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心と表現が噛み合わない時に《生き直し研究所》

渡邉帆南美《生き直し研究所》CG/2021年


人とテキストで会話している時、なんとなく相手の言葉にリアルさや重みを感じない時がある。また内容によっては、相手が何を言っていて、どういうつもりでそれが話されたのか、全く理解できないような感覚になる時もある。逆にこちらが一方的に何回も上手く伝えようとしているのに突き刺さっていってないような感覚を持ったり、途中や本題に入らないうちに終わってしまうこともある。

それらの瞬間に決まって、あれっ、これってもしかして話してることや真意が、最初から相手にきちんと伝わってないんじゃないかと考える。

一回そうなると、もう大変で、そもそも今まで会話していた事や関係性や、信じてた相手との間柄までも、もしかして自分が思ってたのと相手が思っていたことには、ずれが生じているんじゃないかと思い始める。

そういうところから不信感が生まれて、自分だけが相手と仲良いと思ってて実際にはさほどではなかったんじゃないかとか、内容の認識が会った時に「全然違うよ」みたいなこと言われるんじゃないかということを考え始めたら汗がダラダラ出そうになるが、実際会ってみて、本当によそよそしい態度を見たらそれが自分の中で確信に変わり勝手に打ちのめされたりするのだ。

それが実際に相手を目の前にしていないコミュニケーションの限界か。

と、言いそうなところだけれど、ここで思い出したいのは万人を感動させてきたであろう、素敵な書物たちだ。文字媒体でもきちんと人に伝わることがあるとすれば、やはり言葉を扱う人の技量にもかかってくるのだろうか。

今回の作品では、忙しさや仕事に追われた日々を送るなかで、自分の自己表現が上手く外側にできていない人についてを描いた。仕事の合間、合間に立ち止まり、様々な視点や意外性のある地点から、再びいま、己を正しく表現することを「研究」することとはどんなことだろうか。そういう事を考えながらこの絵を作った。

しかし、ここまで書いて、ふと思う。
この解説文章も、あなたに伝わっているだろうか。





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