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質量、時空間、ふれあい。

社会資源と遊びの関係性。年齢断層を跨ぎ得る文化の享受について前に読んだ小論を共に思い出したことを書いておく。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/hcs/2020/30/2020_233/_pdf/-char/ja

時空間の交流がキーなのは、人間がおそらく感動を共有し合いたいのが生身の人間であり脳の中で経験した自我の擦り合わせと愛着所以だろうと思っている。関連論文探さねば。

児童健全事業とか地域福祉の観点でいう「ふれあい」系の進化ってなんだろうとよく考えるのだけれど、見世物の出し合いだと紅白歌合戦をテレビで見ながら「最近はこんなのが流行ってるんだねぇ。」と「経年劣化した人たちはこんなのが好きなんだね。」のお茶の間談義で終わってしまいがち。いや、それがやりたいならいいんだけど。

でも例えば、学校が単なる「教科を学ぶ場所」だけではないように、異なる時空間を生きた人同士による“生きた、あるいは生きていた記憶の共進化”に意味的な何かがあるのでは?と思ったり。


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