平成?昭和?のような人との繋がりを感じた。

 「遠くの親戚より、近くの他人。」
そういう言葉を聞いた事があるんですけどね、
僕はまさにそれを幼い頃から、常々実感して育ってきました。

 オカンは高知県出身で、オカンの方の親戚は現役で農業を営んでいて、仲は悪くは無かったけど何かあったからと言っても頼れる距離では無いのです。
 そして、オトンは佐賀県と福岡県で暮らしていて中学卒業と同時に大阪に来たらしい。
オトンの方の親戚は、オトンと同じく一同大阪に住んでいて、近くにいるといえばいるのですが、あまり関係が良く無かったんです。
 
 そんな事もあって、僕にとっては幼い頃の近所のおばちゃん達は、親戚以上に僕の世話をしてくれて可愛がってくれてましたし、僕もそんなおばちゃん達に懐いていました。

 色々な思い出がたくさんあります。
僕が小学校から帰ったら、家にオカンがいてなくて、家に入れなくてドアの前でボーッとしていたら「どないしたん?お母ちゃんおらへんのかいな?」と言って、僕が「そやねん。鍵持ってへんからオカン帰って来るまで入られへん。」といえば「それやったら早よ言うてきたらえぇねん!ほらうちおいで、なんか飲むか?」と、甘いコーヒーをご馳走してくれたり、果物やお菓子をくれたりして、僕に構ってくれました。そんな関係のおばちゃんが僕には2人いてました。
 ちなみに、僕が人生で初めてカラオケに行ったのは、小学生の頃そのおばちゃんに連れて行ってもらったのです。うちはオカンもオトンもカラオケなんて行かへんかったので、その事を話すと「なんや、カラオケ行った事無いの?ほな連れてったるわ!」という感じで、連れて行ってもらったのが、人生初のカラオケでした。

 そんなお世話になったおばちゃん達。
約10年ぶりに実家に帰ってきたら、そのうちの1人のおばちゃんはどうやら認知症が酷くなったみたいで最近いつの間にか施設に入ったというのを聞きました。
 そしてそれを教えてくれたのは、もう1人のおばちゃん。おばちゃんといっても、もう80歳を過ぎて、腰が曲がって杖やシルバーカーを使って外を歩いてるけど、まだまだ元気。
僕にとっては今も昔も「おばちゃん」で、
おばちゃんにしたら今も昔も僕は「パニック君」36歳で、嫁も子どももいてるおっちゃんと呼ばれる年の僕を、昔も今も変わらず気にかけてくれるそのおばちゃん。

 オトンが入院して、それで家の電気やガスやらを停止する手続きや、オトンが死ぬのも覚悟していたので、家の中の大事なものを整理しに実家に帰って来たとき。ドアの外から「パニック君、いてるんか〜!おばちゃんやけど、ちょっと開けて〜!」と、僕のバイクが外に置いてあったので、気になって様子を見に来てくれたおばちゃん。その時の事は今でも忘れていないです。

 僕はおばちゃんに全て話しました。
僕が、オトンが死にかけてるのを見つけてオトンはそのまま入院した事。
オカンはだいぶ前に施設に入った事。
僕はマイホームから出て別居してる事。
 
 そしてもう自分では受け止めきられへんくて精神的に参っている事。泣きながらおばちゃんにその時話しました。

 おばちゃんはその時、もらい泣きしてくれて「あんたもしんどいなぁ。なんでそないな事になってもうたんやぁ。でもな、パニック君、男やったら頑張りや!!今頑張らなあかんで!!」と泣きながら励ましてくれたおばちゃん。

 それからしばらくして、僕はオトンと一緒に実家で住む事になって、おばちゃんのところに久しぶりに挨拶に行きました。

 そして昔と変わらず、甘いコーヒーとお菓子をくれたおばちゃん。お互いの近況報告をしながら、ダラダラと話していたら、気がつくと3時間以上話していました。
 それで、ぼちぼち帰ろうとしたら「ちょ、待ちぃな!今日は豚汁炊いたんや!ちょっと持って帰るか?」と笑顔で言ってくれたおばちゃん。流石にそこまでお世話になるのは気が引けたのと、その日は夕食の準備を僕もしていたので、丁重に感謝の言葉を伝えてお断りしましたけど、その気持ちがめちゃくちゃ嬉しかったです。

 そんなおばちゃんとは、会えば必ず喋ります。ほんまに他愛も無い事を。それとおばちゃんには全部話します。仕事に行けなくなった時も、パニック障害で仕事を休んでいた事も。
 それでもおばちゃんはいつも変わらず接してくれます。
僕がどんな時でも「パニック君」として、親戚の子どものように優しく笑ってくれます。

 僕が、パートとして仕事にまた行けるようになった頃、たまたま朝のゴミ出しをしてたおばちゃんに「おばちゃん、やっとまた働けるようなったで!今から仕事やねん!」と言うと、
「そうか、良かったやんか〜!どないや?仕事は楽しいか?」と言ってくれました。
「仕事行けるんは、やっぱり良いな。今は何より働けるんが嬉しいわ。」というと、おばちゃんは笑って「そうか!ほな、気をつけてな、いってらっしゃい!」と送り出してくれました。

 だから僕は、おばちゃんと携帯番号を交換しています。「何か困った事あったらすぐ呼んでな。」と、そしてお願いもしています。
 「もし僕がおらん時、オトンに何かあったん気づいたりしたら教えてくれへん?」とも。

 おばちゃんは、周りの変化に鋭いのです。
あと、噂話も大好きです。笑


 そんなおばちゃんから、僕が仕事から帰って家にいてる時に着信がありました。
「パニック君、おばちゃんやけどちょっと助けてくれへんか?ちょっとうち来てくれへんか?」と言われたので、僕は急いで行きました。
 どうやら、おばちゃんの家の中の引き戸が外れてそれが重くて直せなくて困っていたそうでした。「ごめんな〜、疲れてんのに。おばちゃん頑張ってみてんけど、直されへんのよ。」と言って苦笑いをしていました。
 「別にかまへんよ〜。なんも気にせんと呼んでな〜。」そう言って引き戸をレールに戻して「またなんかあったら言うてな〜。来れる時はいつでも来るで〜。」と言って帰ろうとする僕に「ちょっと待ち!御礼や!お父ちゃんに言わんとあんたが食べや!」と桃を1つくれました。
 「ありがとう!絶対オトンにあげへんよ!僕が食べるわ!」と言うと「そやで!そうしいや!隠して持って帰り!」と言うので、僕は桃を服の中に隠すように入れて2人で笑顔でバイバイしました。


 僕はこのおばちゃんには心から感謝しています。そしてこのおばちゃんが大好きです。
 実家に戻って来て、最近のご近所情報もおばちゃんから聞きました。ヤ◯ザの事務所には気をつけてなとも念を押されました。
それと、近くでお米、冷凍食品、食料の安い店も教えてくれました。

 こんな時代でも、まだおばちゃんみたいな人と繋がってる僕は幸せです。
またいつでも、引き戸が外れたりしたら呼んでくれたらすぐ行くつもりです。


 あの桃は、冷蔵庫でしっかり冷やして次の日の朝に食べました。めちゃくちゃ甘くて、めちゃくちゃ美味しかったです。
その事もまた、おばちゃんに会ったら喋ろうと思います。

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