見出し画像

日本人に大乗仏教の勧め

歴史ある日本の大乗仏教を信心しましょう

多様化の時代、外国宗教も流入してきました
殉教(特攻精神)などという危険な考え方を持つ宗派も入ってきていますが
信仰の自由を保証する日本では阻止できません。

日本人は、日本に古来よりある仏教を信心して、極楽浄土を目指しましょう。

■本願寺の歴史

弘長2 (1263)年: 親鸞聖人、ご往生
文永9 (1272)年: 京都東山に大谷廟堂を建立
文永11 (1274)年: 覚信尼、大谷廟堂の留守職となる
永仁2 (1294)年: 覚如上人、『報恩講式』を著す
永仁3 (1295)年: 覚如上人、『親鸞伝絵』を著す
元亨元 (1321)年: 初めて「本願寺」と公称
応永22 (1415)年: 蓮如上人、ご誕生
永亨10 (1438)年: 存如上人、このころ両堂を整備
長禄元 (1457)年: 蓮如上人、本願寺第八代を継職
寛正6 (1465)年: 比叡山の衆徒、大谷本願寺を破却
文明3 (1471)年: 蓮如上人、吉崎(福井県)に坊舎を建立
文明5 (1473)年: 『正信偈・和讃』を開版
文明7 (1475)年: 蓮如上人、吉崎を退去
文明10 (1478)年: 蓮如上人、山科に本願寺を再興
明応5 (1496)年: 蓮如上人、大坂石山に坊舎を建立
明応8 (1499)年: 蓮如上人、ご往生
天文元 (1532)年: 山科本願寺、六角定頼・法華宗徒等により焼かれ、翌年、寺基を大坂石山へ移す
元亀元 (1570)年: 織田信長、大坂石山本願寺を攻め石山戦争始まる
天正8 (1580)年: 信長と講和し、紀州(和歌山県)鷺森へ寺基を移す
天正11 (1583)年: 和泉(大阪府)貝塚へ寺基を移す
天正13 (1585)年: 大坂天満へ寺基を移す
天正19 (1591)年: 京都六条堀川へ寺基を移す
慶長元 (1596)年: 地震により御影堂や諸堂舎が倒壊
元和3 (1617)年: 本願寺両堂焼失
寛永13 (1636)年: 御影堂再建
寛永16 (1639)年: 学寮(現・龍谷大学)落成
明暦元 (1655)年: 承応の教学論争終わる
宝暦10 (1760)年: 阿弥陀堂再建
明和2 (1765)年: 『真宗法要』刊行
明和4 (1767)年: 明和の法論終わる
文化3 (1806)年: 幕府より三業惑乱裁断される
明治14 (1881)年: 「本願寺派」を公称・宗会を開設

比叡山や大坂本願寺を徹底的に弾圧した織田信長はキリシタン大名でした。
信長は石山本願寺に勝利できなかった。

天台宗の天海(てんかい)大僧正と、臨済宗の金地院崇伝(こんちいん・すうでん)を
頼っていたのは徳川家康でした。

一向宗は各地の大名に大変恐れられており、弾圧と武装蜂起も観られた。

1563(永禄6)年の三河一向一揆
家康は三河国(現在の愛知県東部)を平定する戦いの為、兵糧(ひょうろう)を必要としたため、信者の寄進で大量に集まる寺院「上宮寺」から強制的に取り立てたため、(浄土真宗本願寺派)一向宗の僧侶と信徒たちと決定的に対立してしまう。民は宝というが逆を行ってしまった、武家にありがちな失敗策だった。浄土真宗本願寺派といえば、今(信者数780万人)も戦国時代も最大の勢力を持つ教団だったため、相手が悪かった。
一揆は、死を恐れない僧兵と信徒に恐怖した家康の「三大危機」の1つだった。

信長と11年も戦って負けなかった石山本願寺は要塞でもあり滅法強かったが、三河の一揆勢はそれほど強くはなかったので家康と和睦する。
寺の不入権と僧・信徒の助命を条件とする和睦案をのみ、武装を解除させた。
その後、和議を反故にして寺を破却、不信と恨みを買う結果と成った。

1583(天正11)年12月、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と対立して一触即発の状態に陥った家康は、本願寺派門徒を味方につけようとしたが、20年経過しても家康への不信と恨みは消えておらず、本願寺派は秀吉側についた。
学習した家康は本願寺派を徹底的に弾圧すのではなく懐柔する事で信用を積み重ねた。

1603(慶長8)年頃、本願寺を出て大谷派となる。
本願寺が東西に分離したため、教如を推して西本願寺派を弱体化させようとした。
江戸時代、キリスト教を禁教弾圧していくことになるが大乗仏教は布教活動を認めた。

浄土真宗本願寺派西本願寺 
大きな寺院はまるでテーマパーク、知れば知るほど楽しく、心に響く。


御本尊

■御本尊
阿弥陀如来には坐像と立像があります
阿弥陀如来は浄土教信仰の主尊であり、浄土教美術の中心的尊像です。

阿弥陀如来は、極楽浄土にいて衆生を救済するとされる仏で、弥陀とも略称されます。大乗仏教が興ってから時間や空間を超越したすべてのものを救う仏様としてあがめられています。

浄土宗の御本尊は、仏教の開祖である釈迦如来が座っている「座釈迦如来像」です。

浄土真宗の御本尊は「阿弥陀仏」です。
浄土宗と異なる点は、阿弥陀三尊ではなく、阿弥陀如来一仏が立った「阿弥陀如来立像」であることです。

阿弥陀如来立像は、鎌倉時代以降に信仰を集めた阿弥陀如来像の典型的な姿です。
鎌倉時代には、足裏に仏足文を描き、足枘をもうけない形式の阿弥陀如来立像がつくられました。
阿弥陀如来立像は、鎌倉時代の仏師「快慶」によって確立されました。
快慶が完成した「安阿弥様(あんなみよう)」と呼ばれる形式は広く流行し、後世まで強い影響を与えました。

さまざまな印相(手の形)で表現されます。印相の違いにより与願・施無畏印、転法輪印(説法印)、定印、来迎印の像の4種に大別できます。
立像は、両手に来迎印を結び、前傾して今まさに臨終者を浄土へ迎えに来る様子を表わします。

来迎印とは、右手は親指と人差し指で丸を作り胸の前で外を向け、左手は薬指と親指の指先をあわせ下向きに下げている印です。また、頭の後方には「頭光の光背」と呼ばれる48本の光のすじをいただいています。

浄土真宗本願寺派(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)
浄土真宗本願寺派(西)の場合は、右側に浄土真宗の開祖である「親鸞聖人」、左側に中興の祖と呼ばれる「蓮如聖人」を安置するのが一般的です。
阿弥陀如来立像には船後光があります。

三十六人家集(37帖)<国宝>
本願寺本『三十六人家集』は、奈良・平安時代の優れた歌人である三十六歌仙の歌を集めた家集のなかで、最も古い完備に近い写本で、他に類例のない優雅華麗な平安文化の極致といわれます。特に料紙には、多彩で変化に富んだ装飾技法が駆使され、それに当時の能書家が見事な筆さばきをみせています。王朝文化の精粋を今日に伝える大変貴重な家集です。

教行信証(6冊)<重文>
浄土真宗の教義を体系的に論述された立教開宗の根本聖典。正式には『顕浄土真実教行証文類』といい、教・行・信・証・真仏土・化身土文類の6巻から成ります。聖人は52歳頃から執筆にかかり、晩年に至るまで加筆訂正されました。西本願寺本『教行信証』は、聖人の真筆である「坂東本」(草稿本)に対して、清書本と称されます。

大谷派(東)には船後光がありません。

また、掛け軸にした際の後光の本数も異なります。
本願寺派は8本、大谷派は6本です。

御影堂(ごえいどう)<国宝>
寛永13年(1636)再建、平成21年(2009)大修復。東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートル。中央に親鸞聖人の木像、両脇に本願寺歴代宗主の影像を安置し、両余間には十字名号(帰命尽十方無碍光如来)と九字名号(南無不可思議光如来)を安置しています。

阿弥陀堂(あみだどう)<国宝>
宝暦10年(1760)再建、昭和60年(1985)修復。東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートル。中央に阿弥陀如来の木像、両脇にインド・中国・日本の七高僧の内、龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚の六師を、両余間に法然聖人と聖徳太子の影像を安置しています。

書院・能舞台<国宝重文>
本願寺の書院は、桃山時代に発達した豪壮華麗な書院造の様式の代表的なもので、座敷飾(床、違棚、帳台構、付書院)を完備し、金碧障壁画(こんぺきしょうへきが)や彫刻で飾られています。書院は、対面所と白書院に大別でき、対面所の西側に雀の間、雁の間、菊の間などの小室があります。また、書院の北側には、現存する最古の能舞台である北能舞台、南側には親鸞聖人の降誕会に祝賀能が舞われる南能舞台があります。

飛雲閣(ひうんかく)<国宝>
金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。三層からなる楼閣(ろうかく)建築です。

唐門(からもん)<国宝>
桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した檜皮葺き(ひわだぶき)・唐破風(からはふ)の四脚門(しきゃくもん)です。彫刻の見事さに日の暮れるのを忘れることから「日暮らし門」とも呼ばれています。

建物の配置を観ると、お西さんとお東さんでは、阿弥陀堂と御影堂の位置が違います。

家康が信心していた天台宗は決まったご本尊がありません

釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来(薬師瑠璃光如=医師)、観世音菩薩、不動明王、毘沙門天などをご本尊にします。
天台宗では、お寺によっておまつりしている仏様が異なります。
たとえば天台宗の総本山である比叡山延暦寺の本尊は薬師如来です。
私が9年お世話になったのは、姫路の書写山円教寺と紀伊半島の山岳信仰(密教)の修験道でした。
修験道の経験は、単独登山や野営(山中でのソロキャンに相当する)の趣味に変わりました。山岳信仰・自然信仰といわれます。

大乗仏教の宗派は禅宗、浄土宗、天台宗、法華信仰系、華厳宗、法相宗、 真言宗です。
大乗仏教の代表的な仏典としては、『般若経』、『維摩経』、『涅槃経』、『華厳経』、『法華三部経』、『浄土三部経』、『金剛頂経』などが挙げられます。

立像

無宗教で迷っているなら一向宗が生活の変化が少なくておすすめです。
修行しなければならないとか毎日、読経しなければならないなどといった縛りがないし
墓も必要ない。(建てたければ自由です)

極楽浄土に行きたい極悪人にも浄土真宗はオススメです。
他の宗派では信心しても無限地獄に落ちるようです。

日本では、浄土宗、浄土真宗など浄土系の宗派が最も信者人口が多く、次いで曹洞宗、日蓮宗、天台宗、真言宗各派などが続いています。

信徒が多い寺院に属すと、お寺の修繕費用の寄付金が少なくて済んだり、法話などのイベントが有ったり、保育園が併設されていたりして良いかも知れませんね。

お勧めしない宗派
・オウム真理教の分派「アレフ」「ひかりの輪」「山田らの集団」 国家テロ団体です
・旧統一教会系 骨の髄までしゃぶられる集金団体です
・エホバの証人 重病の治療に支障があります(輸血禁止)
 勧誘に子供を利用するような教団は辞めておきましょう。
・共産党(無宗教) 宗教ではありませんが、暴力革命を目指した国家テロ団体でした

無宗教で老後を迎えると、金を吸い取る旧統一教会などの新興宗教のカモになりやすい。
老後を迎えるまでに安全な大乗仏教のどれかを信心するようにしたほうが良いと思う。

イスラム教では、宗教的迫害において人の命を奪われた場合や、棄教を強制され、それに応じないで死を選ぶ場合など様々な形の殉教があります。また、コーランではジハード(聖戦)で死んだものは殉教者(シャヒード)であり天国への道が約束されるとされています。特攻精神が好きな人にはピッタリですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?