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「フォーティンブラス」感想 脇役は一生脇役で、努力が報われるわけではないけれど

侍春の舞台祭り2024(2人)の一本目。佐々木大光さんのフォーティンブラスです。変な大学を卒業しているので、多言語シェイクスピアを見まくる授業が必修で、ハムレットも日本語でも英語でもないなんらかの言語で見たことがあると思うのですが、多分寝てたので全く記憶がないです。大学4年間で得たことは、「寝ていて全く内容を把握していない作品のあらすじを読んでそれっぽいリアクションペーパーを書く」という能力かも。実は社会に出てこの“知ったかぶり”の能力が役に立つ時は多いのですが、本稿を読む学生の皆さんは普通に勉強したほうがいいと思います。「ハムレット」についてざっくり内容は把握してるけど翻訳がどうとかは全然わかりません。

映画の撮影で女優の顔に怪我をさせてしまい降板した横暴なスター、黒沢正美(荒井敦史)がハムレット役を務める舞台「ハムレット」で脇役を演じる羽沢武年(佐々木大光)は正美の横暴な態度に不満が溜まっていた。ある日、舞台で酒を飲んでいるとそこに「フォーティンブラスの父」を名乗る亡霊が出現する。彼の正体は同じ作品で脇役を演じる岸川和馬(鈴木悠仁)の父で、かつて同じ劇場で活躍していた岸川和春(吉田智則)だった。一方その頃、和馬の恋人の恵子が正美の楽屋に呼ばれていた。恵子は自分自身の女優としての成功、そして和馬の成功のために正美の部屋へ向かい、楽屋で「濡場の稽古」をしようとした正美に思わず悲鳴を上げ、騒動は劇団全体へ広がり、和馬と正美は殴り合いの喧嘩に発展する。騒動の中で「ハムレット」のヒロイン、オフィーリアを演じる刈谷ひろみ(木﨑ゆりあ)が正美に「正美とは何者なのか」を問う。そうして幕が上がったその日の公演は“演劇の神様”が降りたように、特別な力を持ったものになっていた。その裏で亡霊の和春は姿を消すのであった。

様々な要素を持つ舞台だが、どれも主題は「与えられた役を全うしなさい」ということであるように感じた。劇中、和春がフォーティンブラスの父ではなくハムレットとして話す場面があったが、その時は誰も話を聞いてくれない。そもそもフォーティンブラスの父という役は存在しないのに、「フォーティンブラスの父である」と名乗った時は一旦周りの人間が「この亡霊はフォーティンブラスの父親を演じているのだ」と納得した上で羽沢は和春と会話し続けるのは、「フォーティンブラスの父」が亡霊となった和春に与えられた役だからなのだろう。脇役は死んでもなお脇役なのである。

努力が必ず報われるわけではない、真面目だから良いことがあるわけでもない。これは芸能界に限った話ではないが、スポーツや受験、営業成績とは異なり数値化できない要素が評価される芸能の世界では特に顕著だろう。和馬はシェイクスピアのセリフが全て頭に入っていて、舞台への情熱もあるが、それでも「ハムレット」の主演はセリフもまともに覚えていない正美で、ヒロインは事務所の意向でバラエティアイドルから女優へ転向したひろみだ。これも、正美とひろみに与えられた人間としての“役”が主役だからなのだろう。

では、羽沢も和馬も和春のように一生脇役で、永遠にハムレットを演じることはできないのだろうか。「人生の主役は自分」というのは綺麗事なのだろうか。ここから先は私の考えだが、彼らがこれからハムレットになれるかどうかは私にはわからない。それでも自分が立つ位置を舞台の0番にすることはできるのではないだろうか。今作「フォーティンブラス」は「ハムレット」で2つしか出番がないフォーティンブラスが主役となっている。与えられた役がフォーティンブラス(脇役)だったとしても自分を真ん中にして舞台を作り上げることはできるのかもしれない。その方法までは舞台上で明かされなかったが、かつて正美もビル掃除をして集中力と強い足腰を養っていたように、実力をつけることが自分自身ができることなのではないだろうか。

現実の演劇でも舞台演劇を本業としない人がメインキャストとして配置される舞台は少なくなく、それは今作「フォーティンブラス」でも同じだ。作中で正美は自分を俳優ではなく野良犬だと話しているし、ひろみもバラエティの仕事のほうが好きそうだ。それでも最後には「自分は役者だ」と正美を含めた全員が自覚し、本業は何であったとしても良い作品を作りたいと“役者として”向き合うことが気まぐれな演劇の神様を振り向かせたのではないだろうか。

ところで、亡霊の和春の姿が見える人とそうでない人がいた。確実に見えていなかった描写があるのが恵子だ。そしておそらく正美も見えていない(本人の性格が変わっているので見えていたけど無視していたのかもしれないが)。恵子はずっと「女優になりたいんです」と話しているので本人としてはまだ女優ではないのだろう。そして正美も自分は役者ではなく野良犬だと話す。もしかしたら、和春は「自分は役者である」というプライドがあるものだけが見える存在で、和春こそがあのステージにいる演劇の神様だったのかもしれない。

佐々木大光の舞台を見るのは1年前のGYPSY以来。羽沢は表情豊かにちょける場面もありつつ、アツい一面もある、佐々木大光本人のパブリックイメージと近いような気がする。一応本人役のDREAMBOYSより本人らしかったのではないだろうか。これは「Act ONE」でも思ったが、佐々木はセリフがかなり聞きやすい。かなりテンポが早く早口で話すシーンと、じっくり間を置いて話すシーンの緩急がついていて、ずっと聞いていても頭が疲れない。映像作品にも度々出演しているが、個人的には舞台の方が良さが出る気がする。

鈴木悠仁は役が暗いので話し方も暗い。役があまりに暗いのでそれ以上の感想を持つことが難しい。その暗さの中で早口でシェイクスピアのセリフを引用するのは大変だったろうなとは思った。劇中で和春や恵子に怒るシーンもあるが、大声で怒鳴りすぎてなかったのがよかった。もう何回も書いているが、ジュニアの舞台は怒る演技が大袈裟すぎることが多すぎるが、鈴木はそんなことがなくてよかった。

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紀伊國屋ホールは何回か行く機会があったが、毎回「大学の誰も使ってないホールみたいだな」と思っている。視聴覚室っぽい。公演が終わったところでパルコ製作の段田安則主演「リア王」のポスターが貼ってあることに気づいた。今年は舞台あんまり行かない宣言をしているので行かないが、かなりポスターが良い。

私個人として、努力家なアイドルよりも生まれ持った才能で輝くアイドルが好きなので、正美がかなりツボで観劇後はずっと正美の話もしていた。ついでに恵子にはずっとイライラしてた。

そういえば正美を演じていた荒井敦史さんは181cmあるそうで、いつも侍の中ではデカい方の大光と並ぶと大光が小さく見えて面白かった。

大光は生で見ると目の水分量がヤバすぎる。一生ドライアイとかにならなそう。脚も長すぎる。正直もう何回も彼の姿は見ているけど毎回新鮮に驚いている。

最近のブームが献血なので終わった後隣の献血ルームに行こうと思っていたが、めっちゃ混んでいたのでやめた。献血は予約していくのがおすすめです。

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