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グチャグチャ、渾沌、カオス

酔わないと書けないというのは思い込みだ。起きたのは昼前だった。朝方まで飲んでいたワインの残ったコップを見つめ、クイっと飲み干す。寝起きのタバコはよりニコチンに依存するらしい。普段は朝食後だが怠惰に流されて一服する。うまいのかまずいのかもはや分からない。ビリリと脳が少し痺れる。
昨夜も夜の街を歩いた。雨が降ったり止んだり風が強い一日で履いていたランニングシューズが滑って何度か転けそうになる。コンサートホールの入り口が入場を制限するために綱で仕切られている。その名称を調べるとベルトパーテーションというらしい。きっと今後も使わない単語だ。知らなくていいことは沢山ある。ワインとつまみを買ってホステルに向かう。またバカな白人が通路のコーンを倒してこちらの進路を妨害してくる。書くのもアホらしい。酔っていれば書けるというのでもなく書き出せば進んでいく。それだけだ。しかし、今書きたいことがなくて止まりそうだ。人が来たからかもしれない。入り口に背を向けて書いているから挨拶のタイミングがなく、別に誰も気にしちゃいないだろうが、気になってしまう。わざわざ声をかけて話し込みたいわけではないのに一声かけないと気にしてしまうのだ。コップの酒を口に運ぶ。一つの動作が紛らわせてくれる。日があるうちに酒を飲みだすのがアル中の始まりらしい。それを聞いてからなんとなく意識の片隅にそれがあったが、今はまだ昼過ぎだ。枠がはずれた、規律を失った、堕落した、なんと呼ぶか分からないが、堅苦しさから抜け出している。それは安易に自由とはいえないが、変化とはいえる。行動が、その直接のわたしへの働きかけとともに、枠からはみ出してわたしの形を変えていく。小難しいことを書いて、何かを書いた気になっている、それだけかもしれないが、思考は簡単な言葉だけで語れないこともある。

ボンダイジャンクションで男が次々とナイフで人を刺したというニュースがたまたま目に入った。死者は6人で重傷者もいるらしい。ボンダイビーチに向かうバスを待っているといきなり中国人たちに話しかけられ中国語を捲し立てる彼らにこのバスはボンダイジャンクションに向かうとなんとか教えた。乗車してからも彼らがちゃんと降りられるか心配で、ここで降りるんだよと声を掛けに行った。あのボンダイジャンションで狂った男が人を殺したのか。着いたビーチは穏やかで平和だった。昨日寄ったショッピングモールを警官が巡回していたのもそのためだったのか。今や世界のどこにいようと日常を切り裂く暴力がいつ現れるか分からない。だからと言って縮こまってしまってもいけない。狂った男と書いたが、狂ったとは何だろう、その人間は狂っていたのか。弱い人間ではあるだろう。しかし人間は皆弱い。暴力が内に向くか外に向かうか。それは選択の問題か、育ちや現状の環境か。世界が狂っているからというのは簡単な気がして、でも言葉は見つからない。所詮言葉だから。鳥が鳴いている。穏やかに日光が差して、弱まった柔らかい風がこのバルコニーに吹いている。青空と白い雲を背景にスカイツリーから飛ぶ人が見えた。バンジージャンプはしたことがないし興味もなかったが飛んでみようかと考える。怖い怖いと言うわたしとアドレナリンで興奮するわたしがゴチャ混ぜになる。カオスの語源はギリシア語のΧάος(khaos)ケイオスで宇宙発生以前のすべてがグチャグチャと渾沌としている様を意味する。血も命も体も空も風もグチャグチャに混ざったそれ。遠くで聞こえる救急車もその中で運ばれる人もその口から吹き出た泡も、日に照らされて輝く葉っぱも明日も昨日も全部が混ざったそれはどんな色だろう。色さえも混ぜ込まれて透明なわたしはそれを見ている。ウニョウニョと動くそれに透かして見えるのは産声を喚き散らす赤ちゃんだ。しかしその声は聞こえない。

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