『悲しい対馬丸の話』 ✴︎命こそ大切✴︎ 文/久野登久子 山本和昭 英文/松平恒忠 絵/佐藤八重子
空爆、地上戦、、、戦争には色んな形があるなかで、対馬丸という船が沈没した、これもまた戦争の歴史です。
小学校も幼稚園も兵隊さんが使う場所になって、倉庫で勉強をする子供達。言われるがままに、純粋に従う子供の健気さよ、、子供には罪はないのになぁ。
戦争が激しくなると、沖縄に残るか疎開をするか、それぞれの家庭で話し合いが行われていたそうです。 家族の中でも残る者、離れる者、そこでも引き裂かれてしまうのです。
長崎に疎開先が決まった人たちが乗り込む船が、【対馬丸】
”汽車がみれるぞ” ”雪をみたい”
元気な声があちこちから聞こえて来た船の中、子供達は大きな船に乗って、期待する疎開先に心弾んでいたのかもしれません。
1600人あまりの子供と大人。
【学童疎開】
翌日の夜に、いきなり敵の潜水艦が現れ、そして放った魚雷は命中、船には水が入ってきてどんどんしずんでいきます。
”海に飛び込みなさい!”
いきなり言われても、大きな海原に身を投げ出すなんて大人でも無理です。子供達はきっと怖かったでしょう。いかだに捕まり、荷物を浮きの代わりにしたり、、、
6.7日流され続け、奄美大島で助けられた人たちは、ほんのわずか。亡くなった人の数、 1600人のうち、
”子供775人” ”大人643人”
1944年8月22日 対馬丸沈没。
1945年4月1日 米軍が沖縄に上陸。
1945年6月23日 慰霊の日 沖縄戦 日本軍最高司令、牛島中将が敗戦を決め自決する。 沖縄では、敗戦の日。とする。
巻き込まれた子供、大人。
失われた命。
意味もわからず、流されていくことの危うさ。 従わなければいけない、という、絶対服従の世界。
私たち一人一人に命があって、言葉がある。
戦争は、その多くの自由を奪っていくことだけども、”戦争”に限らず、そんな思いをすることが、今の暮らしをする中にも、感じることがあります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?