『食べないお嬢と魔術学園の料理番』について

 こないだ言った「一作だけで消えた人」の紹介になります。いつも通り、先に書いたものを述べておいて、さらに掘り下げていきます。

『食べないお嬢と魔術学園の料理番』駿河ゲンゾウ 平成31年1月20日初版発行 株式会社KADOKAWA(富士見ファンタジア文庫)
・デビュー作ならギリギリでアリ
・日本語の使い方と味の表現が弱い
・設定の詰め方が甘すぎるし、長々と語りすぎ
・魔術使えない詐欺。単一特化ならそう言えよ……
・食事を舐めるな
・パロディやたとえがぜんぜん美味くない

 ガバ現代なんで適応に時間がかかりました。現代なら分かりやすいもの出してほしいし、ナーロッパ風に見せといてエセ現代です、はちょっと困ります。時代背景がさっと分かる要素ってなんかないんだろうか。
 これただのバトルファンタジーですね。料理要素……あとがきでは熱心に研究したっぽく書かれているし著者コメントでもこの作品のために料理作って実食もした、的なこと言ってるのにラーメンばっかりじゃん。しかも食レポが弱すぎる……読む限り、味そのものに対する感覚がかなり鈍いようですね。アツアツのラーメンにふたをするのも謎ですが(延びない?)、それだったら取った瞬間に香りが漂ってもええやろ。塩ラーメンでも正直弱い。具体的な味の言葉がほぼ出てこないんで、作者さんのこういった能力の欠如として考えざるを得ないんですよね……どんなふうに味わってるのかな。
 模範みたいに「燐光」「きめ細やか」って言っちゃってるのは……まあこれでデビューなら仕方ないんでしょうか。剣だの魔術だのの光は力の証なんで、弱々しい「燐光」だと意味が合わないんですよ。ふつうに「剣光」「輝き」でいい、凝るとダメになる。あと「細やか」だと被造物としての意味合いが強くなるので、人形みたいだと言ったうえでの「きめ細やか」だと「神が作ったようだ」って意味になるとは思います。そうじゃないときは微妙にずれてるのでやめようね。母語なら言葉の奥にあるニュアンスを捉えないとダメですよー。
 あとヒロイン関連がむちゃくちゃですね。五歳のときに母が毒殺されて以来、トラウマで自分の作った料理しか食えない……それでこの体型? クッキーもどきが主食でそれ以外下手くそなら栄養の偏りもヤバいし、健康状態もガッタガタだと思いますが。ラーメンばっか食ってたら太るって言われてますけど、それ以前の問題です。食事をなんだと思ってるんだ? ってのが満足に食えなくてボロボロだった私が素直に思うところですね……貧血やらエネルギー不足の感覚とか味わってたら絶対にこんな書き方はしないと思うんですけどね。偏食エアプやめ……いや、味わわない方が正解ですけど。
 上半身ぴっちりスーツ・下半身ミニスカで飛行するのにパンツ見えるの想定してないヒロイン、そこは『ウマ娘』のミホノブルボンみてーなボディスーツ&スカート型の制御装置あたりだろと思いました。イラストで見るとハイレグボディスーツ&ミニスカみたいになってるのにパンチラしてるので服の設計がより意味不明です。なんだこれは……? 上半身のぴっちりがどこで支えられているのか、ミニスカが何のためにあるのか、飛行するのにパンツが丸見えでなおかつそれを恥ずかしがるのに言われてから気付くなど山盛り。コルセットみたいに書きたかったんでしょうか? 「ぴっちり」ではありませんけども。
 ここから先は細かいところになりますが、帯の宣伝で「俺の実力、思う存分味あわせてやるよ――」って言ってるのも違う。「味わう-せる」であ段の活用なので「う+あ=わ(W+A。や行とわ行は発音上では母音同士のくっつき合いになっている。ゆっくり読み上げを聞いていると「w=わら」と読むべき箇所を「う」と読んでいることも)」となり、「味わわせてやるよ」が正解になるんですね。誰か気付かなかったんでしょうか。浸透してて正解になってそうではありますが、出版社のあるべき姿勢じゃないなと私は思います。
 食事にトラウマを植え付けられた少女が食事の楽しみを取り戻す味が塩ラーメンなのも疑問点ですね。卑近かつ味覚のブランクを埋める・体にとって必要で子供が好きそうなメニューを選ぶとなるとオムライス(甘い、タンパク質・炭水化物豊富)あたりじゃないですかね? なんか説得力を持って出てくる料理が少ない……気候や風土、宗教も関連して料理がある的なこと言ってるのに「魔法がある・戦争がまたいつ始まるか分からない」世界らしいものが出てこない。緊張状態でもぱっと作れて手早く食える、けれど栄養満点で家庭によってこんなアレンジも! みたいなものを見たかったですね。
 なんというか、作者の能力不足が思いっきり目立つ作品でしたね……。高校生がこれ書いたなら将来の大作家をおもっきし祝福するとこなんですが、この人は育成枠でしょ。毎度のように思いますが、好きなものだけぶち込んで売れるわけないんですよね。メソッドの蓄積と作家の育成にもうちょっと気を配ってほしいなと思いました。


 以上が研究として述べた内容です。私が「例の本屋」と言っているお気に入りの書店にはまだ新刊があります(戦慄)。ま、タイトルに吸引力がないんで、ある程度しょうがないですね。

 中学生で初めてラノベに触れ、高校生~大学生で文芸部に所属していた私は、素人創作は山ほど読んできました。レベルが低い作品はいくらでも見てきましたし、どう読めばいいか分からないもの、全体にまともに成立していないものも知っています。そんな中で輝く才能はほんとうにまぶしかった。

 そういう「やさしい目線」で見ると、学生が同人誌に寄稿した作品なら絶賛していたと思います。いろいろとツッコミどころはあっても、素人創作なんてそんなものなので、面白い点が明確になっているだけで「おっ、すごいやん!」って言えるんですよね。一年生で入部して、そこから執筆を始めた高校生が三年生くらいで書く作品といった印象で、素人としてならかなり見どころはありますね。ファンタジア大賞で金賞取ってデビューした新人、と言われると「は?」って言葉が出てきちゃうのがなんとも。

 このあたりの年代のファンタジーは似たような傾向があるので、審査員の好みがある程度反映されているのだと思われますが、全体的にガバッガバのガバで、設定から何から、服装ひとつとってみてもガバの嵐です。なぜこれを売ろうと思ったのか知りたい、本当に分からない。嫌いになることはないにしても、減点要素が多いので、ちゃんと見られないんですよね。


 ここで「ガバ」の定義を自分なりに説明しておくと、「設定/描写/思考過程に空いている“穴”」のことです。もっと言うと、読者がすぐに改善案に気付くような問題点のことも指しているように思いますね。

 たとえば↓

・文芸部のメンバーは十人いる。
→今日はひとり病欠しており、次の部誌についてのレジュメが一枚余っている。(後日出会い、こちらとも親密になる布石)
→やってきた主人公はヒロインといっしょに一枚のレジュメを見ることになり、肩を寄せ合うことになる。

 こんな展開があったとき、読者は「いや、一枚余ってるじゃん?」と考えることでしょう。加えて、メンバーが十人いるのに二人がくっついていると、どうしても見せつけや牽制の意味合いが強くなり、関係の進み具合によっては非常に不自然になります。するとこの展開は、作者が「ヒロインとくっついて部活動する主人公」を描きたかったがために無理やり入れた、というふうに見えるんですね。

 低レベルな言い訳はたくさん見てきているので、想定されるものとしては「病欠している部員のために、レジュメを残しておく必要があった」「ここで二人がくっついておくことで、後日出会うヒロインとの修羅場を演出できる」などがあるでしょう。

 が、この時代ですから、レジュメはデータで作って紙に印刷しているのに決まっていますし、一枚増やす手間など知れたものです。加えて、十人いるメンバーの中でわざわざくっつこうとするヒロインは常識を疑われますし、入部希望の段階ですでに修羅場にいる主人公は、ひどく生暖かい目で見られることになるでしょう。

 こういう風に、読者にとってはより良い方法がすぐに思いつくのに、登場人物たちはそれを無視してことを運ぶ強引な展開が「ガバ」だと思っています。

 逆に、上記のシチュエーションで自然な展開としては↓

・レジュメを受け取ったものの、特有のルールがよく分からない。
→ヒロインが隣で説明し、距離の近さを指摘される。(少し赤くなる)
→後日、受け入れ態勢が整った部員たちに、病欠していたサブヒロインがやきもきする。

 といったものになると思います。さすがにこんな基本外すやつおらんやろwwwと思ったら普通にいたりするので、いやぁ、この業界は怖いッスね……


 脇道に逸れ続けていますが、本作のガバがどのようなものなのかというと、だいたいは「なんで知ってる/分かる?」「なんで知らない/分からない?」に大別されると思います。料理人を主題に……しているようでバトルファンタジーである本作ですが、主題にしたいのであろう料理について、なんだかよく分からないところが多いんですよね。

『冷製フェデリーニ、ミートオムレット、季節野菜のサラダ、ピカタサンド、カツ丼、果てはスイーツのタワーまで……。』(P36)イタリア・フランス・日本の料理らしきものが出てくるのですが、日本で完成したラーメンが「東の国」のものらしい、以外の情報がありません。「極東にはもっと進化したラーメンがあるらしい」と書かれているので、劇中に最初に出てきたのは中華そばみたいですね。「中華」って言葉をそのまま使うのは難しいんでしょうけど、だったら代替表現をですね……

 あらすじにも本筋にも異世界転生を思わせる要素はいっさいないので、主人公はどこかしらで修業してこれらの製法を身につけたのでしょう。現実の地理で考えると、イタリアとフランスを両方訪れるのは比較的簡単そうですが、どのようにして中華圏を訪れるのでしょうか? シルクロードか船旅か、どちらにせよその過程で料理人としての腕を振るっているでしょうから、現地の料理を身につけていると思うんですよね。なぜこれらの料理が出てこないんでしょうか、不思議ですねー。

 底意地の悪いツッコミはさておき、「極東」というからには惑星を半周する程度に旅をしているはずなのに、西端と東端の料理しか出てこないのには大きな違和感があります。作者も「料理はその地の風習、地理、気候、宗教、その他さまざまな要因が複合的に作用し、地域性を得ています。」(あとがきより引用)と述べているのに、旅の過程で身につけたものが出てきません。

 さっきの言い方をするなら「なぜ多国籍料理を作れる?/なぜ特定地域のものしか習得していない?」ってところですかね。シルクロードのキャラバンに参加……いや、ナーロッパに中東なさそうやな。船旅にしても、大航海時代にアジア方面へ船出してたのスペインとかポルトガルじゃなかった? って疑問もあります。「スープが澄んでいる」塩ラーメンの出汁が昆布と鰹の合わせ出汁だったりするので、いろいろ調べたとか実際作って食べたとかは、きちんと成果になっていないようです。合わせ出汁は茶色いし、塩ラーメンは黄色っぽい鶏がらスープでしょ? なんで知らないんだよ……(困惑)


 もうひとつ同じ箇所で突っ込んでおくと、ヒロインは五歳のときに母親を毒殺され、それ以来自作の焦げたクッキーもどきしか食べられなくなった、と書かれています。死ぬんじゃね? エピローグでは「そんな食事で栄養が足りるわけがない」と言っているので、知らずにこうしたわけではないようです。

 これの材料は「小麦粉・卵・バター」と書かれています。ここから得られる栄養素は炭水化物が大半で、脂質少々とタンパク質がわずか、といったところ。五歳の少女が思春期まで育つのに必要な栄養素を摂取できるとは思えませんし、実は使用人が栄養補助を行っているのでは? とかいう考察もすべきかもしれません。

 最近はベジタリアンやヴィーガンといった、非常に偏った栄養だけを摂取して生きようとしている人がいるのですが、ちっともうまくいっていないのが現状です。理由は簡単で、人体はそういうふうにできていないからですね。

 人体を工場に例えると、小さな子供に菜食を強要するのは、なんの設備もない状態で子供たち数人に工場を建てさせるようなものです。工場も作りつつ製品も作る、しかも工員は増えないし休みなし。こんなブラック労働に耐えられる子供がいたら驚きですね。現実にそんなことしたら、工場もろくに完成しないまま全滅するでしょう。実際、赤子にヴィーガン食を強要して死亡させる事件は何件も起きています。仕組みとして説明することはできますが、痛ましいというかなんというか……。

 こんな比喩をするまでもなく、食物を消化し成長するという工程を行うためには、まず工場=体をきちんと作る必要があります。後から菜食を始めても、生産ラインと工員は増やせないけど、作る部品の数は倍以上に増えた、といったような無茶ぶりをすることに等しいと言えましょう。ちなみにヴィーガンの人がめっちゃイライラしてるのは、いわゆる「幸せホルモン」の構成要素が肉類からしか取れないからですね。きわめて機械的な事実を説明しても分かってくれないあたり、感情論って厄介だなって思います。

 部品はほかで作って組み立てを行う専門の工場がある、という現在の工業製品の仕組みは、人体の仕組みと驚くほど似通っています。分解・再構成がしやすいもの=部品と考えると、タンパク質を摂取することはすなわち、部品を外部から搬入して工員や生産ラインを最小限にとどめ、効率的に人体を構成していくことだと考えられるでしょう。

 では、惨たらしいほど栄養が偏ったこの少女はひどく矮躯で不健康なのかと言えば、そんなことはありません。体格も肉付きもよく、学校の皆が認める美貌や肉体的・魔法的な強さを誇っています。いや、無理やろ。ここに納得するためには、この世界の原子・分子の構成要素には魔力が大きく関係している、と考えるほかありません。

 人体は魔力によって構成される雲のようなもので、その代謝は内部物質のぶつかり合いによって生じる静電気様の現象であるため、生物として活動するためには魔力を活性化できる物質を摂取する必要がある……とかいう設定があれば、まあ「食べている量は少ないが活動に支障はない」生物は成立するでしょう。そんな説明はどこにもないので、この世界の人間にそのような仕組みがあるわけがありません。つまり、作者は「五歳の頃からクッキーだけ食ってても問題なく生存・成長できる」と考えている、と推測でき……るわけではありません。問題はもっと別のところにあります。


 このガバがなぜ生まれたのかの答えはとてもシンプルで、作者は、本作の中で「うまい料理=味のよい料理、まずい料理=味の悪い料理」としているからです。うまい料理を作れる主人公がまずい料理しか知らなかったご令嬢に料理を振る舞う、この構図を作るために「まずい料理しか食べてこなかったご令嬢」を考えた結果、クッキーだけを成長の糧とする意味不明な生き物が誕生した、とするほかありません。

 正直、この時点でおしまい♡って言いたい。これ、この時代に流行ってた「異世界から転生してきた主人公だけが美味い料理を知っていて、不味い料理しか知らない現地人に味の革命を起こす」ってテンプレそのまんまですしね。多国籍料理のちぐはぐ感や「まずい料理」の意味不明感も、そもそもが安易かつデタラメ極まりない展開しか作れないテンプレートによって作られているから、と考えれば納得できてしまいます。

 ファンタジア文庫は、その時代のウェブ小説を積極的に取り込もうとしていて、書籍化の受け皿としても機能している模様です。別にいいけど、新人賞にまで同じノリ求めるのやめた方がいいと思うな。

 それはさておき、ヒロインはトラウマから食べることそのものを嫌っており、他人の食事にもケチをつけるうえ、出されたラーメンを切り捨てる無礼億兆な人物です。このヒロインに対して主人公がやるべきことは何なのかを考えると、ボコって意思を叩き折ってから味のよい料理を出すことではなく、トラウマを克服する手伝いをすることだと思います。このへんのエピソードほんと不愉快だしクソつまらん。

 元カルトの暗殺者という経歴を持ちつつ、孤児として拾われて料理を振る舞われたことで「自分も料理で人を幸せにしたい」と思っていた、この主人公の経歴自体についても、順番が逆ではないかと思います。義父に毒を盛ろうとしたができなかった、妹にその罪を負わせたという点も「料理を裏切った」というにはやや弱いと感じました。ヒロインの過去を考えると、正直に打ち明けるには重すぎるとは思いますけど。

 ここで、先ほどの「うまい料理」にもうひとつの価値観が加わったことがわかります。それは、「料理人と食べる人が信頼関係で結ばれていること」ですね。え、どういう価値観なんだろう……何言ってんの?? 前提でしょそれは。なぜこんな発想になるのか、まったく理解できません。後年の料理ものウェブ発コミカライズ作品をレビューした動画を見ると、「王族が知らんやつの作った料理食べるとか暗殺し放題で草」みたいなコメントがあったのですが、あれと同じ発想なのでしょうか。あれはまあ、その通りだと思いますけど。

 もうひとつ考えるべきは、なぜヒロインは周囲に信頼できる人間を置かなかったのか、という点ですね。五歳の頃からキッチンの片隅で火を使っていた、という危険極まりない設定もそうですし、エピローグを見るとヒロインを気遣う使用人も登場しています。するとヒロインは、主人公に出会う前から「信頼する心を取り戻し、食事の楽しみを取り戻す」という本作のメインテーマを消化できる可能性があるんですね。なんで「うまい料理」に据えた軸をブレさせているのかは、まあ技量不足で説明できるでしょうか。洋風の調理器具ってクッソ重いんですが、五歳児に扱えると思いますか?

 バトルファンタジーと料理をからめようとして毒を出す時点で、こういう話にならざるを得ないのかな、とは思います。どうも作者が「直接手を下すことは完全アウトだが、間接的に人を殺すのはギリギリセーフ」と考えているふしがあるんですよね。ラストバトルの決着もそんな感じ。人を殺しまくっていたわりに父殺しの大罪からは逃れようとしたり、ぶった切れば終わりのはずなのに建物の倒壊に巻き込んで殺すという謎に遠回しなやり方をしたりと、肝心なところで責任逃れをするので、カッコよくありません。

 全体を通して、根底を貫いている価値観がなかったり、その場その場で都合よく主張が変わったりするので、正義と悪の対比がきちんと成立していません。だから没入感がないし、共感もできないんですよね。「うまい料理=味がよい料理」に対し、悪役は味の悪いものを提供するわけではありません。また「うまい料理=料理人と食べる人が信頼関係にある状態」についても、別に誰かが裏切って敵になるわけではありませんでした。そうなると、本作の敵は敵たりえないんですよね。

 バトルファンタジーで気持ちよく倒せる敵は、要するに「気持ちよく論破・圧倒できる悪役」だと思います。「弱者どもは記録にさえ残らん。歴史の闇に消えろッ!」と言った敵に対して「んじゃあ教科書に載るのは俺だな!! かっけー写真頼むぜ!」と、賢さ/強さ/誇りを全部ひっくるめてぶち壊すのは、さぞかし心地よいことでしょう。

 そこで本作の敵を見てみると、格下をたくさん嬲りたい小物です。この思想は本作の価値観にかすりもしないので、敵として出てくる意味がありません。加えて、この敵の価値観をぶち壊すようなこともしていないので、バトル=思想のぶつかり合いとしても見る価値がありません。責任逃れに終始する主人公が「卑怯な手ばっかり使いやがって!」と言ったところで、同じ穴のムジナですし。

 バトルは思想のぶつかり合いだ、というのは私見ですが、いわゆる「なろうチンピラ」にもそういうものは現れています。つまり「強引に女性に迫り、彼女ら自身の意思を無視してものにしようとする行為は良くないと思います。彼らが理解できるよう、力で分からせてやるのがいいでしょう」ってことですね。その後に「ま、自分の意思だし?w女の子が望んでんならオレのものにしてもいいよねwww」って展開になるからクソなんですが。

 自分で設定したテーマと噛み合わないものばかりを描いているので、絵を描くと言いつつガンプラ組みだしたような何やってんの感があります。ジオラマは絵画じゃないでしょ。本作は、どうやっても低劣なものしかできないテンプレと、受け入れられるわけがない価値観を混ぜたものなので、プロが作ったとしても高品質にはなり得ないでしょう。

 本気の本気で「うまい料理=信頼できる料理、味のよい料理」という思考が理解できないんで、そもそもこのネタを扱うのは不可能だったのでは? って思っちゃいますね。学園ものなのに学生にフォーカスしないのも不思議ですし、やたら使われる「晄」の漢字を調べてみたら光・輝とほぼ同じ意味で使い道も同じでした。そこそこに頑張った学生の作品以上のものではない、ってことでフィニッシュですね。メッザルーナ言いたかっただけやろ、ん? 正直に言うてみ?

 これ以後一作も出していない作者を「小説家になろう」と「カクヨム」両方で探してみたのですが、同じペンネームでは活動していないのか、見つかりませんでした。断筆したのかもしれませんね……こういうのがいちばん悲しい。この人に作家として価値があったという意味ではなくて、叶った夢に対するアフターフォローが一切ないこと、ここがちょっと納得いかないなってのが、ラノベの感想を文字で書くようになった当初からずっと変わらない主張です。

 率直な評価をしてしまうと、別に惜しい才能でもないし、代替不可能だとも思いません。そもそもがテンプレコピーですし、厨二臭さやストーリー運びに関しても、上位互換がわんさかいます。完全にブーメランなので、言ったら言っただけ私も傷つく素敵な言葉をガンガン投げていく。この人だけのセールスポイントがあるかと言えば、まあ……見当たりませんね。冗談抜きで、デビューしていいような人ではなかったのではないかと思っています。

 出版社の責任も大きいよね、というまたケンカを売るような言い方をして、この文を締めておきましょう。

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