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建築家・谷尻誠は、なぜ 虎ノ門ヒルズの「虎ノ門横丁」を発想できたのか?(前編)

アフターコロナ時代のあり方とは

 コロナがやってきた今、求められているのは、大きなパラダイムシフトだと思っています。ビジネスも、経営も、組織運営も、働き方も、ライフスタイルも、大きく変えなければならなくなっている。もう、かつてのやり方ではうまくいかなくなってきているのです。

 では、アフターコロナ時代のあり方とは、どのようなものなのか。それをみんなでシェアしたくて、オンラインサロン「Honda.Lab.」では、さまざまなゲストを招いてディスカッションをさせてもらっています。
 その中から、とっておきのエッセンスを記事化してnoteで紹介することを考えたのが、この企画。後にマガジン化する予定の「アフターコロナをどう生き抜くか」です。

 今回は、建築設計事務所 SUPPOSE DESIGN OFFICE代表の谷尻誠さんです。肩書きでいうと建築家ですが、建築家というカテゴリーに収まっていないのが、谷尻さん。


 尾道駅から少し離れた海沿いにある県営倉庫のリノベーションプロジェクトで、サイクリスト向けに自転車ごと泊まれるホテルという、なんとも斬新な企画「U2」で大きな話題になったのが、2014年。


 最近も、渋谷の「Hotel koe tokyo」や虎ノ門ヒルズの「虎ノ門横丁」など、やはり大きな話題になったプロジェクトを担っています。

 僕は2年前に、もともと友人のテイクアンドギヴ・ニーズ会長であり、TRUNKの野尻佳孝社長から紹介してもらいました。当時すでに谷尻さんは売れっ子で有名でしたが、僕は彼のことを知らず、すごいデザイナーということを知りませんでした。一見、クールですが、気取っていないし、とにかく話が面白い。とりわけ言葉がユニークです。

 それで親しくなって、食事に行くようになりました。「U2」を手がけたのが彼だったことも、後から聞いてびっくり。虎ノ門ヒルズのことも、教えてもらうまで知りませんでした。何かを人にひけらかそうとすることもない、まったく肩の力の入っていない人物なのです。昨年8月に出た著書も、とても面白い一冊でした。


建築会社で普通のサラリーマンをしていた

 谷尻さんでまず興味深いのは、建築家のカテゴリーに収まっていないことです。この自由な発想は、アフターコロナ時代に必須になっていくと僕は感じていました。最初に彼を紹介するときにそう話をしたところ、まずはこんな応えが返ってきました。

「今までの建築家が、建築家の職業しかやっていなかったんだと思うんですよね。日本人って、やっぱり伝統や文化を大事にするという美意識が根付いているから、過去の先人たちがやっていることをとても大事にする。でも、僕は、イノベーションの継続こそが伝統なんじゃないかと思っているんです。だから、今までの建築家がやっていたことには敬意を払いながらも、もっと何ができるのか、を考えているうちに、徐々に建築家がやっていること以外のこともやらないとな、という意識になっていったんです」

 そんな谷尻さんですが、安藤忠雄さんや森田恭道さんもそうであるように、大学で学んでいません。

「僕はほんと、アホ過ぎて勉強ほぼしたことがなかったんですよね。バスケットボールをずっとやっていて、大学もそれで行け、と言われたんですが、体育大学に行っても学校の先生になるくらいしか想像ができなかったので、もう少し遊びたくて専門学校に行ったんです」

 建築の専門学校を出て、就職。5年ほど、建築会社で普通のサラリーマンをしていたといいます。転機は2000年にやってきます。景気が悪くなって、仕方なく会社を辞めたのです。給料が3カ月もらえなかったそうです。

「その頃、自転車のダウンヒルのレースを一生懸命やっていた時期で、1年間はレースをやりながら、のんびりしようかな、くらいな感じでしたね。バイトしながら生きていけばいいや、と」

 こうしてフリーランスになったのが、26歳。

「僕はずっとサラリーマンでもいいと思っていたんですけど、いざフリーになってやり始めると、だんだん建築が面白くなってきて、だんだん本気でやるようになって、それで20年ですね、もう(笑)」

不利はむしろ、強みになる

 フリーになるにしても、起業するにしても、かなり稀なパターンだと思います。職を失ってしまうことは、かなりショッキングなこと。しかし、ある意味、それを逆手に成功してしまうのです。

「だからリーマンショックのときも、リーマンチャンスと言っていました(笑)。まさに今のコロナもそうですけど、世の中の価値観が大きく変わるときって、今までの価値が通用しない。その同じスタートラインに、みんなが一直線で並べるわけです。だから何ができるか、と考える癖があるんですよね。武田鉄矢さんじゃないですけど、大変というのは、大きく変わると書く。だから、大変というのは、変われるときなんじゃないかな、と」

 いつも逆サイドばかり走ろうとしてしまう、と谷尻さんは言います。

「勉強できないこともそうですし、バスケットをやっていても背が低いほうなので、常にコンプレックスがあって。でも、そのコンプレックスって、ネガティブな意味もあるんですけど、実はエネルギーの源にもなり得るものなので」

 コンプレックスがない人はいません。だから、そのコンプレックスを武器にしてしまう。ダメなことを、むしろ個性に置き換えてしまう。そうすることで、世の中はよくなるのではないか、というのです。

 谷尻さんは、建築をするときにも、一般的には評価されないような場所を好んで扱っていました。誰もが好むとは限らないような場所。コンプレックスのある場所です。

「変な敷地というのも、個性のある敷地なんじゃないか、と思うんですよね。便利より不便のほうが、いつもいいな、と思っていて。そういう、みんながやらないとか、みんなが良くないと思っているところにこそ、チャンスや魅力があるはずなんだと思っているんです」

 これを学んだのは、実はバスケットボールの経験だったそうです。背が低いのでロングシュートの練習をしていた。スリーポイントラインで、100本打ったら95~96本入るほどになった。目をつむっても入った。

「でも、試合になったら、邪魔されるんですよ。練習通りの力が発揮されないということは、練習の意味はなかった。それで、スリーポイントラインから1メートル離れて練習を始めたんです」

 まさか相手は、そんな遠くからシュートを打ってくるとは思っていません。そうすれば、試合中も自由に打てるようになったそうです。

「練習のときと同じようにスリーポイントを決めまくっていました。これって、ゴールに近いほうが有利だという世の中の価値観じゃなくて、ゴールより1メートル離れた不利な場所が自分にとって有利なポジションだったということですよね」

 コンプレックスを意識したがゆえに、そのことに気づけたのです。

「建築やるときでも、他のことをやるときでも、1メートル離れて物事を観察すると、やれることが見えるな、といつも思っています。不利はむしろ、強みになるんです。それで設計をやっている感じですね」

負荷のないところに成長はない

 不利や不便を、多くの人は好みません。しかし、不利や不便を避けようとして、世の中は工夫をしなくなってしまった、という印象が僕には強くあります。

「スマホさえあれば、なんでも答えが出る、と思ってしまうじゃないですか。だから、便利はアホを増やす、と僕はいつも言っています。考えなくても答えが出ているので。でも、今は考える力がますます必要な時代なんじゃないかな、と思うんです。僕は勉強はできなかったけど、考える力だけはあって、そこでなんとか生きている、という感じです」

 日本は本当に便利な世の中です。僕は、便利の代名詞のコンビニこそが、日本をダメにしてしまったのではないかとい思っています。どこに行っても同じものが手に入る。その中で生きていってしまう。そこに必ずあるので、何も考えなくていいのです。何を選ぶか、考えることもない。与えられたものを受け身で受け取ってしまう。

 何か不便なことがあれば、お金で解決できてしまうのが、今の日本なのです。大人になれば、お金を払ってアウトソースできてしまう。

 だから僕は、学生と一緒に仕事をしています。東大生などが集まった学生ベンチャーと仕事をしています。大人に頼るのではなく。学生はお金がないから、工夫しまくるのです。いろんなことを考えるので、ちょっと稚拙なこともありますが、それでも大人では考えないような本質的なところに迫ってくる。だから、面白い。

「負荷のないところに成長はないですよね。だから、ストレスがかかっているほうがいい。自ら不自由な状況にいることは、とても大事です」

 これが、クリエイティブになる、実は近道なのです。だから、谷尻さんは、びっくりするくらい頻繁にキャンプに出かけています。実はこのインタビューも、オンラインで能登半島の最北端のキャンプ場から参加してくれました。

「キャンプは考えざるを得ない状況になりますからね。天気も変わりますし。変化に強い精神を持つことが、最もクリエイティブだと思うんです」

 その意味でいえば、今は最もクリエイティビティを鍛えられる時期だと僕は思っています。コロナがやってきたからです。

「そうなんです。コロナチャンスなんですよ。僕ら、緊急事態宣言出た翌日くらいに僕はオンラインサロンをリリースして、たくさん人が来てくれたんですが、みんなのお金で事業を作ってしまえばいいと思っているんです。今、いろいろ事業用の物件を探しています」

 建築業界は不況になると需要が一気に冷え込みます。だったら、自分たちで場所を見つけてきて、企画を作って、建物を建てて事業にしてしまおう、と谷尻さんは考えています。そうすれば、クライアントワークじゃなくても生きていける仕組みができるのです。

建築を、言葉から作っていく

 それにしても、建築で不利なところを敢えて個性にする、というのは、面白い発想です。

「例えば、斜面は危ない、とみんな思い込んでいますけど、埋め立て地でフカフカの土の上のほうが、よほど危ないです。本質的に何が危ないかまでは、みんな迫らない。でも、それが理解できると、経済的で魅力的な住まいを手に入れることができます。ただ、不動産屋さんの立場からすると、変な場所は売りにくい。だから、平らで成形で駅から近いところばかりが不動産業界の主流になっていく。そういうのがすごく嫌なんですよね。だから3年前に絶景不動産という会社を作ったんです。ニッチ過ぎてビジネスとしてはどうなのかな、と言われるんですが、年に数本契約するだけでも全然お給料になりますから、楽しくやっていますね」

 そしてもう一つ、谷尻さんの話で面白かったのが、建築を考えるとき、意外なものから作っていくことです。

「言葉から作ることが多いですね。矛盾している言葉を作ることがすごく多いんですけど。懐かしい未来、とか。例えば尾道のU2も、古い倉庫なのに、その中に現代的な建築を入れると、街の人々は元々の倉庫の存在を知っているので、懐かしい感覚を持っているのに新しい、と思ってしまう原理がそこにあるわけです。わざと古いものを残しながら設計するという方法論が見つかるんです」

 だから、言葉を作り、そこに紐づくように空間を作っていくことが多いというのです。

「コピーライティングして、コンセプトを立てて、そこに合う空間って、どういう形でどんな形でどんな材料なんだろう、というのをいつもやっていますね。言葉がないときって、なかなかプロジェクトが前に走り出さないです」

 こんな発想法の中から生まれてきたのが、コロナ下でも大きな話題を勝ち取った東京・虎ノ門ヒルズの「虎ノ門横丁」でした。オフィスビルの虎ノ門ヒルズの中に、横丁を作ってしまったという仰天のプロジェクトの詳細は、次回に続きます。

(後編に続く)

(text by 上阪徹

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