大丈夫、育児はだんだんラクになる。②新生児~6ヶ月
長男を無事に出産。
しかし不安を抱えたまま、更なる試練が私を待ち受けていた。
母乳にまつわるあれこれ。
出産した翌日から産院で授乳が始まった。
授乳室という部屋で、出産したお母さんみんなが同じ時間に集まり授乳をする。
二人目、三人目を生んだベテランママさんはさすがに上手で、赤ちゃんも無理なく飲めているように見えた。
私はというと母も子も初めての授乳、最初からうまくいくはずもなく、長男がうまく吸えなくて泣き出してしまう事もたびたびあった。
そのたびにごめんねと長男に対して申し訳なく思い、私まで泣きたくなった。
初日の夜怖い夢を見て今でも覚えている。
小学校くらいの男の子が何人かいて私を指差してこう言った。
「あいつ、おっぱいもあげられへんらしいで。母親失格なんちゃう?」
今思い出しても相当追いつめられていた。
あれは産後のホルモンの関係だったのかな、だとしたらかなりホルモンに影響されていた。
今なら、まぁ初めてやし仕方ないやんって思えそうなものだけど。
授乳は3日くらいそんな感じで、半泣きになりながらだったが徐々に慣れていき、退院する頃にはすんなりとできるようになっていた。
「完母いけるんじゃない?」
退院の日に看護士さんに言われたこの一言が帰宅後またモヤモヤを招いてしまうとは。
ちなみに完母とは、完全母乳。
つまりミルクを足さなくても母乳だけで育てられるんじゃない?という事。
出産から1週間弱、無事に長男とともに退院し夫の実家へ。
そう、私の実家ではなく夫の実家でお世話になる事になっていたのだ。
私は早くに実母を亡くしているので、産後のお世話を夫の実家が引き受けてくれた。
夫のご両親はとても親切で、丁寧だ。
でもこの丁寧さが当初、私は苦手だった。
それは私が育ってきた実家とは正反対で、私の実家はいわゆる放任主義の家庭だった。
何をやるにも反対されたりした記憶はなく、失敗しても自分持ち、好きなようにやりなさーい、失敗も良い経験!といった具合に。
特に父親はなにかと忙しくしているのが好きで、夜家にいない事もしょっちゅうだった。
一方、夫の実家はとにかく家族を大事にするのだけれど、まさに至れり尽くせりといった雰囲気だった。
家庭第一でやってきた夫の両親は定年退職、毎日家の事をせっせとこなし、父親が家を空けることもほとんど無かった。
のちに私はこの義理の両親を尊敬し、こんなふうに歳をとりたいとまで思うようになるのだけれど、それはまた別の機会に書きたい。
この時はとにかく丁寧すぎて面倒だった。
お義母さんは一回一回、授乳した時間を見ては「次は三時間後やから○○時やな。」とチェックする。
今思えば赤ちゃんも人間なんだから、機械のように三時間おきにお腹がすく訳がないし、母乳は好きな時に好きなだけあげたらいいと思うし、そのように言ったら良かったんだけど。
気を使ってしまって言えなかった。
二時間くらいで泣き出すと「あれー?もうお腹すいたの?早いなー、おっぱい足りへんのじゃない?」と言い出すお義母さん。
「ミルクちょっと足したら?」とも言われた。
もちろん悪意はなく、長男の為にだ。
いやいや、看護士さんに完母でいけるって言われたし。
意地になっていた。
そのうち長男が三時間経たずに泣き出す事が怖くて仕方がないようになった。
泣かんといて、おっぱい足りへん言われるから。
赤ちゃんのための母乳が、いつの間にか自分のための母乳になっていた。
産後うつだったのか、育児ノイローゼだったのか、またホルモンの仕業なのか。
とにかく育児に慣れない私の存在意義は母乳だけだと思っていた。
初めての育児は自信がないものだ。
お義母さんのアドバイス一つ一つが自分のダメさを指摘されているように感じた。
なんてマイナス思考!!ネガティブすぎる!!
睡眠不足の辛さ。
あらゆるネガティブの原因は、ホルモンのバランスだけではなく、睡眠がしっかり取れない事が大きいと思う。
昼夜関係なく二、三時間おきにおきる赤ちゃん。
夜中の授乳のあと、寝ると思ったら全く寝ず、ずっと抱っこになったり、ソファで抱っこしながら寝たりもしょっちゅうだった。
ちょっと寝たと思ったらすぐ起こされる。
思考する力がどんどん失われていき、チャンスがあれば少しでも寝たい。
そんな毎日が3ヶ月ほど経った頃、夜の授乳のあと次に泣き声で起こされると外が明るくなっていた。
朝まで寝てくれた!
久々のまとまった睡眠に頭がスッキリしていた。
このあたりから毎日とはいかないが夜まとまって寝る日が何度かあり、母乳も長男のリズムに合わせて整ってきた。
こうして少しラクになっていった。
半年経つ頃には、長男は笑顔を見せてくれたり、おもちゃで遊んだり、一人で座る事ができるようになったり…
少しずつ意思疎通ができるようになり、やっと私は母親として心から「かわいい」と思えるようになっていた。
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