『でも、わたし生きていくわ』 コレット・ニース=マズール 作エステル・メーンス 絵 柳田邦男 訳 文溪堂
ピーターとアンナと7つのわたしの三人兄弟。
お父さんとお母さんは、突然の事故でいなくなってしまった。残された3人は、それぞれ、ばらばらに親戚の家に暮らすことになって、わたしは、
パリスとカーリィとララのいとこがいるジーンおばさんの家にいくことになった。
“あなたは、わたしの4番目の子よ”
優しく招き入れてくれたみんな。毎週末には、わたしの兄妹と会うようにもしてくれた大人たち。
わたしの息子もちょうど7つ。
物事がわかってき始めた頃、会話もできるようになる年齢、けれど、理解というより、こころの拠り所の親が居なくなることは、理解なんていうものじゃないはずだ。
いきなり、うちの子に。っていわれても、できない。でも、わたしが大人だったら、そう言いなが受け入れるとも思う。それくらいの想いで、あなたのことを大切にするよ。という気持ちで。
事情を隠す大人もいる。けれど、子供はうすうす気づいている。ならば、話したほうが良いこともある。それは、様々だし、きっと正解はない。
引き受けた大人たちは、それぞれの子供たちに、アルバムをみながら、亡くなった、お父さん、お母さんの思い出話をする。
みんな、嬉しそう。
どんなふうに伝えるか。生きている人ができること、居ない人を悪くするか、良くするかは、伝え方次第だと思う。
仲良くなった学校の友達クララは、よく根掘り葉掘り聞いてくる。
“いつお父さん、お母さん死んじゃったの?
妹と弟はどこにいるの?”
それも、クララにとっては悪気はなくて、ただただ聴きたくて聞いただけ。
“弟も妹も離れているけど、いつも心は繋がっているよ。お父さん、お母さんも、死んじゃったのは悲しいけど、それでも、私は今、しあわせ。”
7つの私は言えるだろうか。
7つなりに考えている。1人で眠る時は、寂しくて涙が出ることもあるけど、それでも、生きていく。
不慮の事故、離れ離れ、意図していないことが起こることは、年齢に関係なく、誰にでも起こる。
その時に、誰と出会うかで、その意味さえも変わってくる。 消化することは出来なくても、うまく折り合いをつけながら生きていくことは、子供でも知らず知らずにやっている。
あなたは愛されている。
という、自己肯定感がしっかり備わっているかどうかで、生きる底力は決まってくる。
血の繋がり関係なく、そばにいる人を大切にすること。みんな、愛されているんだから。
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