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「音楽劇 秘密を持った少年たち」感想 命の価値は何で決まる?

大東立樹の芝居を見るのは6月に上演された「ダーウィン・ヤング 悪の起源」以来。親友を殺すか、父のプライドを踏み躙るかの二択を迫られた青年、ダーウィン・ヤングの無邪気さや葛藤、そして未来への絶望を見事に表現していました。あれから彼は所属事務所が変わり、今作が移籍後初の舞台作品になります。

「音楽劇 秘密を持った少年たち」は現在放送中のドラマ「秘密を持った少年たち」のスピンオフ作品にあたるもの。ドラマも舞台もボーイズグループ“龍宮城”のメンバーが全員出演しているとのこと。映像作品を見続けることが難しい性格なのでドラマは未聴、龍宮城のメンバーについては顔と名前が全く一致しない状態での観劇になりました。(あと黎という名前の人がいること、私が1番応援しているグループにも黎という人がいるので)龍宮城のメンバーは一部がスターダストのEBiDAN研究生出身ということで、おそらく演技のレッスンを受けていた人もいると思うのですが、それ以外のメンバーはそういうわけでもなさそうで、舞台演劇という意味では劇団四季出身で半年前に末満健一作品の座長を経験した大東とはかなりキャリアに差がある中でどのような作品になるのか楽しみに足を運びました。

私のnoteはほとんどがTwitterからの流入だったので、Twitterのフォロワーのほとんどが関心のあるニューネームカミングスーンの舞台以外の感想文は書いていませんでしたが、最近はnoteからの流入も増えているので、『音楽劇 秘密を持った少年たち』の感想文も書いていければと思います。









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「音楽劇 秘密を持った少年たち」
吉谷晃太朗演出 龍宮城、大東立樹、松本大輝出演 葛木英脚本

舞台は、文化祭を目前にした私立霞ヶ丘学園(表記不明)。文化祭で公開するために映画研究会のメンバーは準備に励んでいた。すると、夜行となった生徒が突如学校内で暴れ出す。たまたま映画研究会と共にいた美術部員で絵画の天才・黒瀬拓実(大東立樹)は映画研究会のメンバーと美術部員の段智也(松本大輝)と共に助かる方法を考える。“夜行”とは、人間の血を飲む化け物のようなもので、衝動的だが音楽などに触れると落ち着きを取り戻し、高い回復能力を持つが太陽の光が当たってしまうと死んでしまう性質を持つ。人間は夜行に噛まれることで感染するように“夜行化”してしまう。
映画研究会の天音優人(西田至)は黒瀬と同じ養護施設で育った経歴を持ち、親を夜行に殺された黒瀬と共に脱出を誓う。しかし、生徒会長の百瀬翔太郎(齋木春空)が夜行に噛まれてしまい“夜行化”してしまう。夜行化し徐々に理性を失っていく百瀬にクラシック音楽を聴かせ落ち着かせながら、対応策を考える。百瀬を慕っていた後輩の乙女真尋(竹内黎)は国会議員である百瀬の父親に電話をし、百瀬は父親にこれまでの気持ちを伝えるが、徐々に夜行としての本能に蝕まれていく。
助けを求めに外へ出た柳楽大樹(冨田侑暉)も夜行に噛まれてしまい、映画研究会のメンバーと美術部の段も夜行となり、夜が明けて太陽が当たり、夜行化した人々は次々と姿を消した。黒瀬は夜行の皆殺しを目的として活動する“夜行狩り”として、街に姿を消す。

作品の性質上かなり多様なテーマを持った作品であるが、重きを置かれていたのは「命の価値は平等なのか」という部分だろう。国会議員の息子で生徒会長の百瀬、対して両親と死別しているが絵画の天才的な才能を持つ黒瀬、今の所映画での才能があるとは言えない天音。夜行とはつまり「人の血を飲みたい」という衝動を抑えることができない状態で、夜行の状態は理性より本能が優位になっている状態だと言えるが、そういった本能を前にしたら生まれた境遇や才能の有無に価値はない。どんな人間でも命は平等に尊く、同時に脆い。

一方、夜行は芸術に触れると落ち着くという性質を持っていた。黒瀬は親を夜行に殺された憎しみや悲しみ、怒りを絵にぶつけて結果的に絵画の才能が開花した。本能が優位な状態でもそれをコントロールできる部分は芸術だったのである。それは芸術が理性ではなく本能から出来上がったものだからではないだろうか。「夜行を抑える曲」として一番最初に放送室から流した楽曲がベートーヴェンが難聴を自覚した時期に作られたとされる交響曲第五番「運命」が流されたことも示唆的に感じる。衝動を抑えられるものは、また、衝動なのかもしれない。


大東の芝居は『ダーウィン・ヤング』以来で、それ以外の芝居はほとんど見ていないに等しいが、今作を観劇して改めて彼はエンジンをかけるのが上手い俳優であると感じた。彼がチェンソーのスイッチを押すともう誰にも止めることはできず、その空間は大東だけのものになる。そういった爆発力を持つ人だと思う。今回は柳楽が夜行化したあと次々に映画研究会メンバーを襲うシーンでその“スイッチ”が押されているようで、大東演じる黒瀬に強く感情移入しながら柳楽との戦闘を見守っていた。ただ、それは作品のかなり終盤のシーンになるので、それまでは別に悪くはないのだが、『ダーウィン・ヤング』の終盤の大東のモードを知った状態で見るとかなり薄味に感じる。言われてみればダーウィン…も一幕はやや薄味気味だったので、そういう俳優なのだと理解してから観た方が楽しめる気がする。

今作が初舞台になるメンバーが多い龍宮城のメンバー。やはりキャリアの違いが大きいので大東と比べるとセリフの聞き取りに苦労する場面も見られた。が、歌唱の芝居がよかったように感じる。特に良いと思ったのは竹内黎の歌唱だ。RADWIMPSの「五月の蝿」を歌唱するシーンがあり、この楽曲は野田洋次郎が恋人と別れた時の恨みを書いた詞だと理解しているが、野田が元恋人に宛てた歌詞を「乙女が夜行を憎み、夜行から百瀬を守る歌」として歌い上げられていた。
他の部分についても、おそらく意図的に芝居のように役に入り込んで歌う曲と、そうでない曲で分けられていたが、その意図がこちらに伝わるくらい「役として、既存のJ-POPを歌う」ということができていたように感じる。

上述した通り、今作はおそらくほぼ全ての楽曲が既存のJ-POP楽曲を引用する形で構成されている。夜行と戦うシーンでDa-iCEの「スターマイン」やSUPER BEAVERの「ひたむき」が歌われたりしており、まぁ歌詞はパッと聞いた感じ役の心象を表しているように感じるが、元の曲を知っており、何を主題にした曲なのかを知っているからこそ「この役はそんな気分ではないのでは」と感じる部分も多かった。
演出上、背景に歌詞が投影されていることも多かったので、かなり意図的にこういった選曲が行われているはずだ。今作の登場人物が高校生であることを考えると、「今の感情を自分の言葉で表現できず、よく聞いていた曲から引用する形で表現しているかもしれない」と無理やり解釈した。パンフレットを買っていないが、もしかしたらその部分について説明があるのかも。あくまで私の解釈です。

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今回の会場は日本青年館。度々来たことがあるが、同規模の劇場の中ではステージの横幅が若干広く奥行きが狭いように感じる。キャパ1200なのでちょうどブリリアと同程度だが、奥行きは2/3程度しかないのでは。まぁ、ブリリアが特殊といえば特殊なのだが。

ペンライトを持ってきてください系作品を積極的に観ないので、普通にペンライトを忘れてしまった(7 MEN 侍のペンラを持っていったらオモロいだろうなとは思っていた。なぜかネギみたいな色なので)

髪が長い西田至さんとシルバーヘアの冨田侑暉さん以外全員が短めの黒髪で、全員同じ制服を着ているので、かなり誰が誰なのか判別するのに苦労した。新約LILIUMでも感じたことだが、学園モノの場合パッと見てわかるキャラクターデザインがないとなかなか難しい。いや、おそらく観客のほとんどはドラマを見て来ている人だからドラマの予習をサボった私の問題なのだが。

最後に龍宮城のパフォーマンス(正確にいうとドラマ内ユニットとしてのパフォーマンス)があり、全員声がパリっとしていて、語弊を恐れずいうと女王蜂の曲を歌うのに適している歌声であるように感じた。今後もアヴちゃんが作った曲を歌うのだろうか。言われてみれば今回でJ-POPを歌っていた時もかなり声がパリッパリだった気がするのでどっちにしろ女王蜂風味の歌唱になるのかもしれない。歌唱のクセで個性を出すボーイズグループってこの世に龍宮城しかいないのかも。

ってか、普通にこの量の曲の使用許可取るのダルすぎるから普通に作曲家入れた方が楽なのではと心配してしまった。ちゃんと調べてないけど、SONYのアーティストが多かった気がしており、調べたら、龍宮城もSONYで、あのーーーーー、、、、、、(※今野大輝 SONYで検索)

大東がこれからどのように活動していくのか全くわからないが、もし本人が望むならこれからも舞台演劇での活動も続けてほしいと思う。事務所を移籍したものの、少なくとも芝居の面では移籍したことの影響のようなものはあまり感じなかった。

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