見出し画像

ジキルとハイドと試薬のロット差

「ジキル博士とハイド氏」という小説がある。

有名な小説なので、あらすじをご存知の方も多いだろう。

以下はネタバレになるけど、善良なジキル博士は、「善と悪を分ける薬」を発明し、悪人ハイドに変身して悪事を働いていた。ジキル博士は、ハイドに変身する薬と、ジキル博士に戻る薬を発明したが、物語の終盤で戻る方の薬が効かなくなり、ジキル博士に戻れなくなって、破滅を迎える。

薬が効かなくなった理由は、物語の中でこう推測されている。
 最初に作った時の原料にわずかな不純物が入っていて、
 それが薬の効果に重要な役割を持っており、
 次に買った原料にはその不純物が含まれていなかった。
そしてそんな都合のよい不純物が含まれた原料は、二度と手に入らなかったのだ・・・

なかなか科学的な小説だ。

これは「ロット差」のお話だ。

ジキル博士は、
ロット差のせいで、
その生涯を閉じることになってしまった、
とも言える。

この恐ろしい「ロット差」とはなんだろう?
そして、ロット差の被害を最小限にするには、どうすればいい?

ロットってなに?

ロット差を考える前に、
そもそも「ロット」ってなんだろう?

小さなビンで売られてる薬品も、実は工場では大きなタンクで作られている。タンクの中身はよくよく混ぜられてから、小さなビンに入れて売られる。
ある時、あるタンクの中で、よくよく混ぜられて完成した大量の薬品を指して、
「ひとつのロット」
っていう。

よくよく混ぜられてるから、
「ひとつのロット」
の薬品の品質は均一だと考えられる。

この品質は、たくさんの小さなビンに分けて入れられても均一なはず。

だから、どのビンにも同じ「ロット番号」か貼られる。

あるビンを開けて使ってみて、よい品質だと分かったら、同じロット番号が貼られた別のビンの品質も大丈夫だろう、と思えるわけだ。

逆に、あるロット番号のビンの中身に問題があると分かったら、同じロット番号のビンが全部回収されてしまったりする。

ロット差ってなに?

また別の日に、工場でタンクに同じレシピで同じ原料を入れて、同じ薬品を作る。もちろん入れる原料の量はなるべく正確に計る。反応させる温度だって、なるべく正確に制御する。

でも、どんなに正確に計っても、原料の量は前と完全に同じにはならない。温度も、ごくわずかには前と違うだろう。

だからこのロットの薬品の品質は、前のロットとは微妙に違ってしまうのだ。

つまり、同じ薬品でも、ロットが違うと品質は全く同じではない。

こういう、ロットごとの違いを
「ロット差」
もしくは「ロット間差」
っていう。

ロットが変わったら実験が・・・

研究者にとって、ロット差は常に心配のタネだ。

ある試薬を使って、
ある実験をずっとやってて、
いつもうまくいってたのに、
ある日、突然うまくいかなくなる。

急いで論文を書かなきゃいけない時にこんなことになったら、焦りは尋常じゃない。

「なんでうまくいかない?」
「試薬のロット差か?」
と考えることになる。

ロット差がこわい試薬といえば、その代表格は「抗体」だろう。

ちょっと専門的な話だけど、
例えば
 ウエスタンプロッティング
っていう実験がある。
薄い膜にタンパク質をくっつけてて、そこに抗体を反応させて、膜のどこに目的のタンパク質があるか調べる実験だ。

目的のタンパク質があれば、そこに抗体がくっついて、「バンド」と呼ばれる細長いシミみたいなのが
膜の上に現れる、
 ・・・はずなのだ。
実験がうまくいっていれば。

ところが・・・
あるロットの抗体を使っていて、
ウェスタンブロッティングがずっとうまくいっていて、
でもその抗体がなくなったから、もう一度買ったら、
別のロットだったとする。

そして、その新しいロットの抗体を使い始めたら
バンドが、出ない・・・

考えられる原因は山ほどある

これは抗体のロット差だろうか?
新しいロットの抗体の品質が悪いのか?

もちろん、その可能性もある。

でも・・・
 たまたま、実験の手際がちょっと悪かったせいかもしれない
 サンプルの中に目的のタンパク質がなかったのかもしれない
 実験に使った、抗体以外の試薬(いろいろある)の品質が悪かったのかもしれない

抗体以外にも、可能性はいっぱいあるのだ。

ロット差の被害を最小限に

いろんなメーカーからいろんな試薬を買って実験をしているから、ロット差の被害にあってしまうリスクは常にある。

でも、そのリスクをなるべく抑える方法も、なくはない。

ロット差がないかどうか、
いや、ロット差は必ずあるけど、それがどのぐらいの差なのかを、
あらかじめ調べておくのだ。

めんどくさいけど、これしかない。

そして、めんどうだけど、やることはシンプルだ。
今使っているロットの抗体が少なくなったら、完全に使い切らないうちに次のロットの抗体を買うのだ。

そしてウェスタンブロッティングだったら、膜の上に、ひとつのサンプルのバンドをいくつか転写しておいて、その膜を2枚に切り分ける。
そして2枚の膜に、前のロットと新しいロットの抗体を、それぞれ反応させる。
そうして現れるバンドの濃さに差がないかどうか確認するのだ。
というか、差はあるだろうけど、その差が許容範囲かどうかを確認する。

これは抗体の例だけど、どんな試薬でも基本は同じ。

ひとつのサンプルをふたつに分けて、
前のロットの試薬と、新しいロットの試薬を、それぞれ反応させる。
そして結果にどれぐらい差があるか、チェックする。

差がありすぎるロットの試薬は使わないようにすることで、とりあえず被害は免れる。

それに、その試薬以外の試薬やサンプルは、ふたつの実験で全く同じものを使えば、結果に差があっても違うのはその試薬のロットだけだから、「この試薬にロット差があるのが原因だ!」と特定できる。

そして、
「全く同じサンプルで実験したのに、前のロットとこんなに差がある。」
と、データを試薬のメーカーに示して、差が出ないロットを提供するように主張できるのだ。

まとめると・・・

○ 試薬の品質にはロット差がある
○ ロット差が大きいと実験がうまくいかないことも・・・
○ 事前にロット差をチェックしておくと、被害を最小限にできる
 っていう感じ?

ロット差のリスクをなるべく抑えるには、たぶんこれしか方法はないと思う。

めんどうだけど、ロット差をチェックすることで、ジキル博士の悲劇を防ぐことができるのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?