インターネット市民権の剥奪
まだ凍結が継続している。
こうして凍結されて思ったが、俺にとってTwitterアカウントはネット市民権と言いたくなる。それくらいあって当たり前のものであるし、無いと様々な権利が奪われる。
もちろんここで念頭に置いているのはローマ市民権だ。Wikipediaによれば、ローマ市民権を持つことによる権利は主に以下がある。
選挙権・被選挙権
婚姻権
所有権
裁判権・公訴権
人頭税・属州民税の免除
Twitterがこれら権利を一つ一つ再現しているとは思わないが、とはいえネットにおける発言権を失ったかのような感覚があることを考えると、やはり市民権でないかと思う。
ここで発言権を失ったと言うと、疑問に思う人もいるだろう。自分が今読んでいるのは、お前の発言ではないか。それなのになぜ発言権を失ったと言えるのか、と。
これはもっともである。Twitterはインターネットでなければ、日本で最も利用されているSNSでもない。1位はLINEで2位がYou Tube、Twitterは3位だ。Twitter凍結で声を届けられなくなるのはTwitterにだけ。一部の世界の話だ。
そうであるにも関わらず、一つのサービスに過ぎないTwitterを使えないだけで発言権を失ったかのように思うのは、Twitterが帝国的なサービスであるためではないだろうか。
ここから先は
726字
/
6画像
この記事のみ
¥
100
人に対し何かをしてあげるという事は、全て「見返り」を期待しての行為だ。noteのサポートは文章を読むための「見返り」である。