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「モノンクル」伊丹さんとの出会い


時間が少し前後する。

大学1年のときに、早稲田大学の広告研究会に会友として入れてもらった。

当時はコピーライターが人気を集めていた。

わたしもちらっと、なりたいな、と思った。

東京女子大には広告研究会がなく、早稲田にいった高校の同級生に紹介を頼んだのだ。


2年になったころ、新しい部長がミニコミ誌を作ろうという。

わたしと、わたしと生年月日が同じの1年生の男の子が手を挙げた。

映画と本と音楽のレビュー誌で、タイトルは「FULLHOUSE」に決まる。

コピー用紙にわたしが原稿をペンで清書して版下を作り、部長が生協でコピーしてきて製本。

早稲田の生協と、広告研究会同士でつきあいのある法政大学や専修大学の生協にも置いてもらった。


2冊出したところで敏腕部長がスポンサーを見つけてきて、活版印刷になり、大久保のアパートの一室に編集部もできた。

他大学の子がどんどん集まってきて、編集長も変わる。

わたしは編集からは離れて投稿だけするようになった。


大学3年の夏だった。

伊丹十三さんが「モノンクル」という精神分析をテーマにした月刊誌を創刊する。

そのニュースを聞きつけた編集長が、わたしにインタビューを依頼してきた。

伊丹さんと「モノンクル」の了承は取れているという。

カメラマンと伊丹さんのファンである男子部員と三人でいくことになった。


渋谷の道玄坂のシックなマンションの一室で、伊丹さんはTシャツにアイロンプリントをしているところだった。

冷たいなにか凝ったお茶を出してくれ、ポットにあるから「あとは適宜に」とおっしゃる。

「適宜に」が伊丹さんらしい、とまず感激してしまった。


「モノンクル」はフランス語で「ぼくのおじさん」という意味であること、おじさんのように自由で知識と経験があって頼りになる雑誌を目指したいということ、精神分析のすばらしさをたくさんの人に知ってもらいたいこと…

伊丹さんはわかりやすく説明してくださった。

カメラマンもファンの男子も興奮のなかにも満足して編集室を辞した。


帰りに東急ハンズのそばにある「Factory」という喫茶店でお茶を飲んで「面白かったね」と話したのを覚えている。

伊丹さんがアイロンプリントを買ったのも東急ハンズだったとか。


インタビューは録音をとっていた。

男子部員がすべてを起こしてくれて、それを整える程度だったので原稿は楽だった。

あのころのミニコミ誌はどこもインタビュー記事が長い。

まとめるのではなくて、聞いたことはぜんぶ載せたいのが後のオタク的需要だったのだろう。


原稿より先に、わたしは伊丹さんに個人的に手紙を書いていた。

わたしは当時、心に悩みを抱えていた。

「モノンクル」伊丹さんに相談したら解決できるかも。

その一心で一晩で書き上げた。


数日後、家に電話が掛かってきた。

出たのは母だった。

「伊丹さんよ」

知り合いかのようにさらっと取り次いだのは、さすがわたしの母というべきか。


この項つづく。


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