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9本に分かれて流れていた羅漢寺川下流部(「東京人」2020年10月号記事補足)

 「東京人」2020年10月号は「東京暗渠散歩ーまちの記憶を旅する」と題した、暗渠特集。白汚零さんの幻想的な写真に始まり、盛り沢山の内容となっていますが、その中で私は「東京の暗渠空間学」と題した概論記事とおすすめコース3箇所「神田川支流」「羅漢寺川」「四谷用水」の執筆、そして細馬宏通先生との水窪川巡り&対談でかかわらせていただきました。  おすすめコースはそれぞれ2ページの分量で載せられる情報も写真も限られていましたので、その中で羅漢寺川について、下流部の9本の分流の紹介と

    • 代々木川問題ーその呼び名は正しいか?

       かつて新宿駅の南西から流れ出し、小田急線南新宿駅〜山手線代々木駅南方を経て原宿で渋谷川に合流する、渋谷川支流の小川があった。この川には玉川上水から2本の分水が接続され、2つの並行して流れる水路の間に水田が続くという、典型的な谷戸の河川だった。川は昭和初期から1960年にかけて暗渠化されている。この川の名前に関して、「代々木川」と記されているのを時々見かける。  この「代々木川」という呼称は、1966年に刊行された「新修渋谷区史」が初出と思われる。しかし、この名称はおそらく

      • 鶴が久保の真相

         これまで暗渠探索者や地形散歩者の間で、「神田川支流」(玉川上水幡ヶ谷村分水、一名「和泉川」)の源流、代田橋駅北側に東西にのびる浅い谷筋は「鶴が久保」と呼ばれてきた。これは杉並区郷土博物館刊行の書籍「杉並の川と橋」(2009)での記載に拠るもので、同著によれば、近くにある「日大鶴ヶ丘高校」もその地名に由来するとされる。私も数年前までは著作や記事などでこれにならい「鶴が久保」と記してきた。  しかしよくよく調べてみると、日大鶴ヶ丘高校は1954年にこの地に移転してきており、そ

        • memo:八重山の仮面来訪神「アカマタ・クロマタ」と秘密結社

          2006年秋に書きかけていていた文章。およそ12000字。 ーーーーーーーー  八重山に台風3号が来襲した際、沖縄の新聞社のサイトに下記のような記事が出ていたのが目に留まった。 ============================= 十日から三日間、一年に一度の豊年祭を催していた新城島では、海の便の欠航で祭りに参加するため島外から訪れていた約三百五十人が足止めされている。  普段は人口七人の同島だが、祭りの時は島外に出ている出身者たちが古里で一堂に会するのが習わ

        9本に分かれて流れていた羅漢寺川下流部(「東京人」2020年10月号記事補足)