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GYPSY感想_この板の上には魔物が

好きなアイドルのメンバーが突然東京芸術劇場の大竹しのぶ主演ミュージカルに出演が決まりました。大竹しのぶの出演作品を見るのは今回が初めて。生田絵梨花も出演していますが、彼女の観劇も今回が初めて。脚本家は外国人の全然知らない人。つまり、今まであまり触れてこなかったタイプの演劇ですが、こういう作品を見る機会を突然もらえるのがアイドルと演劇が好きである醍醐味かもしれないです。

以下、めちゃくちゃネタバレです。




今作は娘をスターにしたい母親とショービジネスの話です。ミュージカルの主人公は母親のローズ(大竹しのぶ)ですが、原作はその娘であり、実際に存在したバーレスククイーンのルイーズ(生田絵梨花)がジプシー・ローズ・リーとして執筆した回顧録です。その感想文にあたる本稿のタイトルはヒップホップユニットCreapy Nutsの楽曲「板の上の魔物」から引用しました。一回しか観劇していないので細かいニュアンスを間違えている可能性があります。

【感想】ショービジネスの何が人を変えるのか

今作はショービジネスに執着する母親、ローズの話です。ローズは娘たちをスターにすることに執着しますが、なぜローズはショービジネスに執着をするのでしょうか。劇中で「観客に感動を与えたい」というような言及は無かったと記憶しています。ローズは娘をスターにすることで、自分が世間に認められたいという感情だけを原動力にして、娘をスターにすることに執着していたように描かれていたと感じました。

私はステージに立つ側の人間ではないので、想像の範囲になりますが、ステージに立つと言うことは強烈に自分を肯定される事なんだと思います。大きな劇場に立って、何千人の前で一斉の注目を浴びると言うことは、日常では感じられないくらい自分を必要とされるような感覚、要は自己顕示欲があり得ないくらい満たれるのだと思います。“二流のバーレスク”だとしてもステージからじゃないと得られない魔物のような何か。ずっとそれを強烈に求め続けているのだと思います。

ルイーズが変わったのはバーレスクで代打ストリッパーとして立った瞬間でした。最初はオドオドしながら母親が考えたヘタクソな歌を歌うのですが(この生田絵梨花の歌が最高です)、「ハロー、みなさん あなたの名前は?」と客に問いかけてから高らかに歌い上げるようになります。(実際のローズ・ルイーズ・リーは話が面白くて売れたようですのでその辺の演出なのかなと思ったり。)その後、ルイーズがストリッパーとしてステージで「求めるならもっとあげる だから求めて!」と話すシーンは、ストリッパーとして大成功しているはずなのにどこか痛々しさがあります。本人も自覚があるから「誰も私を笑わないわ だって最初に私が笑うから」と話していたのでしょう。

ローズはショービジネスに全てを捧げてきました。そしてルイーズもステージに立ち続ける生活のせいで、十分な教育を受けさせてもらえませんでした。ハービーはお菓子を売る生活に戻れるし、ジューンにはタルサがいました。ローズとルイーズは空っぽだから、ステージに執着する以外の人生が送れないのです。ルイーズはそれを知っているから、最後のシーンでローズを見捨てなかったのかもしれないなと思いました。ルイーズだけが「ステージに執着するしかない人生」の虚しさを本当の意味で理解しているのではないでしょうか。3人の夫と、ジューンとハービーとが去ったローズにルイーズだけが寄り添えるのは、ルイーズもローズと同じだからであるように感じました。

【感想2】ルイーズの才能とは

(一旦、現代の日本の性産業については横に置いておきますね、1950年台のアメリカのバーレスクのストリップの話に限定して下記を記述します)

ストリッパーとしての初舞台からスターに駆け上がるまでの過程は舞台ではカットされています。ジプシー・ローズ・リー(本人)のWikipediaによると、彼女はストリップ以外の映画作品にも出演していますが、実際にあまり才能はなかったようです。そんな彼女がなぜストリッパーとして大成したのか。それは「プライドが無くて、プライドがあったから」ではないかと考えました。

劇中で先輩ストリッパーのテッシーが「ストリップに必要なことは才能がないこと」と話していました。「才能が無い」ことがストリッパーに必要なのではなく「才能がないと認めること」がバーレスクには必要なのかもしれないなと思いました。ジプシー・ローズ・リーが居た頃のバーレスクは現在のバーレスクよりかなり過激で、ダンサーを見ることよりも性産業の一部でしたし、現にローズもハービーもテッシーたちもバーレスク、ストリッパーを軽蔑していました。そんな場所で活躍する上で、ストリッパーが「自分には才能がある」と信じることは、バーレスクという場所で咲くにはプライドが高すぎるのかもしれません。つまり「自分は才能がないから、私にはバーレスクしかない」そう認めることがバーレスクで咲く第一歩なのですが、長くジューンと比較されてきたルイーズがそれを認めることは簡単だったようです。

一方で、先述の通りルイーズにはどこでもいいからステージに立つ生き方しかできないので、ストリッパーとして成功する以外道はありませんでした。だからこそ、自分は「エクディジアスト」(ecdysiast、 脱皮者)であると、貴婦人の証拠としてローズに渡された手袋を脱ぎ捨てる様はどこか誇り高く、「私こそがスターである」という自信が漲っていたように感じます。そういったストリッパーとしてのプライドの高さがジプシー・ローズ・リーをトップストリッパーとしてのし上げたのかもしれないと思いました。

冒頭にも記載した通り、今作はジプシー・ローズ・リーが執筆した回顧録をもとに制作しています。彼女にストリップの才能があったことは事実ですが、それだけで彼女のことを知る日本人はほぼいなかったでしょう。もし、彼女にとってのスターが「世界中に名前が知られること」だと考えているとしたら、それを達成した要因は女優でもストリップでもなく、母親との確執そのものだったと思うと、それはローズの望んだ形だったのか考えてしまいます。いや、でもきっと彼女は天国でこの公演を見ているだろうし、それでぶつぶつ文句を言いながらも、自分の生きた証が日本で上演されていることを喜ぶような気がします。なら、少しは彼女も報われたのかなと、観劇から4日くらい経った今、70年前に生きた1人の母親を想い、本稿を執筆しています。

【劇評】佐々木大光_話すのではなく踊ることで示す

これ読む人のほとんどは7 MEN 侍のファンだと思うので、佐々木大光の話を少し。
あまり物語の本筋に絡む役ではなく、ローズ役の大竹しのぶがかなりクセのある芝居をするので、佐々木は爪痕を残す芝居よりも舞台に溶け込む芝居が求められる役柄だったと思います。その中で、しっかり物語に溶け込み、その上でダンスではぱっと踊るだけで「タルサはダンサーなのだ」と分からせるようなダンスだったと思います。さすがに大竹しのぶ、生田絵梨花と同等の芝居だったとは言えないのですが、2人に並んでも恥ずかしくない、堂々とした態度は普段のアイドルの姿とも合わさって大きなインパクトがありました。
もはや私が何か言う必要なんてないのですが、大竹しのぶの求心力がすごかったです。決して華やかな役ではなかったのですが、出ているだけでとにかく目を惹かれ、強烈な存在感を放っていました。正直存在感がありすぎて芝居が上手いとか歌が上手いとか、そういう判断ができないです。一言で言うなら魔物。Creepy Nutsはそういう意味で歌ったわけではないですが、まさに「板の上の魔物」だったと感じました。
(おわり)


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