研究者はなぜガラス器具を入念に洗ってしまうのか?
大学院で、生物学系の、それも実験をゴリゴリやる系のラボに所属すると、学生が最初に叩き込まれるのはガラス器具の洗い方だ。
うちのラボのお作法はこうだった。
まず、使い終わったガラス器具を、洗剤とタワシを使ってよく洗う。
次に、水道水で、石鹸の泡を洗い流す。
泡がなくなったら、そこから水道水でさらに15回すすぐ。(15回だ!)
そして最後に、脱イオン水といって、水道水を少し精製してイオン的なものを除いた水ですすいで、終わり。
時間がかかって、重労働だった。
これを叩き込まれてるせいで、僕は20年経ってもいまだに、食器洗いの時についついすすぎ過ぎてしまって、時間がかかる。
今の仕事の同僚も、会社で実験に使った器具は、すごく入念に洗っている。
みんな若いころに叩き込まれてるんだ。
なぜ丁寧に洗うのか?
ひとことで言うと、実験の「再現性」のためだ。
再現性っていうのは、
その実験を何回やっても、同じ結果が出る
っていうこと。
なにしろ、研究論文を出すってことは、ある事実を「事実です!」って世界で初めて主張するっていうことだ。
そうじゃないと、世界初じゃないと、論文にならないから。
でも、1回だけうまくいった実験を根拠に、「世界初のなにか」を主張するなんて、危なくってしかたない。
だから、実験は必ず複数回やって、同じ結果が出れば、「たぶん信頼できる結果だろう」ってことで、その結果を論文に書くのだ。
あと、こうやって出した論文を読んだ別のラボのだれかが、同じ実験をやってみることもたまにある。やってみたけど、論文と同じ結果にならなかった、なんてことになったら大変だ。下手すると「この論文は信頼できない!」って騒ぎになるかも知れない。
だから実験は、
何回やっても
誰がやっても
同じ結果になることが、とても大切なんだ。
そして、実験の再現性を支える基礎となるもののひとつが「水」なんだ。
実験で使う試薬は、高純度の水にいろんな成分を溶かして作る。
でも、作る時に使うガラス器具が汚れていたらどうなるか?
できあがった試薬に、何か分からない成分が混ざってしまう。
不純物が混ざった試薬で実験をして、たまたまいい結果が出たとする。
でも、次の実験で、きれいなガラス器具で作った、不純物のない試薬を使ったら・・・
同じ結果が出ないのだ!
だから、汚れた器具で実験した結果を論文にのせちゃったら、大変なことになるのだ。
つまり、
実験の再現性は、安定した品質の試薬が支えてて、
試薬の品質は、純度の高い水が支えてて、
水の純度は、汚れのないきれいなガラス器具が支えてる。
(「おおきなかぶ」みたいだな・・・)
こういう怖さを理解すると、学生は誰に言われなくても、ガラス器具をものすごく丁寧に洗うようになってしまう。
これは、もはや本能に近い。
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