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地鳴らしを理解しようとすると踏まれる世界観で。

とある空間を彫刻していた時に思っていたことをつらつらと書き連ねておこうと思う。キーは完結されている情報を扱う知能と速度だ。

今やアイデアはデジタル空間上にも物理的にもあちこちに落ちていて情報の海に潜水してしまえば何かしら“見つかって”しまう。見極める感覚は多少あれど、例えばそれはググる力の話にも通ずるところだと思っている。

凡そ完結された、完成されたと見込める誰かが作った物からヒントを永遠に得られてしまうような加速的な世界観の中で「0から考えるんだ!」根性もなかなか味わい深いな生き方だなって思うけれどそのスピード感だと代替可能どころか機会が過ぎ去ってしまう。

ところで一方から見てみると、完結されたものに直接触れて消費するだけでは人間性が腐敗して生きがちだと思うのだけれど例えば料理を作る過程の中で自然界と共存の仕方を覚え実感し手間暇を通すことでしか味わえない人間性へ回帰していけると現場で思い知る。

さて話を戻す。

とどのつまり単なる自動化でなく、生活圏に加速的に自然発火の如く生産され続ける世界観に差し掛かっていく時その速度には追いつけないのでどうやって共存していくかがキモになっていくと僕は思っている。

誰でも創れてしまう時代の中で、誰でも創れるものを作るなら高度に発達した計算機自然においてはChatGPTと見分けがつかないというか人間の中にAIを埋め込んだようなものだ。だから感動が必要なんだ、祝福できるかどうかが。


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