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気付いたら32歳で家具職人になっていた。(その1)

こんにちは。サラリーマンから32歳で脱サラし、家具職人になった穂並です。個人事業主になるなんてまったく考えていなかった私が、気付いたら家具工房を運営するまでになっていたお話をしていきたいと思います。

やりたいことがあるけど踏み出すのに躊躇しているという方、ちょっと参考になるかは分かりませんが、読んでもらえたらうれしいです。

1.兆候は幼稚園から?

さて話は幼稚園の頃から。

基本的にそんなに好きではなかったみたいです。仲のよい友達もいたし、運動会やお遊戯会も楽しくやっていたのですが、保育園行きたくないと親を困らせることも多かったみたいです。

覚えているのは、『行きたくない!』と幼稚園バスに乗り遅れて、親に車でつれていかれて先生に引き渡されるときに号泣しながら逃げ出したこと。

さらには走っている車のドアをあけて降りようとしたこと。

このまま小学校で不登校になるのではと、親も心配したみたいです。

ところが小学校に入ると人が変わったみたいに毎日楽しく行く私。不思議に思った親が、『何で幼稚園は嫌だったの?』と質問すると、

『幼稚園は机がみんなと一緒だから嫌だった』と答えたみたいです。

それに比べて小学校は机も道具も全部自分の物。すでに独立を楽しんでいたようです。

2.物作りに目覚める日々

小学校はサッカークラブに入っていたのですが、集団の行動がやっぱり苦手で中学は個人スポーツのテニス部。個人自営業への道に近くなってきてますね(笑)

そのころから物作りは好きで、プラモデルやラジコンに明け暮れる日々。そしてDIYをして部屋の模様替えを楽しんだりしていました。だんだんと家具職人に近づいてきます。

大学はものづくりを学ぶために機械工学科に進学。

ここで基本的な図面の書き方や力学を学んでいざ就職!無事に機械設計の仕事に就きました。

3.やっぱり何か違うな

機械設計の仕事について日々パソコンの前に座って機械の図面を書く日々。20人くらいの設計部に配属されて同じチームは5人くらい。毎日22時くらいまで残業、そして土曜出勤。

何かやりたい事と違う・・・ただ忙しいから逃げたいだけか・・・。

3年目で転職を決意。

機械設計では筐体や機構を主に設計していたのですが、機械設計は体でいうと骨格にあたる部分。それを動かす頭脳の部分はソフトウェア。転職する際に、頭脳の方に興味を持ち始めていたのでプログラムスクールに通うことに。

この時25歳。まだまだ個人事業主になるとはまったく考えていません。

それから半年ほどプログラムを学び無事転職。システムエンジニアとしてスタートを切りました。

海外出張したり、大きな仕事をチームで達成したりと日々忙しく過ごしていたのですが、やはり自分の中で何か違うなと感じるようになっていました。

・俺がやりたかったものづくりってこういうことかな。

・上にいくと管理職というものづくりとは関係ない立場になるな。

・お客さんに直接喜ばれるものづくりがしたいな。

・やっぱりサラリーマンという集団の行動は自分には合わない。

という思いが出てきたのです。


4.家具職人の世界との出会い

そんな事を考えている3年目の海外出張中。何気なくネットを見ていると家具工房のサイトが出てきました。

その方は元サラリーマン。35歳で家具職人の道へ。お客様から直接注文を受けてその人に合った家具を作って納品する。

まさに私がやりたい事はこれだ!とビビッときました。

ただ、この時はまだ2回も会社を辞めるという勇気はありませんでした。

何となくあこがれはじめた家具工房。それから色んな家具工房のサイトを見まくって、家具職人には脱サラ組が多いことがわかりました。そして職業技術校というのが脱サラ組が家具職人にある近道であることも分かりました。

5.自分の体調不良と父の死

やりたいけどやめられない。

そんなモヤモヤとしていたある日、何となく自分の体調の変化に気付きました。会社に行くと頭痛がする。そして動悸が起きる。酷いときは冷や汗が出る。体の中の調子がおかしくなっていました。週に2~3日ほど体調不良で休む日々が一ヶ月ほど続きました。

体調も少しずつ元に戻り初めたころ、癌で長年闘病していた父が他界しました。

父は酒が好きで、晩年には居酒屋をやりたいと”居酒屋のはじめ方”などの本を読みながら『店開きたかったわ』と良く言っていました。

身近な人が亡くなるというのは、それまではどこか他の世界の話と思っていた死というものが自分事として降り注ぐ体験です。

ありきたりな言葉だけど、人生一度きりという言葉が身にしみました。

この時に会社を辞めて家具工房をやろう!と決意しました。

だから私が独立したのにはマイナス要素(サラリーマンを辞めたい)プラス要素(家具工房を作って独立したい)、そして後押し要素(父の死)が合わせって行動をおこせたのです。

プラス要素だけではたぶん行動を起こせなかったと思います。

今迷っている方は、マイナス要素というのも時に行動をおこす強い引き金になることを覚えていて下さい。


その2につづく

さて結婚もしていた私が、その後会社を辞めて訓練校の門を叩くまで。そして訓練校の生活については(その2)で書いていきたいと思います。


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