自分だけが出来ないという惨めさ

私は発達障害を抱えており、世界で1番不器用なせいで、皆が当たり前のようにこなせる物事をこなせない。

小中高校の実技科目(体育・美術・技術家庭・音楽)が、大の苦手で、授業が嫌で嫌でたまらなかった。

実技科目は、勉強科目と違って、他の人に出来なさが露骨にバレてしまう。
そして、たちの悪いことに、普通にこなせる人(9割)とこなせない人(1割)という二極に分かれる。
出来なさのイメージをテストで表すと、平均点が70点で、9割が50点〜100点、残り1割が0点〜10点という感じ。

皆は出来ているのに、自分だけが出来ない。
子どもの頃から、私は自分が少数の落ちこぼれだと、否応なしに実感させられた。
死にたくなるほどの強い劣等感を感じた。

出来ないことで、教師からは叱られて、同級生からは馬鹿にされて、イジメに近い行為を受けたこともあった。自分が惨めで仕方なかった。
出来ないことは悪いことだと植え付けられた。
出来ない理由は、自分の努力不足や我慢不足だと、言われ続けた。
小学生の頃から、家族以外の他人を信用出来なかった。
心の底から友達と呼べる人がいなかった。
学校の外で遊びに行くのが嫌だが、付き合いで遊んでいた。
二度と子どもの頃に戻りたくない。

勉強は普通程度に出来たから、何とか大学を卒業して、営業・事務職の仕事に就いた。
いわゆるホワイトカラーの仕事だから、不器用さに悩まされることは無いと思っていた。
だが、同僚や顧客と円滑にコミュニケーションが取れない。マルチタスクが出来ない。不注意による事務ミス。タスクのやり漏れ。
そう、皆が当たり前のように出来る仕事が、私は出来なかった。

子どもの頃と同じ状況に陥った。
仕事が嫌いで嫌いで、たまらなかった。
クレームに繋がるようなミスは無かったが、
自分だけ普通ではないという惨めさを痛感しながら、毎日仕事に取り組んでいた。

私の会社は、6〜7年目で8割が主任に昇格するという人事評価だから、2割の落ちこぼれを生みだしてしまう。
落ちこぼれになる訳にはいかなかった。
皆と同じで無ければならなかった。
自分だけ出来ない訳にはいかなかった。
嫌いでも我慢して、皆と同じ量の仕事をこなすように取り組んだ。
過去の失敗への復讐心で一杯になりながら。
そして、あまりにも我慢しすぎて、脳内炎症を起こして、うつ病となった。
主任には昇格できなかった。
うつ病の治療の中で、発達障害(ASDとADHD併発)を抱えていることも明らかになった。

発達障害のせいで、自分だけが出来ないと劣等感を沢山感じさせられたせいで、
少数の落ちこぼれを生み出す評価制度が嫌いになり、口うるさく批判するようになった。


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