尻叩きの関係性
昨日に引き続き今日も尻叩きについて書くか。
上の記事ではタイトルの通り、教育にまつわる尻叩きについて書いた。今回は尻叩き全体を通しての感想を書きたいと思う。
とはいえ、これはなかなか難しい。前回も述べた通り、尻叩きの役割は多岐にわたるからだ。本書の章立てを見てみよう。
第一章 幼児期から……
第二章 ……放埒まで
第三章 修道院で
第四章 医師のもとで
第五章 街角で
第六章 シンボル
第七章 そして今は?
懲罰として使われる一方で、愛情表現としても使われる。聖職者や医師が推奨していた時代もあった。素手だけでなく、鞭や杖など道具が使われることもある。そんな尻叩きの多様性を本書は紹介する。いったいどの観点ならば全体を通して語ることができるだろうか。
そう思いながら本書をパラパラとめくっていると、ふと気がついたことがある。尻叩きは拘束とセットになっている、と。
一人で拘束と尻叩きを兼ねる場合もあれば、二人以上で役割を分ける場合もある。中には器具を使うこともある (拘束も尻叩きも)。もちろん中には拘束しないパターンもあるのだが、尻叩きと拘束は密接な関係にあると言っていいだろう。
なぜ尻叩きは拘束とセットになるのか。おそらく拘束することで、一方的に叩くことができるからだろう。そしてこの「一方的」が尻叩きの本質なのかもしれない。
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