memo:八重山の仮面来訪神「アカマタ・クロマタ」と秘密結社

2006年秋に書きかけていていた文章。およそ12000字。
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 八重山に台風3号が来襲した際、沖縄の新聞社のサイトに下記のような記事が出ていたのが目に留まった。
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十日から三日間、一年に一度の豊年祭を催していた新城島では、海の便の欠航で祭りに参加するため島外から訪れていた約三百五十人が足止めされている。

 普段は人口七人の同島だが、祭りの時は島外に出ている出身者たちが古里で一堂に会するのが習わしだ。祭りを終えた十二日午後にはほとんどの人が島から出る予定だったが、船が欠航したため丸一日延泊を余儀なくされた形だ。

 同島の自治組織である公民館の島仲信良館長は「島を訪れている人はみんな島出身者。島の二十八軒の家に分かれて宿泊している。今のところ食料も十分ある。十三日中に船が出れば問題ないのでは」と話している。
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 新城島は八重山諸島の島々のひとつで別名「パナリ」とも呼ばれ、上地島・下地島の2つで構成されている。かつては数百人が暮らしていたが、戦後急速に過疎化が進み、現在は上地島に数人が暮らしており、また、下地島は全島が牧場になっている。元島民の多くは船で20分ほどの距離にある、西表島大原集落に移り住んでいる。
記事で話題になっているのは上地島だが、定期船は就航しておらず、豊年祭のときには西表島大原から臨時船が運航される。 記事にある28軒の家は、ほとんどこの祭りのときのためだけに、日々暮らしているわけでないにかかわらず維持されており、 また島に残って暮らしている数名の人々は言ってみれば聖地と集落を守るために残っているようなものだ。

 この豊年祭は草装の仮面神「アカマタ・クロマタ」の出現する秘祭として知られている。祭祀組織はパプアニューギニア等でみられるいわゆる「秘密結社」的なものとされ、島民の結束は固い。 部外者が祭りを見たり、祭りの具体的内容を島外の者に漏らすことはかつて、かたく禁じられており、現在でも見学こそ厳格な制限のもとにできるようになったものの、いまだ撮影・録音・メモは一切禁止されていて、祭の全貌は明らかでない。 (とは言っても、数えるほどではあるが学術的研究などに限って、撮影や内容の一部の記録が許された例もある)

 八重山に通うようになってこの祭りに興味を持ち、いつか見に行きたいなと思いつつ、記録を調べ漁ったり、行ったことのある人の話をきいたりした時期があった。
 「アカマタ・クロマタ」は八重山地域で新城島を含め4箇所の豊年祭で出現するのだが、調べれば調べるほど、それは「沖縄化」される前の八重山文化の古層を示す痕跡なのではないかと思われた。
 沖縄は日本の文化の影響を受けつつ、日本とはかなり異った固有の歴史・文化を醸成してきたわけだが、八重山もまた、沖縄本島の文化の影響下にありながらも、本来はそれとは異なった文化・歴史を持っていた。そのことを象徴しているのが、「アカマタ・クロマタ」だろう。

 この記事を目にする前後、なぜか周囲でアカマタ・クロマタの話題が続いた。知人が興味を持って調べていたり、別の知人が新城のアカマタ・クロマタを取り上げたムックを紹介していたり。 そんな流れで手元の資料を見直す機会があったので、この日記で「アカマア・クロマタ」を紹介してみようと思う。興味がおありの方はおつきあいを。ただ、すべての資料が手元にあるわけでなく、またきちんとまとめる時間もないので、覚えている内容をメモ程度にざっくり書き記してみることにする。

 アカマタ・クロマタは、一般には「ニロー神」「ニイルピトゥ」「世持(ユームチ)神」と呼ばれている。「ニロー」「ニイル」とは根の国、ニロースクの意味で、ニライカナイと語源を同じにし、現世に豊穣をもたらす常世の国を指す。
  アカマタ・クロマタの神事は、西表島古見が発祥の地と伝えられる。古見は現在は寒村だが、八重山で最初に人が住み着いた土地ともされ、かつては八重山の政治経済の中心地だった。神事はここから住民の移住に伴って各地に伝播した。まず新城島上地と小浜島(小浜島の名前はもともと「クンモーマ」で、「小さい古見」の意味だったとされる)に伝播し、小浜島から西表島高那、野原、新城島下地に伝播した。石垣島宮良集落には小浜島住民が明和大津波(1771年)後に強制移住させられたときに伝播した。
 また一説には西表島仲間、南風見でもアカマタ神事が行われていたとされる。南風見は1734年に波照間島からの移民で創設された村なので疑問が残るが、仲間は小浜島、竹富島からの移民により創設されたとの伝承があるので、実際行われていたのかもしれない。
高那、野原はマラリアの流行により20世紀初頭には廃村となり、新城島下地は戦後島民全員が西表島大原に移住し、廃村となった。
 したがって、現在アカマタ・クロマタの神事が行われているのは西表島古見、新城島上地、小浜島、石垣島宮良の4ヶ所となる。 

あかまた関連

 


いずれの集落でも、ニロー神は豊年祭(プーリー/プーリン)のときに出現する。豊年祭とは、神に対して農作物の収穫を感謝し、次の収穫の豊作を予祝する宗教儀礼で、八重山全域の各地で行われる祭りだ。内地でいう秋祭りに相当するが、八重山の農業は冬暦(秋に種をまき、初夏に収穫する)なので、5~7月に行われる。奉納行事などの際に、仮面神「ミルク神」が登場する地域が多いが、ニロー神の登場するこれら4地域ではミルクは登場しない。

 古見では親神のクロマタ、子神のアカマタ・シロマタの3神、新城島上地では親アカマタ・クロマタと子アカマタ・クロマタの4神、小浜と宮良ではアカマタ・クロマタの2神(夫婦とされる)とその数は異なっている。また、容貌も島によってだいぶ異なっているが、共通点としては、全身2メートルから2.5メートルほど。恐ろしい形相の仮面をつけ、全身を植物で覆っている。仮面の色は名前の通り白、黒、赤をしている。新城の親アカマタ・クロマタは角が生えていたり、古見のクロマタとシロマタ・アカマタはまったく異なった姿をしていたりする。ニロー神は鞭や棒を持っていて移動するときに振り回す。この鞭に触れると1年以内に死んでしまうといわれる。豊穣と死の両面を持った神である。

 アカマタ神事の発祥の地とされる西表島古見では、親神クロマタと、子神シロマタ・アカマタで、異なった伝承がその由来として伝えられている。 
[クロマタの由来]
 山に狩りに入った青年がそのまま帰って来なくなった。ある晩、行方を案ずる母親の夢枕に青年が現れ、自分は神となってしまい、帰れぬ身となった、年に1度、6月の決まった日にだけ村の外れに姿を現すので、そこに会いにきて欲しいと伝え、消えた。言われた日にその場所に行ってみると、確かに青年の姿が一瞬だけ現れた。
この後毎年青年の姿が現れたが、年によってその場所は異なっていた。そのうち、豊作の年には村に近い場所に現れ、凶作のときは離れた場所に出現するということがわかった。このことに気がついた村人は、青年の化身の神が村の近くに現れてくれれば、豊作になるのではないかと考えた。そこで神のかたしろとなる面を作り、自分たちで神を演じることとした。それからというもの青年の化身の神は現れなくなった。これは面に神が宿ったためである。
[シロマタ・アカマタの由来]
 古見の村民と小浜の村民が乗った船が安南(ベトナム)に漂着した。現地で歓待を受けしばらく過ごしているうちに、地元の豊年祭に遭遇した。そこでは稲という穀物が収穫され、仮面神が祀られていた。これを見た村民たちは、稲穂と2つの仮面を盗み持ち帰った。2つの面は、古見と小浜の村民でを分け合う約束だったが、古見の村民は帰島後仮面を複製し、そちらの面を小浜に渡した。以来、シロマタ・クロマタの仮面神が豊年祭に出現するようになった。
このように、稲作の由来と結びついているのが特徴的だ。ちなみに穀物栽培の起源に「盗む」行為が語られている神話は世界各地に存在している。

 新城では、アカマタ・クロマタの面は南支那の水田の案山子の面を盗んだものとの伝承が残っている。また、小浜では、島民2名がベトナムに漂着した際、地元の豊年祭に出現した仮面神の仮面を盗み帰ったとの伝承が残っている。いずれも古見のシロマタ・アカマタの伝承と類似している。

 なお、1971年にNHK取材班がベトナム南部の村に撮影に入った際、現地の豊年祭に黄色い面3体、赤い面2体、黒い面2体の仮面神が出現している様子を撮影しているという。これらの仮面神はかずらの蔓や木の葉で全身を被い、角を生やし、杖を持っていたそうだ。現地は稲の3期作を行っていて、それぞれの収穫のさいにこの仮面神が現れるという。この話からすると、アカマタ・クロマタの容姿のルーツは実際にベトナムの仮面神と関係ありそうだ。

つづいて各島の神事の概要。先に述べたようにいずれも豊年祭の期間内に出現する。

【古見の場合】
 豊年祭の初日「オンプール」の日は、他の島の豊年祭と同じく、神司を中心に、各御嶽を回り神事が行われるが、夕刻、旧家に保存されている仮面が、ニロー神出現の地に移される。二日目「ムラプール」の早朝に、各御嶽に祭祀結社員が集まり、新たに入団するものの審査が行われる。他の島と違い、3神それぞれは3組の御嶽-拝所に対応している。その後、浜で船漕ぎの神事がある。赤マタ、白マタ、黒マタに対応する3艘に分かれ、9回漕いで沖にでる。のちハーリー(爬竜船の競争)も行われる。
 この日の夕刻、森の奥深く「ウムトゥ」で赤マタ、白マタ、黒マタが生まれ、浜沿いに進み集落へ入っていく。生誕儀礼の詳細は明らかにされていない。結社員のうち新入りは、神の生誕には立ち会ず、近くで待機し、道行きに加わる。道行きの間、銅鑼や太鼓が打ち鳴らされ、ユンタが歌われる。黒マタは単独で、赤マタ、白マタはペアで行動する。両者は途中で会ってはいけないとされる。他の地域と違い、旧家のみ訪れる。結社員以外の村民は旧家で神の来訪を待つ。他の島と違い、神々は深夜には森に戻ってしまう。村民たちは名残惜しくこれらの神々を見送る。3日目には秘密結社の入団式が行われる。

(注)
御嶽(うたき/おん):集落の守り神などを祀る聖域。通常は森に囲まれており簡素な拝殿と、神が降臨もしくは滞在する聖域「イビ」で構成される。日本の神社の原型に近いが、神事の際以外の立ち入りは避けられ、また特に「イビ」は女性しか立ち入ることができない。御嶽に滞在する神を拝むための「拝所」がある場合もある。特に区別せずに御嶽と呼ばれることも多い。

ハーリー:八重山各地で行われているハーリーは、旧暦5月4日に行われる、沖縄本島糸満の漁民の移住により伝わったものと、豊年祭や節祭の際に行われているもともとあったものの2種類があり、性格を異にする。
古来より古見とかかわりの深い波照間でも、節祭の際に船漕ぎで3艘の船が「9回漕ぐ」という神事が行われていて、関連がありそうだ。

「オンプール」と「ムラプール」:八重山の豊年祭の一般的な形式としては、初日は「オンプール」と呼ばれ、司を中心にして、御嶽において神に対し1年間の豊作への感謝の意をささげる。二日目は「ムラプール」と呼ばれ、村をあげての奉納芸能や綱引きなどによって、翌年の豊作への予祝(先に祝っておくこと。まだ実現していないことを先に祝っておくことで、そのことが現実となるという考えにもとづく)が行われる。

【新城の場合】
豊年祭初日(オンプール)日中は、古見と同様に神司を中心とする御嶽での神事と獅子舞。それが終わると島の各戸は雨戸を閉め切り、忌み籠りに入る。結社員により、ビタケ御嶽の奥の「ナビンドゥ」でアカマタ・クロマタ生誕の秘儀が行われる。厳重な警戒態勢が敷かれ、結社員と司以外は見ることができない。その内容は明らかにされていない。結社員はこの日より家に帰ることもなく不眠不休で行事に立ち会う。夜明けにアカマタ・クロマタが「生まれる」。決して海の彼方などから来訪するのではないのがポイント(後述)。
2日目の夕暮れにビタケ御嶽(ナハオガン)の前庭に村人が集まる中、まず子供のアカマタ・クロマタがイビの門(月と太陽のかたどりがある)から出現し、結社員の歌にあわせ緩急の動きをする。この後親のアカマタ・クロマタが出現する。4体の神は旧家を訪問した後、各戸を順々に訪問していく。
ひととおり廻ると既に夜明け前。ナビンドゥに続く神道沿いに火が焚かれ、見送りの歌の中、神はナビンドゥに去っていく。なお、期間中に秘密結社への入団式が行われている(いた)。詳細は明らかにされていない。

【小浜の場合】
豊年祭の4日前に、秘密結社への入団対象者の審査が行われる(本人は出席せず)。豊年祭初日は古見と同じく司による神事。未明に仮面が旧家からナビンドゥ(鍾乳洞の洞窟)に運ばれる。仮面4年に一度デイゴの木から作り直され、古い仮面はナビンドゥに保存されている。ナビンドゥでは翌日にかけて、仮面に化粧が施され、衣装などの準備が行われる。新たに入団した者はナビンドゥを訪れ、4つの関門で試練(イニシエーション)を受ける。夕方になり、ナビンドゥの入り口に村人が集まる中、アカマタ・クロマタが出現する。最初は少し顔を出しては引っ込み、9回目でようやく姿を現す。神は旧家を訪れた後各家をまわる。途中からは赤マタと黒マタが別行動となる。2神は最後に再び旧家に戻り、2神が「むつぁーる」(交わる)。こののち、夜明けにナビンドゥに戻っていく。

【宮良の場合】
資料がみあたらなかった。詳細不明。

つぎは秘密結社について。

前に書いたもののほか、下記のような伝承が残っている。

小浜島での発祥の伝承
 古見と同じく、南蛮の島から仮面を持ち帰ったことになっている。一説では島民数名が遭難したが、島に無事帰り着いたのは1名のみで、その者が盗み帰った仮面を村の西方、ウフダキ(大岳)の麓の洞穴に隠して祈願したところ、彼の田畑は豊作になった。家族が問いつめたところ男は仮面の秘密を打ち明け、以後この仮面を島で祀るようになったという。祭の際に唄われる神歌の歌詞に、仮面が安南、マナバンからの伝来であることがうたわれている。一方、祭りの唄の歌詞に「ンガトゥ親に始まり、ギシャトゥ親に始まる」と唄われている部分があり、仮面を持ち帰ったのはこの2名との伝承もある。

新城島上地での発祥の伝承
 金城津能赤頭という男が首里王府への貢納の帰路に遭難、その際、漂着した南支那で祭りを見て島に伝えた、との伝承もある。小浜と同様、古見のシロマタ・アカマタの伝承と類似している。

新城島下地での発祥の伝承
 小浜島の神司が島の男に片思いをされたが、ふった。男はふられた腹いせにちょうどそのとき小浜で流行った悪疫をこの司の信仰不足のせいにした噂を流し、司は下地島に流罪となった。
司は旧暦六月になると、故郷の小浜島を想い、アカマタ/クロマタの面に似せた面を作って拝んだ。すると、以後下地島は小浜よりも遥かに豊作に恵まれ、一方司のいなくなった小浜は凶作が続くようになった。噂が嘘であることに気がついた島民は司を島に呼び戻した。司は最初は断っていたが、度重なる願いに小浜に戻ることとし、新城の島人に、今後もアカマタ/クロマタの面を拝むように言い残した。
豊年祭の際にアカマタ/クロマタが去って行く場所「ヤナホウ」はこの司の暮らしていた場所ないしは墓であるという。

古見のクロマタの伝承の異伝
 子供に恵まれない夫婦が御嶽の神に子を授かるように祈り続けたところ、子が生まれた。その子は大きくなるとしょっちゅう御嶽に行って遊ぶようになり、これを親が咎めたところ、その日から姿を消した。
両親は嘆き悲しんでさんざん探したがその甲斐はなく、見つからなかった。やがて年に1度だけ、その子の姿が現れるようになった。その場所は年によって異なり、そのうち、集落に近いところに現れると豊作となることがわかったため、村人はその子の姿を仮面に模して、祀るようになった。

 こうしてみると、古見のクロマタの伝承だけが異彩をはなっている。他はすべて、海を経由した、南方からの渡来をその由来としているのに対して、古見のクロマタだけは「山の神」的な由来をもっている。また、かなり説明的である。古見の集落はかつては士族と平民の集落に分かれており、クロマタは士族集落に、シロマタ/アカマタは平民の集落に出現していた。また、明和の大津波以前に記された記録では、古見でもアカマタ/クロマタの2神しか出現しないように記されている。このことから、明和の大津波以後の集落の再編時に神の出現形態も操作されて、士族集落に親神クロマタが出現し、平民集落に子神シロマタ/アカマタが出現する(シロマタはクロマタの代わりとして新たに創作)といった上下関係をもつ型式につくりかえられ、このときにクロマタについて、既存の何らかの伝承を結びつけたか、あるいは新たな創作によってクロマタの発祥の伝承がつくられたのではないかという説もある


アカマタ/クロマタの秘密結社
 
 アカマタ/クロマタの祭祀は、主に男性で構成される結社組織によって行われる。八重山諸島での神事は通常「神司」と呼ばれる御嶽の女性神職者を中心に、女性主体で行われており、アカマタ/クロマタの行われるシマでも通常の神行事は女性主体であるし、アカマタ/クロマタの出現する豊年祭も、祭り自体は神司を中心としている。男性主体の祭祀組織は沖縄の信仰体系の中では異質である。

結社組織は「シンカ」「ザーシンカ」「ヤマシンカ」などと呼ばれる。資格としては、(1)シマ出身者で、(2)一定の年齢(十代半ば)に達した男性であり、(3)品行方正で、(4)すでに結社の構成員である保証人からの推薦があること。なお、(2)については、新城上地では神司と十年ごとに選ばれる女性2名が加わる(この2名の女性は、アカマタ/クロマタ生誕の秘儀に何らかの役割を果たすと推測されている)。また、小浜、宮良ではシマに暮らす既婚の女性であれば加入を許される。

 これらの資格を満たした者について、豊年祭の期間中もしくは前後に入団審査が行われ、そこで加入を認められた者は「ナビンドゥ入り」「ウムトゥ入り(古見)」と呼ばれる加入儀式でイニシエーション(通過儀礼)が課せられ、無事クリアすると入団となる。イニシエーションの全貌は明らかではないが、苦行や問答、仮面との対面、告白の儀式などが行われることが、いくつかの調査でわかっている。
 入団1年目はシマにより「ギラムヌ」「ウイタビ」などと呼ばれ、その後、経過年数に応じて呼び名を変え、五十代後半で長老格となる。
結社内では家柄や家系は関係なく、個人単位で扱われ、また年齢で序列化されるのが特徴的だ。そして、年齢や能力に応じてアカマタ/クロマタ祭祀にまつわる秘密や祭祀の内容の伝授が行われ、長老格となってはじめて祭祀の全貌を知ることとなる。
祭祀の際には「アカマタシンカ」「クロマタシンカ」など各神別の組に分かれ、祭りの準備や神の役、先導役、警備役、演奏の役などの役割を分担する。一方で、結社組織は祭りのときだけでなく、通常のシマでの生活の規範ともなっており、例えばシマの役員の選出などにも反映される。いってみれば結社の掟がシマの掟であり法でもある。団員たちの結束は固く、結社の秘密を外部のものに漏らすことは決してあってはならない。

 この結社組織は文化人類学でいうところの「秘密結社」であるとの指摘は多い。秘密結社とは、結社の行う儀礼が成員以外の者に秘密とされ、メンバーは選択的で、加入の儀式や財貨による手続きを経て入団する組織であり、「異様な仮面仮装者たちが祖先/祖霊として島や村に出現し、その来歴を踊り、村の女や子供をおびやかし、食物を強請し、子供に秘儀的なイニシエーションを施したりする」(岡正雄)パプア・ニューギニアの各部族にある秘密結社が有名だろう。

 ここまでひととおり概要を見てきたが、アカマタ・クロマタ神事には様々な要素が複合している可能性が大きいように思われる。 たとえば神事そのものの発生と仮面の発生にはタイムラグがあったかもしれないし、発祥にまつわる伝説も、変遷を経てきているかもしれない。
 これらの要素の中には、八重山の古層文化の痕跡も含まれているように思える。もともと沖縄と先島(八重山・宮古)の間には11~12世紀頃まで文化的に断絶があった。先史時代においては、縄文文化の影響は琉球列島全域に広がったが、弥生文化は沖縄本島までしか伝わらなかった。逆に、日本や沖縄など北側からではなく、台湾・フィリピン・インドネシア方面といった南側の文化の影響が色濃かった。そして16世紀初頭に琉球王朝に征服されるまで、南方との私貿易などによって独自の文化を築いた。 そういった文化的な要素の痕跡がこの神事には残っていないだろうか。

ポイントとしては下記のような要素に着目してみたい。

(1)仮面自体の由来、類似する祭祀のひろがり
(2)来訪神信仰と神の訪れる方向(垂直か水平か)の問題、「スィダス」という言葉
(3)稲の伝来の伝説とのかかわり
(4)秘密結社組織のルーツ
(5)御嶽信仰との関係

(1)
琉球列島には、アカマタクロマタ以外にも各地で仮面の来訪神やそれに類するものが存在する。これらは首里からはなれたところに見られることから、琉球王朝による統一以前は各地にあったものが、残存しているのではないかという見方もある。

八重山だと、石垣島西部~北部の「マユンガナシ」、小浜島のダートゥーダ、西表島干立のオホホ、波照間島のフサマラー、各地の豊年祭等に出現するミルクといった仮面神がいる。宮古島でも狩俣や島尻では仮面神パーントゥが出現する。
沖縄本島北部の「シヌグ」も、仮面こそないが男が山に入り、蔓植物で全身を覆い神に扮装して降りてくるなど、仮面の来訪神と類似している。

さらに北方を見ていくと、トカラ列島悪石島の「ボゼ」、硫黄島の「メン」といった、とても日本とは思えない仮面をまとった来訪神が出現するシマもある。これらの中で「マユンガナシ」と「フサマラー」は特にアカマタ・クロマタと関係が深いように思える。

八重山諸島

[桴海のマユンガナシ]
 マユンガナシは旧暦10~11月に行われる「節祭」に出現する来訪神だ。かつては石垣島西部~北部の各村に出現していたが、現在は川平のみで出現する。語意はマヤー加那志(≒猫神とも真世神とも)。着目すべきは発祥の地とされる桴海(ふかい。今の米原集落付近にあった村。廃村)のマユンガナシだ。
節祭の初日の夜は、子マユンガナシ(マヤーマ)が各戸を廻る。
二日目の夜には、男マヤ(フーマィンガラス)女マヤ(ビジョーマ)が洞窟から出現し、各戸を廻る。
マヤーマと男マヤは、デイゴの木彫りの黒い仮面をかぶり、糸芭蕉で編んだ神衣をまとっている。仮面の目や口は夜光貝がはめ込まれていて妖しく光る。
男マヤ、女マヤは明け方に山中の「ナビンドゥ」に消えて行く。
ここでは「ナビンドゥ」は鍋底状の地形を指している。

このように、アカマタ・クロマタの神事にかなり共通する要素が見て取れる。マユンガナシは2つのルートを経て桴海から石垣島西岸にひろまっていったとみられている。
北東ルート:桴海~野底~伊原間~平久保
南西ルート:桴海~仲筋~川平~崎枝

仲筋では弥勒面のような白面にひげを生やした仮面が、平久保では黒い仮面がかぶられていたと伝えられる。>伊原間で使われていた仮面が保存されている。
なお、川平のマユンガナシは仮面をつけず クバの蓑笠に六尺棒といったいでたちとなっている。桴海とは別系統との説もある。

[フサマラー]
波照間島では、かつて雨乞いの神事の際に仮面の草装神「フサマラー」が出現していた。フサマラーは雨乞い神事の二日目に各部落の御嶽のそばの森から2頭のペアで出現する。全身を蔓植物で覆い、瓢箪でつくった仮面を被っている。仮面は毎年作りかえられる。計10頭が島内の御嶽を廻っていき、各地で雨乞いの儀式を行った後再び森の中へ消えていく。今はムシャーマの仮装行列の中に組み込まれている。ちなみに西表島星立でもかつて同じく雨乞い時に草装神が出現したという。
この「フサマラー」という呼び名は、アカマタ・クロマタの子神のみの呼び名「フサマロ」(新城)、「フサマラー」(古見・シロマタ)と共通している。また、「フサ」は「草」、「マラー」「マロ」は死と生を意味する。
波照間のフサマラーには秘密結社的な要素はないが、現在の波照間住民は西表島古見から移り住んできたという伝説がある。また、実際現在の住民と直接の連続性があるかどうかは不明だが、3700年前の遺跡からは、西表にしかいないはずのイノシシの骨が発掘されており、史実としても西表との関連はあったと見られている。フサマラーとアカマタ・クロマタとの間には何らかの関連があるのではないか。
コメント


さて、いざ書き出してみるとやはり正確に書き記したくなってしまい、手元にない資料を改めてかきあつめることに。そこであらたに初見の資料もみつけ、読み始めたのですが、時間がなく。ということで、資料に目を通し直し、文章を書く時間がとれ次第また続きを記します。
とりあえず、いま手元にそろっているモトネタ(資料一覧)を載せときますので、ご興味のある方はこれらを直に読まれるのもよいかと。
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岩崎 卓爾 1920『ひるぎの一葉』(章名忘れました。宮良のアカマタを紹介)
柳田国男 1924『海南小記』(「ニイルピト」の章にて宮良のアカマタを紹介)

宮良賢貞 1940「小浜島のニロー神」
宮良賢貞 1979「新城島上地の穂利と赤マタ・黒マタ」
 以上『八重山芸能と民俗』(根元書房 1979)所収

植松明石1965「八重山・黒島と新城島における祭祀と親族」
『沖縄の社会と宗教』東京都立大学南西諸島研究委員会編(平凡社 1965)所収

宮良高弘 1971「八重山諸島におけるいわゆる秘密結社について」
『叢書わが沖縄 第5巻』谷川健一編(木耳社 1971)所収

湧上元雄 1971「西表島古見むらのプールー黒マタ・白マタ・赤マタの祭祀ー」
湧上元雄 1973「南島の訪問者儀礼と仮面信仰ー八重山のマユンガナシと赤マタ・黒マター」
 以上『沖縄民俗文化論 祭祀・信仰・御嶽』(榕樹書林 2000)所収

平敷令治 1975「新城島のアカムタ・クロムタ祭祀ー上地のウフプール覚書ー」
『沖縄国際大学文学部紀要社会学科篇 第3巻第1号』(1975.3)所収

中沢新一 1975「「赤マタ・黒マタ」祭祀の構造」
『沖縄文化研究 法政大学沖縄文化研究所紀要 2』(法政大学出版局 1975)所収

喜舎場永じゅん(じゅんは王へんに旬)1977「赤マター神事に関する覚書」
『八重山民俗誌上巻 民俗篇』(沖縄タイムス社 1977)所収

住谷一彦 1977「南西諸島のGeheimkultー新城島のアカマタ・クロマタ覚書ー」
ヨーゼフ=クライナー 1977「南西諸島における神概念・他界観の一考察」
 以上 住谷/クライナー『南西諸島の神概念』(未来社 1977)所収

鈴木正崇 1979「来訪神祭祀の世界観ー赤マタ・白マタ・黒マタ再考ー」
『社会人類学年報Vol.5』東京都立大学社会人類学会編(弘文堂 1979)所収

住谷一彦 1983「アカマタ・クロマター南島の秘密結社」
『歴史民族学ノート』(未来社 1983)所収

植松明石「新城のアカマタ・クロマタ」
牧野清「アカマタ見聞記[新城上地島美御嶽]
谷川健一「草装神の古型」
宮良高弘「仮面衣装の習俗ー八重山諸島におけるアカマタ・クロマタ神」
比嘉康雄「琉球列島の草装神」
向山勝貞「南九州の草装神」
 以上『季刊自然と文化 1989秋季号 特集 草装神』観光資源保護財団編所収

本田安次1991「宮良のアカマタ・クロマタ」
『沖縄の祭と芸能』(第一書房 1991)

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