性淘汰で考える奢り奢られ論争

読んだ。

執筆時点では「奢り奢られ」からは戦線は移動し、今では「はてなブックマークにブコメ返信機能が欲しい」というどこかで聞いたことのあるネタが中心となっている。だがこのnoteでは「奢り奢られ」に話を戻そう。

上記noteでは理屈で考えるなら考えるな男女平等として「割り勘が妥当」であり、市場原理で考えるならば「立場が弱い方が出す」となっている。

俺はこの主張に概ね賛成だが、より市場原理の要素が強いと考えている。さらに言えば、自然にゆだねていると競争になりがちであり、集団全体の幸福度が下がる。だから意識的に抗う必要がある、と。

先に述べておくと、この主張は『ダーウィン・エコノミー』が元になっているので、より深く知りたい人は本書を読んでもらいたい。

自然界においても、メスが選ぶ側、オスが選ばれる側となる種は非常に多い。そういった種ではオスがメスのために一生懸命に頑張って何かしらのアピールをすることになる。それこそ食事を奢るがごとく餌を持ってくるとか、立派な家を作るとか。あるいは自らの身体に投資し、角や尻尾を大きくするなど。

この手の生物で俺が好んで例として出すのはコクホウジャクである。この鳥はオスの尾羽が長いことで有名だ。

Derek Keats from Johannesburg, South Africa, CC BY 2.0

コクホウジャクのメスは、相対的に長い尾羽を持つオスに惹かれる。ここで重要なのは「相対的」ということだ。ある程度の長さがあればいいのではなく、他のオスよりも長いオスに惹かれるのである。

ゆえにオスは限界まで尾羽を伸ばした。他のオスよりも1cmも長くなるために (もちろんこれは説明のための表現であり、実際は意図的に伸ばしたわけではない) 。このことはオス全体にとって損な結果をもたらす。

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