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小3年にも分かる文を書いて, 分かり易さの罠に落ちる.

デジタル化を推進して行きましょうと謳っているわりに, DX関連の言葉が何一つ受け取られない現場感で困っている. 恐らく何処の行政でも起きているのだろう. 

いやぁ, 参った. 分かりやすい言葉や具体化するのは分かるのだけれど, その分かり易さは想像力を狭める. コンテクストや言葉が捉える幅の問題を疎かにしてしまう. (僕はデジタルの専門家ではない.)

個人的には, 「さぁカタカナを小学3年生にもわかるようにしよう。」キャンペーンとしては非常に深い学びになるのだけど.

上司好みの自己目標を設定させられる人達はどれほどいるのだろう. その言葉をわからないといい, 本質的課題から出てきた言葉を横に置かれるこの違和感をあと何回感じるのだろう. 

そんなことを考えながら, それでもなお咀嚼して伝えられるように尽くす. 翻訳する. それが一種のタスクだ. 横文字大好きおじさんの目的不明なガジェットとしてのデジタル化はどうでもいい.

現場の肌触りと, 生きやすい社会へ...

アウトプットを繰り返して生きているのが常だと, 耳障りの良い部分だけを切り取られる. 何言っているか分からないと言われることには馴れたし, note書いて実演して物作ってもダメならどうしようかな. まぁいいか.




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