素人が知識を共有する意義

見た。

「面白さと正確性のトレードオフ」や「基礎を軽視している」といった話が飛び出し、俺にとってはかなり刺さるものだった。規模や発信方法は違えど、俺も似たようなことをやっているため、同じ問題を抱えているのだ。

しかも本しゃぶりの場合はよりこの問題が出やすいコンテンツとなっている。『ゆる言語学ラジオ』はその名の通り、言語学に関連する話題でまとまっている。しかし、本しゃぶりは毎回バラバラで、直近の5記事を見てもまとまりがなく、中には本が1冊も出てこない記事もある始末。どうしても薄い知識で語ることになる。

さらに監修の先生もいないとなれば、正確性は推して知るべしと言えるだろう。それなのに俺のような素人が情報発信する価値はあるのだろうか。昔とは違って、今は専門家が気軽に情報発信している時代であるというのに。

もちろん、俺は価値があると思っているからやっている。

価値の一つは「視点」の提供だ。やはり専門家と素人では、目の付け所が異なる。それに俺はその分野Aでは素人だとしても、別の分野Bでは分野Aの専門家より知識が豊富かもしれない。そうすると俺は分野Bの観点から分野Aに関して語ることができる。これは十分に価値があると言えるだろう。

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