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各時代、何を食べていたか

■縄文土器の鍋
日本には、およそ2万年からそれ以上前の縄文時代ごろから煮炊きを目的とした土器の調理器具がありました
なべは「肴瓮(なへ)」の意味だといわれています。
肴はさかな、瓮は土焼きの「かめ」のことです。

■卵と鶏
日本列島で肉食が始まったのは旧石器時代ですが、鶏肉が広く食べられるようになったのは江戸時代になってからのことです。

古墳時代から飛鳥時代までは卵を取る目的で鶏を飼育し、その後卵を産まなくなったひね鶏を食べる習慣があったようですが、食用の鶏の飼育が本格的に始まったのは江戸時代のことだと言われています。

■鉄鍋
鍋状のものが出現したのは鉄器が登場してからです。
包丁や刀・槍・鉄製の鏃も出現します。

■貴族と庶民の貧富の差
平安時代以前の租庸調→平安時代から年貢(重税)
農業技術が未熟で飢饉で餓え死にし、疫病(天然痘)で病死していた時代
平安時代の庶民は平均寿命が30歳くらいと短命だったようです。
平安貴族は食事が豪華で、疫病にかからなければ長寿だった様です。

■塩田
瀬戸内海の播磨国大塩村(姫路市大塩町)で塩田が興り、大塩村は瀬戸内海の村々に塩田の技術を伝えて巡ったと記録される。
塩は保存が効く調味料で運搬しやすいですね。
食材を保存したり漬物にも必要ですから、瀬戸内沿岸は塩で潤いました。

■朝鮮からの侵略と武士の登場
平安中期以降は朝鮮からの侵略にも遭っており、九州を中心とした西日本は、朝鮮人による略奪や誘拐、放火による大火の被害を度々被った。

農業技術は鎌倉時代から進歩します。また武士団の戦闘力も上がり、朝鮮からの侵略を防げるようになり、モンゴル帝国の元寇も2度とも防ぎきった。

鎌倉時代から戦国時代まで更に農業技術が進んだ。
白米より玄米が中心となる。
精米により量が減らず、栄養価も高いのが特徴。

■干し米
米を洗ってから干すことにより水分が抜け保存が効くようになる。

■味噌
宗から味噌文化が伝わり日本食が多く誕生します。

■ミリメシ
御塩噌 伊達政宗が開発に取り組んだ調味料
塩、味噌(焼き味噌)、醤油といった調味料が増えた。
うすくち醤油は関西(上方)の高級調味料で見た目が薄かった。(上品)
味噌は関東のリーズナブルな調味料で、見た目が濃かった。(下品)

■兵糧丸 
地域によってレシピが異なる栄養食
戦国時代までに乾燥食品が登場します。
陣中食として、「兵糧丸」という栄養食品も開発されました。

■芋は貴重
●里芋
中秋の名月のころは新芋の収穫時期にあたり、里芋を供えて収穫を祝うことから「芋名月」と呼ばれる。

●芋がら
里芋の葉柄(ずいき)を乾燥させたもの。
栄養豊富で保存がきき、梅干しや味噌玉とともに戦国時代の陣中食でした。
陣中食には、カビ無い様に水分を飛ばした干し米も用いられていたようです。10年でも保存がきいたとかで、大量に保管していれば干ばつ飢饉や籠城にも役立ちますね。
煮物や、みそ汁の具などに向く。酢の物や天ぷらにしてもよいでしょう。
たんぱくでくせのない味わいが特徴で、食感はシャキシャキとして歯ごたえがあります。
食物繊維が豊富で、カリウムやカルシウムなどのミネラルも豊富に含まれています。ポリフェノールも含まれ抗酸化作用が期待されます。

芋がらの炊いたん
食材:芋がら20g、油揚げ40g

1)戻す:芋がらは洗ってたっぷりの水につける。
途中1度水をかえ、1時間以上(できれば一晩)浸けて戻し、水けをきる。

2)エグミとり:鍋に、1)と かぶるくらいの水を入れて中火にかけ、沸いてから10分間ゆでる。
ざるに上げ、たっぷりの水に10分間ほどさらす。
(水にさらしてえぐみを取る)
同様に1〜2回繰り返す。
個体によりエグミに差があるので、味見して、ゆでる回数を決める。

3)2)の水けを絞り、3cm程の長さに切る。
油揚げは1cm幅の短冊形に切る。

4)鍋にごま油を中火で熱し、3)を炒める。
油がなじんだら味付けする(だし1カップ,醤油大さじ2,味醂大さじ1)、汁けが少なくなるまで10〜15分間煮る。

■肉
牛の肉食が日本で注目され始めたのは織田信長の時代
南蛮貿易が始まって西洋人が食肉の生活を持ち込んでからのことです。

豊臣秀吉による、キリスト教の禁止や徳川幕府による事実上の鎖国政策によって、肉食は日本に定着することはありませんでした。

■飽食の時代が始まる
豊臣秀吉の時代から、上方は天下の台所と呼ばれ、江戸よりも美味しいものが揃っていたという。また、出汁文化が特徴である。

江戸時代、一汁一菜 白米 魚などが三食 食べられる様になった。
江戸時代には、白米を大量に食べるようになりました。
玄米を食べなくなり、栄養の方より、ビタミンB不足で脚気が流行する。
芋を食べる習慣がある地域は脚気が無かった。

古くから武家は揚げ物も食べたが・・・
煮炊き茹で物を庶民は食べており、火事になるのを恐れて民家では揚げ物は調理しなかった。
長屋住まいだと、火事になりそうな調理法はご近所の手前使えなかった。

火事を恐れて炒め物や焼き物はまだ家庭料理には無かった。

江戸時代中期までは焼き飯や中華料理は作られていなかったようです。

江戸時代の後期には七輪が登場した。
炭を使ったコンロで、屋外で魚を焼いたりする事ができるようになる。
露店でうなぎの蒲焼なども登場する。
また、屋外での宴会にも調理器具として運べたので、違う出身地の人同士で意見交換や共同調理もしつつ料理の幅が広がった。

「江戸の食の四天王」といわれている食べ物
「うなぎ」「すし」「てんぷら」「そば」です。
これらの四つの食べ物は、現在日本人にも通じる食物ですね。

明治維新以降に、お雇い外国人が増えて神戸を中心に牛肉を食べるようになりました。
和牛はすべて神戸牛の種になります。

卵と鶏肉とトマトを使ったオムライスも神戸で作られるようになった。

関西人はもともと牛肉と鶏肉は食べましたが、豚肉は好んで食べませんでした。
関西で当たり前だった牛肉を、関東制作の『8時だよ全員集合』では大騒ぎしながら「すき焼き」を食べるシーンを見て、関東では高級料理なんだと不思議に思いました。

やがて生姜焼きやとんかつが関西でも流行り、明治時代に登場していたカレーライスにのせたカツカレーも登場する。

加古川では「かつめし」も登場し、神戸では「ビフテキ」が流行っていたので近い距離で食文化が分かれた。

神戸牛の牧場は三田が有名ですが、実は加古川にも神戸牛の牧場があります。

昔は捨てていた内蔵を大阪で食べるようになったのがホルモン焼きの始まりでした。醤油ベースの焼肉のタレも開発されました。

焼き肉もホルモン焼きも、韓国料理では有りません。
韓国は何でも日本の物を盗み取って、韓国発祥と言う習慣がある。

たこやき、お好み焼き、関東煮、焼き肉、丼もの、寿司、うなぎの蒲焼、あまおう、白菜・・・日本から伝わったりパクった物。 
特許が無い料理をパクるのは良いが発祥と言い始めるのが韓国の病気。

石鍋料理は中国や日本で石器時代より始まっており、韓国料理ではない。
中華鍋も韓国鍋と言い換えているらしいがアホっぽい。

在日韓国人に逆輸入された調理法が有る
それは、安物の硬い肉を地面に叩きつけて柔らかくしたり、たくさん切込みを入れて焼く調理法。柔らかい高級肉料理を偽装できる。

また、合成肉も伝わった。表面になる部分は高級肉で巻いて、中は安物の肉という合成。高級品に見せかけた見掛け倒しの商品は韓国には多い。

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