正解がないもの
仕事も勉強も正解があるからシンプルだ。子育てには正解がない。だからこそ、創造に満ちているのだろうけど、創造に満ちているというと、聞こえは良いが、本当に悩ましい。
悩む必要はないのかもしれない。好きで勝手に悩んでいるのかもしれない。
息子は、非の打ち所がない。それは、私が厳しく育てたからかもしれない。言いたいことが言えずに、私の顔色を窺って行動しているから、非の打ち所がないように見えるのかもしれない。
私は間違いなくHSS型HSPである。どういう方向からチェックしても、疑いようがない。かなり親しい2人に、私の思考行動がHSS型HSPの特徴にはまっているか確認もした。
現在の私は、自分がHSS型HSPだということを自覚したので、人間関係については、ある程度悩まなくなった。
私の人間関係の悩みは、一人が好きだけど、一人でいてはダメになるんじゃないか、という悩みが9割だった。だから、かなり無理をしてきた。好きでもないことを40年間続けた。それでも、友人が少ない自分はどこか欠陥があるんじゃないかと、常に悩んだ。人と交流しないと視野が狭くなるんじゃないかと悩んだ。
40歳を過ぎてたくさん友人がいなくても、片手におさまる大事な友人、家族、仕事の人間関係があれば十分だと気がついた。友人がいるからと言って、視野が広くなるわけでもないことを悟った。
こんな私だから、ママ友との交流は苦行だった。息子が保育園に通っていた頃が、一番きつかった。
息子のためと思って、たくさんの交流をした。家によんだり、およばれしたり、BBQしたり。一般的なイベントはやった。常に、息子が一人ぼっちにならないように。ただ、私のその努力は、息子のためだったのか、確信が持てない。私が一人になりたくなかっただけなのかもしれない。
今は、息子が小学生になり、ママ友グループLINEから退出して、さっぱり縁から退出して快適に過ごしている。
息子もプライベートまで、友達といなくていいと言っている。その息子が言っていることが、本心なのかわからない。私に気を使って言っているような気もする。そうだとしたら、本当に申し訳ないと思ってしまう。
私が息子にできることは、私の顔色を窺わずに、本心を話せる環境を整えることくらいしかない。