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みんな、そんなに「分かり合いたい」のか?

「自分をさらけ出すことができないやつは本当に人と分かり合うことはできない」「お前は他人との間に壁を作っている」という言葉に苦しめられた時期もありましたが、「壁を作りたいならそれでいいよ。壁越しに話をしよう」と言ってくれる人とつきあえばいいのだとわかりました。おそすぎました。
篠田くらげ@samayoikurage
「もっとわかりあおうぜ!!」と言って勝手にどんどん距離を詰めるのをコミュ力だと思って自分はすごいと認識している人もたくさんいますけど、私が考えるコミュニケーションは、相手が「それ以上近づかないで」と言ったとき「わかった」と言えることです。
篠田くらげ@samayoikurage

これ、ほんとにそうですよね。
何でもかんでも曝け出せばいいってもんじゃないと思うし、正直私には無理です。いろいろ言えないことだってあるし、「言えない」というよりは「他人に理解してほしいと思わない」という部分だってある。

いま時代は「相互理解」のオンパレード。
自分も曝け出せ、相手も曝け出せ、そうすればお互い「分かり合えるはず」、という呪縛に取り憑かれちゃいませんかね。

相互理解の一番大切なポイントって、「人は絶対に分かり合えない」ということを悟る、この一点に尽きると思うのです。

だって。自分自身でさえ自分のこと分からないのに、他人に分かってもらえるなんて自惚れにもほどがあるでしょう。
これが行き過ぎると、「どうして◎◎さんは私のことを理解してくれないの!」になっちゃうわけで。

結果的に「世界は自分を見放している。死にたい」になっちゃう。
「死にたい」だけならまだしも、「そんな皆を道連れにしてやる!」思考に飛躍してしまう。

壁越しにのんびり話し合おうよ。
それくらいの理解度で、たくさんの人と繋がり合う方が大事じゃない?

ついでに。
人間って言うのは、「自分の知能以下のことしか理解できない」という言葉もあって。
人間というのは悲しいことに、自分より高尚な人の考えはどうあがいても理解できないようになっている、と説いた作品があるのですが、私はその言葉を人生の指針のひとつにしています。
他人のことを理解できないのは、相手の考え方が間違っているのではなく、自分の知能が足りてないだけ。そう思うと楽になる世界がまた増えます。

なんだか最近そういうニュースが多くて悲しくなっちゃうんですよね…。

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