように感じた。
昭和59年に亡くなった林家小染師の唯一の弟子で、現四代目の預かり弟子となったが、今や、スケールの大きな噺家になってきたといえよう。
この豊橋三愛寄席では、東京七割、上方三割といった比率で東西の落語を聴くことができる。上方落語や関西が大好きな私にとっては、県境に暮らしているメリットであると思っている。
1994年6月20日(月)
昨日録画しておいた、NHK教育テレビ「芸術劇場」で、マルセ太郎の「泥の河」を観る。
マルセ太郎のひとり芸である「スクリーンのない映画館」の代表作とされている、この作品は生で観たことはなく、さすがにコマーシャルも無く(当たり前だけど)、カメラアングルも勝手に移動させないで、ありのままの舞台を伝えてくれた事に感謝する。
以前、ある映画関係のレポート記事で、近い将来、日本の映画館は増えていく。ただし、150~300キャパの小さなホールで、本当に観たい有料の観客相手の商売になっていく。という概略だったように記憶している。これは、落語でも演劇でも、コンサートでも共通していえることで、一年に一回や二回のスポンサー絡みのイベントならともかく、毎日、定価又は前売り料金で入場してくれる観客相手、それも生で観客と向かい合っていけるのは、この
位の観客数だろうと思う。何千人、何万人キャパのホールも税金が元になって建てられ、使用料収入だけではペーできていないのだから、小さなホールで、もっともっと上演できる自由さがあっていいと思う。
1994年6月23日(木)
浜松福祉会館で、黒テントの94年初夏興行「窓際のセロ弾きのゴーシュ」を観る。
ご存じ、宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を山本清多が、都会の元レコード針の事務所での一晩に書き換えた作品である。全編を通してのピアノ演奏に大阪音楽大学講師の住友郁治氏を迎えての音楽は大変すばらしく、又、いつもの斎藤晴彦のオペレッタも素晴らしい出来であったと思う。
テント芝居で来浜していた頃からのファンなので、この芝居も300席位のキャパの会場で観れたら最高だったのにと思っている。56万都市といっても、観客の大半は郡部や他都市から来ている事をホール・行政側は理解して、大ホールだけに目を向けないでいただきたい。
1994年6月24日(金)
新居町・本果寺での「第5回馬琴の話芸を楽しむ会」。
ご住職のお友達である宝井馬琴師の年一回の会で、毎年楽しみにしている方が増えてきた。学生時代、古本屋で手に入れた安藤鶴夫の寄席関係の著書で、寄席なんてみのは学生さんたちが来る所じゃなくて、今でいう中高年が通う所であり、講談席に至っては、ご老人の溜まり場でしかなかった。と書いてあった。いい悪いはともかく、これからの高齢化社会を真剣に考えると、テレビ以外の生の場所が必要になってくると思う。
私個人は、地の説明が多い講談よりは、地を省略して現在の形になっている落語の方が、お客さんとのキャッチボールが変化球になるようで、好きである。
インフォメーション
8月3日~9日、浜松松菱百貨店で「遠州・駿河・三河・南信濃の大職人展」が開かれる。
寄席文字の橘右太治師(蒲郡在住)の実演(3日・6日・7日)即売があります。
第2回ベルギー・日本現代版画交流展が、8月9日~28日、クリエート浜松で開催されます。チケットは400円で、前売り中。
この交流展は、寄席あつめの会の協力者のお一人、版画家の鈴木修一氏のプロデュースによるものです。