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シャニマス「樋口円香」は「浅倉透」を透して自分を見つめる

初めまして、シャニマスを始めて丁度1週間の本間です。

今回の内容は樋口円香の感謝祭コミュで感じた浅倉透と樋口円香の関係性についてです。
前半はコミュの要約なので、知ってる人は飛ばしても構いません。

感謝祭では、283プロダクションに所属しているアイドル達がファンの為にライブをするのですが、樋口円香は相変わらずニヒルなスタンスです。

そんな樋口は感謝祭本番前、プロデューサーに対してこんな事を言います。「一方的に照らされて 一方的に視線を受ける…… ここは本当にアンフェアな場所 ステージから見えるのは、今日、その人が客席にいるという事実だけ」プロデューサーはそれに肯定で返します。「ああ 事実っていう、形だけだな」こうして樋口円香は、noctchillのメンバーと一緒にステージに上がり、感謝祭をやり遂げます。

感謝祭が終わった後日、noctchillのメンバーはいつもの様に浅倉透の部屋に集まっています。福丸小糸が浅倉と樋口に、感謝祭が楽しかったかどうかを尋ねます。「と、透ちゃんと円香ちゃんはどうだった?」浅倉は考える素振りを見せた後、樋口に質問を流します。「んー 樋口は?」「よかったんじゃない 客席も喜んでたっぽいし」樋口は質問を返します。「浅倉はどうだったの?」「……なんだろ めっちゃいたね人」小糸が意味を尋ねます。「え……? ファンの人が、ってこと?」「うん」浅倉の頭には疑問が浮かびました。「何、見えてたかな」「み、みんな ステージ見てくれてたよ……?」「なんか、こっちが見てたって感じだったから」
樋口が答えます。
「…… 見てるぶん、見られてたんじゃない」
「え?」
それは、浅倉には気づけなかった考えの様で
「そっか いいね」
浅倉はどこか嬉しそうで
「見えてたのか あれ」

別の日、樋口はプロデューサーに、ファンから来た感謝祭への感想を伝えられます。それは樋口の歌の良さについてでした。しかし、樋口はそれを受け取ろうとはしません。
「…… それは歌詞や曲や何かの力で、私には関係ない」
プロデューサーは疑問を投げかけます。
「そうか?」
「だって、私は 誰かのために、歌っていない ……」
樋口は少し考えると、ハッと何かに気が付きます。

ここからが私個人の感想になります。

最後の樋口の気づきは、自身の二つの発言(もしくはそれらの発言に関連する想い)を思い出したことによるものです。その二つの発言とは「見てるぶん、見られてるんじゃない」と「観客も喜んでたっぽいし」です。一つ目の発言は、浅倉の問い「自分は観客を見ていたけど、観客は何を見ていたのか」に対する「自分が観客を見ているなら、その分観客も自分を見ている」という樋口の回答になります。そしてもう一つの発言は、樋口から観客がどのように見えていたのかを表したものです。

では、今の樋口はどのような状況でしょうか、「ファンから自分に対して歌に関する感想が届いている」という事実、そして「自分は誰の為にも歌っていない」という彼女の思い。しかし、もし「見てるぶん、見られてる」と思うなら「ファンから自分に歌の感想が届いてるぶん、自分はファンに向けて歌っている」となる筈です。

樋口はここで、アイドルとしての自分に気づくのです。感謝祭をやる前までステージとは「一方的に視線を受けるアンフェアな場所」そして「観客がいるという事実が見えるだけ」だと思っていたのが、感謝祭後には「見てるぶん、見られてる」とてもフェアな場所で、しかもそこでは「喜んでいる観客がいたという事実が見えた」ということに。これはつまり「観客からは『喜んでステージ上に立つ樋口円香』という事実が見えていた」ということ。だからこそプロデューサーは「私には関係ない」と言い切った樋口に対して「そうか?」と疑問を投げかけたのです。

そして、樋口が気づきを得るきっかけになったのは、浅倉透との問答によるものでした。樋口円香は、持ち前の批判的な性格で物事の本質にいち早く気づけるのですが、その批判的な性格故に、その事実ですら素直に受け止める事が出来ません。しかし、浅倉透が目の前にある事実を純粋な形に落とし込んで疑問として投げかけて来ます。

樋口は浅倉の疑問に答えることで、自分の中にある偏った批判精神を無くし、純粋な目で世界を見る事ができるのです。浅倉の投げやりにも見えるその姿勢が、周りの人々に純粋な世界を見させるのです。


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