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「恥」を教え込む日本では「やりたいこと」なんか見つかるはずない

■「恥」を教え込む日本人

先日、大好きな神絵師さんがとあるツイートをなさっていた。
当該ツイートは消されてしまっているのだけど、簡単に言うと「子供の頃に母親から『あんたの絵はうまくもなんともないからね』と言われたのが今も胸に刺さっている」というもの。でも、毒親というわけでもなく、ごく普通に親子関係は良好。なのにそんなことを言われた。解せない。という内容。

私はTwitterアカウントを消してるので、見ることはできても何かリプライを送ることができなくて、ただただ眺めて唸っているだけだった。
神絵師さんも別に「自分の母親がこんなにひどい人!」と言いたいわけではなく、「こんなふうに言われた人いますか?」「なんで親ってこういうこと言っちゃうんでしょうね~」という素朴なツイートだった(ように見受けられる)。

どこの親にもあることだと思う。
事実、私も人の親になって、無意識のうちに似たようなことを子どもに言っていることに気付く。

「そんな成績で喜んでるようじゃ、まだまだね」
「もっと早くできないの?」
「○○ちゃんはきっと今ごろ頑張ってるはずよ」

みたいな。

これ、自問自答してみたんですけど、たぶん、「自分の子どもが恥をかくところを見たくない」っていう屈折した親心なんだろうと、いまなら分かるわけです。
愛する我が子が、外の広い世界で恥をかかなくてもいいように、「決してうぬぼれるな」「身の程を知れ」と教え込むのが日本式教育なのだろう、と。

絵を褒めてほしい子供に対して「うまくもなんともないよ」と言っちゃったり、
100点を取ってきた子供に対して「そんなことで喜んでちゃダメ」と言ったり、
運動会で早く走れた子供に「フォームが悪い、もっと速く走れたはず!」と説教したり。

その絵師さんのツイートで、子供との向き合い方を変えようと深く反省した次第です。

■やりたいことが見つからない日本人

最近忙しくてなかなかゆっくりnote読めてなかったんですが、野本様のこちらの記事を拝読して思ったのは、「日本人はやりたいことが見つからなくて当然だろうな」と言うこと。何をやっても頭ごなしに否定され続けてきたので、「私は〇〇がやりたいんです!」ということさえ「恥」なんですよね、日本人って。
だから、自主的にそういう希望や夢に蓋をして、封じ込めて、何もなかったことにしてしまう。私みたいに「あれもこれもやりたいんです!」って堂々と言える人は、半ば呆れられ、半ば馬鹿にされてる感じさえします。

で、世間がようやく「自分の好きに生きていいんだよ」という世情になった今、「え、何をしたらいいの?」って迷う人が多い。欲や希望、夢を語る訓練を受けていない我々は、いきなり「自由」と言われると、逆に困惑しかない。

だから、いざ夢を語ろうにも「夢ってどうやって語ったらいいんですか!?」とインフルエンサーに聞かなきゃ答えが得られない。。。

「こんな歳で夢に向かって挑戦なんて恥ずかしい」
「努力してるところを見られたくない」
「若い人には敵わないし」

と、言い訳ばかりが先について出てしまう。

■「いい汗をかく」ように、「いい恥をかき捨てて」いこう

よくスポーツの後に「いい汗かいたな!」って言うじゃないですか。
これと同じくらいナチュラルに、「いやぁ、今日もいい恥かいたなー!」って笑えるくらいじゃないと、好きなこととかやりたいこととか見つからないんだろうな、と思うんです。

思えば私もいろんな恥をかいてきました。
恥とは、つまり失敗。
「失敗」と言えば聞こえが悪いけど、トライ&エラーであり、成長への糧である大事なモノ。
でも、失敗することで「次はこうしたらいいんだな」「次はもっとうまくやれそう!」などと手ごたえを感じられるなら、それはきっと続くんじゃないかな? と思ってます。そこにこそ「好き」が見つかるのではないでしょうか。

子どもにはいま簡単な料理を教えていますが、「とにかくたくさん失敗しなさい」、と言うようにしてます。
恥をかくのは嫌だろうから、家の中でたくさんたくさん失敗しておきなさい。失敗は成功のもとっていうでしょ。
先日は子どもがめっちゃ塩辛い卵焼きを作ってくれてましたが(苦笑)家族みんなで「ひえー! 辛い!」って笑いながら食べました。意外とご飯が進みました。

■「好き」を見つける簡単な方法(私の場合)

そうはいっても好きなものが見つからない、何度もトライ&エラーをしている時間がない、と言う人の場合、かなり荒療治ですけど、「〇歳で死ぬとしたら何をしておきたいか」を本気で考えるのも手だと思っています。
私の場合、母が早く亡くなりましたので、「私も母の享年までしか生きられない」と本気で思いながら毎日を生きています。
そうなると、実はあと5年弱しか生きられない計算です。

あと5年で私は死ぬ。
としたら、子供の教育はどうしよう。
家族に後のことを託すにはどうしておいたらいい?
仕事の引継ぎをするにはどんな方法が?
やり残したことは何だろうか?

こんなことを、出産したあたりから自然と「本気で」考えるようになりました。
子を持つと、どうしても先に子どものことにばかり目がいきますが、深く掘り下げていくうちに「子供と一緒に〇〇がしたい」という希望もかなり出てきました。
今年からは子どもと一緒に着付け教室に通うように。母からの形見の振袖を子供にも着てもらいたいという希望が出てきたからです。あとはお箏もやってほしいな。
けどそれを押し付けるのではなく、一緒に楽しめるのが一番の望み。だから必要以上に楽しそうに演奏したり。うまくハマってくれてるようで、しめしめとほくそ笑んでおりますw

人生が無限に続くと思うからこそ「〇〇に興味があるけど、まぁいつでもいいや」と投げやりになってしまうので。
でも、人生って誰一人として無限じゃない。だからこそ、楽しまなきゃならない。と、本気で思えた時に、やりたいことが見つかるんじゃないかな~。

まぁ、私の場合はヲタクグッズをどうやって身内に見られないように処分するかが一番の問題であり、そこが自分の仕事の根底にもあったりするんですけどね…。

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