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古代日本

更新世:日本列島がユーラシア大陸と繋がっていた
・海面が低かった
・氷河期
・旧石器時代:相沢 忠洋(あいざわ ただひろ)岩宿遺跡から黒曜石で作られた打製石器を発見
 1946年(昭和21年)、日本における人類の歴史は縄文時代からという定説を覆した。
 大型動物を追って狩猟生活をしていた。定住していなかった

完新世:日本列島が分離した
・地球温暖化で海面上昇、日本列島が完成に近づく
・温暖化により小型動物や木の実が増える
・磨製石器登場、立木を切るようになる →竪穴住居(定住)
・弓矢、土器(縄文土器) 食料の保管をするようになる
・中国から稲作が伝わる 水田、畑に適した土地が奪い合いになる
・食料が安定する →米は運びやすく価値があり、お金のようになる
・土器と穀物で酒を作るようになる。自然を敬う祭りを行う(アニミズム(animism)が見られる)
・ながく続いた縄文時代は平和な時代だったが、小国に国王が誕生し他国との争いごとがうまれる。
・高床式倉庫に食料を保存するようになる。ネズミ胎児に猫を飼う、外敵を見張る番犬を飼う
・邪馬台国の卑弥呼は鬼道を使って倭の内乱を鎮める。弟を立てて姉弟で政権を維持する

もくじ(試運転)

先土器時代(旧石器時代)
縄文時代(新石器時代)
弥生時代(紀元前4世紀頃から)
古墳時代
飛鳥時代
奈良時代
平安時代

①先土器時代(旧石器時代) 1万年以上前
大陸と地続きであった、氷河時代、マンモス象、ナウマン象
岩宿遺跡(群馬県)・野尻湖遺跡(長野県)

1200年前に温暖な気候となる
日本列島が大陸から切り離される

②縄文時代(新石器時代) 14000年続いたが文字がなかったので詳細不明
縄文土器、磨製石器
土偶、竪穴住居
貝塚(ゴミ捨て場)、大森貝塚(東京都・モース)
狩猟・採集の経済
三内丸山遺跡(青森県・巨大な建物の存在)

③弥生時代(紀元前4世紀頃から)
弥生土器
稲作と金属器(青銅器・鉄器)が中国(漢)から伝わる
石包丁、高床倉庫
登呂遺跡(静岡県・水田・竪穴住居・高床倉庫)
吉野ヶ里遺跡(佐賀県・二重の堀に囲まれた大規模集落)

定住化  むら→小国の成立
1世紀 倭国、金印『漢倭奴国王』(江戸時代に志賀島で発見)

3世紀 邪馬台国(30くらいの小国を従えた連合国)、卑弥呼(女王)
中国(魏)との関係 『魏志倭人伝』
大和説・北九州説・北関東~東北説など

④古墳時代
い. 大和政権 3世紀後半
大王(天皇)と近畿の有力豪族による大和朝廷による九州南部から東北地方を統一
大王を中心とした豪族の連合政権には氏姓制度を用いていた。

ろ. 古墳文化
円墳や前方後円墳など(大きな権力の象徴) 古墳時代
大阪を中心に大きな古墳が多く、大仙古墳が日本最大級でした
大山古墳(仁徳天皇陵)
埴輪(人物・動物・家などの形)

は. 中国・朝鮮との交流
中国は南北朝に分かれていた。南北朝時代(日本ではない)
北朝:北魏
南朝:栄
『倭王武の上表文』(中国南朝から倭王として認めてもらうための)

朝鮮半島は4つに分かれていた
高句麗(北部)、新羅(南東部)、百済(南西部)、加羅(任那・南端部)
大和政権は百済、加羅と結んで高句麗、新羅と戦った。

渡来人
半島からの渡来人が増えたため、中国の技術が伝わった。
・絹織物
・鉄製農具
・須恵器
・儒学
・漢字
・仏教

⑤飛鳥時代
い. 東アジア
隋 6世紀に中国を統一
大運河
唐 7世紀に中国を統一
長安(都)、律令制

ろ. 聖徳太子の政治
大和政権の有力豪族、蘇我氏や物部氏がそれぞれの押す大王を立てよとした
推古天皇の摂政となった聖徳太子は、蘇我馬子と協力して政治を行った。
冠位十二階(603)家柄ではなく実力主義の階級制度
十七条の憲法(604)仏教・儒教の哲学・倫理観を元にした役人の心構え
遣隋使の派遣(607)、小野妹子たちを隋に派遣した
飛鳥文化:仏教文化が栄えた
法隆寺、釈迦三尊像、天寿国繍帳、玉虫厨子

は. 大化の改新(645年)
蘇我氏の独裁政権
中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が蘇我氏を倒した、
政治改革(公地公民=国有化)を大化の改新という
中国と朝鮮と日本のくだらない戦い
新蘭が唐と結んで高句麗と百済を滅ぼした。
663年、日本は百済を助けるために大軍を派遣したが唐連合軍に敗れた。白村江の戦い

壬申の乱(672(701年)年)
天智天皇没後
大海人皇子(後の天武天皇)と大友皇子(天智天皇の皇子)の戦いに勝利し天武天皇誕生
唐の法律に習った大宝律令(701年)がつくられた。律は刑罰、令は政治
天皇と貴族が中心となり律令国家を運営した。
2官8省、国郡里制、班田収授の法(6歳以上の男女に口分田を与える)
天武天皇の没後、皇后が持統天皇として即位する

⑥奈良時代(80年余り続く)
い. 平城京(710年)
太政官と神祇官と呼ばれる2官がいて、太政官の下に8省をおいた
地方には国司を派遣し、豪族を郡司として任命することで地方政治を行った
大宰府(北九州)は外交や防衛の任についた。多賀城(東北地方)が建てられた
和同開珎(708)という貨幣を発行した

ろ. 奈良時代の人々の生活
租は3%税、庸・調は特産物を納める税
防人(さきもり)は九州の防衛
唐の均田制に習い6年毎に戸籍が作られ、住民登録された
口分田が与えられ死亡すると国に返される班田収授の法ができた
納税義務ばかりで権利がないため、逃亡(口分田を放棄して逃げ出す)するものも出る
732年に三世一身法を出すが効果無く
新しく開墾した土地は私有権が認められ子孫に伝えて良いという墾田永年私財法(743年)を出す
社寺や貴族は農民に開墾させ私有地の荘園を広げたため国有の公地公民は崩れた。

は. 奈良時代の文化
唐に遣唐使の派遣(630~894年)し制度や文化(書物、経典)を輸入した
藤原道直によって白紙(894)に戻す遣唐使廃止
鑑真が日本に渡り仏教を広めた 唐招提寺 行基
唐文化の影響を受けた天平文化
聖武天皇は、東大寺(奈良)、国分寺・国分尼寺(国ごと)を建て、大仏を建立した(行基の協力)
東大寺の正倉院(聖武天皇の調度品所蔵1万点余り)は、校倉造りで建てられた
天皇口伝の歴史を文章化した記紀『古事記』・『日本書紀』、自然や伝説を集めた『風土記』、和歌を集めた『万葉集』が書かれた

https://www.youtube.com/watch?v=rB4RId0Bq8w

聖武天皇即位 新嘗祭?
大嘗祭の荷札とみられる木簡が見つかる(今年3月19日奈良テレビ報道)

⑦平安時代
い. 平安京
奈良時代後半に桓武天皇が都を遷して、混乱した律令政治の再建しようとした
長岡京(784) →平安京(794) 平安時代は約400年間続く

ろ. 東北経営
坂上田村麻呂(征夷大将軍)を派遣(朝廷に従わない東北地方の蝦夷を打つため)

は. 藤原氏の政治
摂関政治
自分の娘や一族の娘を天皇に嫁がせ、天皇の外戚として権力を握る
天皇幼少期は摂政として代わりに政治を行い、天皇が成人すると関白となり政治を行う事で
すべての実権を握った
藤原道長・頼通(道長の嫡男)による摂関政治が続いた
道長「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたることも無しと思へば」(望月の歌)
官職の独占と私有地である荘園からの収入
受領(ずりょう)の横暴
地方政治の混乱 国司

に. 平安時代の文化
新しい仏教
最澄が天台宗を伝え 比叡山延暦寺を建てた
空海が真言宗を伝え 高野山金剛峯寺を建てた 真言宗は密教
中国では宋が力を持ち、朝鮮では高麗が力を持った
日本で国風文化がおこる
唐伝来の文化から日本の風土や生活や感情に合った文化へ変化する。
漢字を変化させた仮名文字が発明され和歌や詩に使われる。漢字も併用される
『古今和歌集』『土佐日記』は、紀貫之
『源氏物語』は、紫式部
『枕草子』は、清少納言
寝殿造り
大和絵『源氏物語絵巻』
浄土信仰
10世紀なかば治安が乱れ、阿弥陀如来にすがり極楽浄土に成仏を目指す浄土信仰おこる
宇治(京都)の平等院鳳凰堂(藤原頼通)や平泉(岩手)の中尊寺金色堂を代表とする阿弥陀堂が建てられた

ほ. 武士の起こり
地方で力をつけた豪族や有力農民らが自らの土地を守るために武装集団を作る(武士団)
特に有力なのが、天皇の子孫である源氏と平氏で、後に源平合戦に至る。
武士は京の都で上級貴族の屋敷の警備などについて力を伸ばした。

へ. 武士の成長
平将門の乱(935年) 関東地方
藤原純友の乱(939年) 瀬戸内地方
前九年合戦(1051年)
後三年合戦(1083年)
大きな合戦を沈めた源義家が関東で勢力を伸ばす(11世紀)
西日本で勢力を伸ばしたのは平氏だった(12世紀前半)後三条天皇

と. 院政
天皇を退位した白河上皇が、院政を始める(1086年)
摂関家から上皇に権力が移る

ち. 平氏の政治
保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)により源義朝を破り平清盛が権力を握る
平清盛、太政大臣となる(1167年)
平氏一族が、官位官職を独占
大輪田泊(兵庫港)が開かれ貿易港となる 日宋貿易

り. 平氏の滅亡 →鎌倉幕府
平氏の官位官職独占に不満を持つものが増える
源頼朝が鎌倉に拠点を置き、弟の源義経を(現代の山口県)壇ノ浦に送り平氏を滅ぼした
源頼朝は国ごとに守護を置き、荘園や公領ごとに地頭を置いた(1185)
鎌倉幕府を開く 鎌倉時代は約140年間続いた
源頼朝は征夷大将軍に任命される(1192)
御恩と奉公=主従関係の構築
将軍は御恩として武士に領地を保護、功績により新しい領地を分け与えた
下級武士は平時は警備や農民として暮らしていた。
武士は御家人として将軍に忠誠を誓い奉公をした(将軍と御家人の互恵関係)
将軍は御家人を統率するために侍所を設置した
武士の裁判所として問注所を置き、法に背くものを取り締まった。
財政を扱う政所(まんどころ)を置いて徴税や予算配分などを行った。

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