005_表紙

ウイルスって何だろう? シンプルすぎるその生き方から、生命の本質が見えてくる!(・・・気がする)

中学生の時、細胞がとてもダイナミックに動くことを習って、細胞が大好きになったことを以前書いた。

ウイルスを知った時も、そのあまりのシンプルさに衝撃を受けて、
 「ウイルスに比べたら・・・
  細胞はまるで宇宙みたいにでっかくて複雑じゃないか!」
と、ますます細胞が好きになった。

細胞に、畏敬の念を抱くようになったと言っても言い過ぎじゃないだろう。

ウイルスは、ものすごく小さい

僕たち真核生物の細胞(中に核がある細胞、真核細胞)の大きさは、
大体10マイクロメートルぐらい。
1ミリの100分の1ぐらいだ。

バクテリア(中に核がない細胞、原核細胞)の大きさは、
大体1マイクロメートルぐらい。
つまり、1ミリの1000分の1ぐらいで、真核細胞の10分の1ぐらいだ。

バクテリアもかなり小さいけど、
ウイルスはさらに小さくて、
数10ナノメートルから、100ナノメートルぐらいしかない。
つまり、1ミリの1万分の1か、もっと小さいってことだ。
真核細胞の100分の1か、もっと小さくて、
バクテリアの10分の1か、もっと小さいんだ。

004_大きさ比較

真核細胞やバクテリアは、
「光学顕微鏡」と言って、目に見える光(可視光)を利用する顕微鏡でも見えるんだけど・・・
ウイルスは小さすぎて光学顕微鏡では見えない。

もっと小さいものが見える、
「電子顕微鏡」という装置を使うことで、
ウイルスは初めて「見える」ようになったんだ。

「見る」ために技術革新が必要だったほど、ウイルスは小さいってわけだね。

ウイルスは、ものすごくシンプル

ウイルスは、
 外側を覆うタンパク質の「殻」と、
 その中に収められた「遺伝子」、
このふたつだけでできている。

003_ウイルス

 殻と、遺伝子!
 このふたつしかない。
 ウイルスは、細胞ではないんだ。

それに比べて、「細胞」は・・・
 例えば、バクテリアはどうだろう?

バクテリアは、
真核細胞よりはシンプルだけど、それでも・・・
 細胞膜には、
  エネルギーを生むための電子伝達系や、ATP合成酵素があるし、

 細胞の中には、
  ゲノムDNAや、
  タンパク質を作るためのリボソーム、
  DNAをコピーするしくみ(DNAポリメラーゼ)
 なんかが詰まってるし、

 細胞の外には、
  水中を泳ぐためのべん毛が生えていたりする。

000_ウイルス

そして、真核細胞は・・・
 バクテリアよりはるかに大きくて、複雑だ。
直径10マイクロメートルほどの細胞の中に、 
 核
 小胞体
 リボソーム
 ゴルジ体
 ミトコンドリア
 細胞骨格
 エンドソーム
 リソソーム
  ・・・などなど
巨大で複雑な構造がたくさん詰まっている。

001_真核細胞

それに比べて、ウイルスは・・・

 タンパク質でできた殻と、
 その中に収められた遺伝子だけ!

ウイルスの、衝撃的なまでの単純さを思う時、
真核細胞の、宇宙のような巨大さと複雑さに、
心打たれてしまう。
細胞に、畏敬の念を抱いてしまうんだ。

そして注目すべきは、ウイルスは、
 遺伝子をコピーするしくみも・・・
 タンパク質を作るしくみも・・・
持っていない!

だって、殻と遺伝子だけなんだから。

でも・・・
 自分の遺伝情報をコピーできず、
 自分の部品も作れずに、
どうやって生きていくんだろう?

っていうか、ウイルスは生き物だと言えるんだろうか?

ウイルスはとても頭がいい

もう一度言う。

ウイルスは、
 タンパク質でできた殻と、
 その中に収められた遺伝子、
だけでできている。

ところでウイルスは、
 生き物から、別の生き物へと、感染していくし、
 生き物の体の中で増えていく。

そう、ウイルスは「増える」。

だから、何とかして遺伝子やタンパク質を作らないとね!

作るしくみがないのに、どうやって・・・?

「作る」を・・・
 アウトソースしちゃえばいい!
 誰かに任せてしまうんだ

例えば真核細胞は、核の中に遺伝子をコピーするしくみを持っている。

ウイルスは細胞の表面に取りつくと、
自分の遺伝子だけを、細胞の中に注入する。
ウイルス全体が侵入するわけじゃない。
遺伝子という「情報」だけが侵入するんだ。

ウイルスの遺伝子は細胞の核に移動して・・・
遺伝子をコピーするしくみをハッキングして・・・
 ウイルス自身の遺伝子をどんどんコピーして増やす。

こうしてウイルスは、
「遺伝子の複製」を細胞にアウトソースしてしまうんだ。

では、タンパク質の殻はどうするんだろう?

例えば真核生物だと、
 核で遺伝子の配列が mRNA(メッセンジャーRNA)に写し取られて、
 mRNAは核から出て、リボソームにやってきて、
 リボソームでは mRNA に書かれている通りの配列でアミノ酸がつながっていって、
タンパク質ができる。

ウイルスはこのしくみもハッキングしてしまう。
ウイルス遺伝子の内容が移し取られたRNAがリボソームに送り込まれ、
リボソームではウイルスの殻の材料となるタンパク質がせっせと作られるのだ。

こうして、ウイルスに乗っ取られた細胞では、
 ウイルスの遺伝子と、
 ウイルスの殻が、
せっせと作られる。

そして、殻の中に遺伝子が収まって・・・
  ・・・ウイルスのできあがり!!

完成したたくさんのウイルスは、
最後に細胞膜を破って、外に出てくる。

外に出たウイルスは、また別の細胞に感染して・・・

これを繰り返して、ウイルスの感染は広がっていく。

つまりウイルスがやっていることは、
 細胞に情報(ウイルスの遺伝情報)を、
  送り込んでるだけ!

自分の遺伝子や殻を作る仕事は、
 すべて細胞にアウトソースしている。

・・・なんて頭がいいんだろう

僕が若いころに読んだSFマンガに、
インターネットの世界を泳ぎまわって自我に目覚めてしまったプログラムが、サイボーグ工場に侵入して、勝手にサイボーグを1体作り、その中に自分(プログラム自身)をコピーして工場から逃げ出す、
っていうお話があった。

ウイルスがやっていることはこれに近い。

今どきの技術に例えると・・・
 USBメモリ自身の設計図が入っUSBメモリと、
 USBメモリを作れちゃう高性能な3Dプリンタ、
があったとしよう。

USBメモリは、3Dプリンタに挿さって、
自らの設計データを、3Dプリンタに送り込む。

すると、3Dプリンタは、USBメモリを次々に作り出し、
仕上げにUSBメモリの中に、USBメモリ自身の設計図を書き込んで、
出来上がったUSBメモリを外に放出する。

外に出たUSBメモリは、また他の3Dプリンタに挿さって・・・

を、繰り返して、USBメモリはどんどん増えていく。

これがつまり、ウイルスが感染していくプロセス、ってわけだね。

つまりウイルスの本質って・・・
 USBメモリに書き込まれた「情報」なのかな?
 生命は・・・、「情報」なんだろうか?

頭がクラクラしてくる・・・。

ウイルスは生命なのか?

ウイルスは、なんと結晶化してしまうこともある。

結晶っていうのは、
 原子や分子などの粒子が、
 規則正しく並んで固まりになったものだ。

結晶になっちゃうような粒が、
 生命だなんて言えるだろうか?

この問題については、いろんな意見がある。

例えばウイルスは、何通りか提唱されてる「生命の定義」とは一致しない。

なので、
 「生命の定義とは一致しないから、ウイルスは生命じゃない。」
という議論は昔からある。

この論理には、一見して矛盾はない。

でも、
 「ウイルスは生命ではない。」
と言われた時の、この納得のいかなさは、なんだろう・・・

これは、僕の感覚の問題だと思う。
だから、以下はあまり論理的な主張ではないけれど・・・

生命は「定常解放系」だと思う、という話は以前書いた。

定常解放系っていうのは、
 ・出入口が外の世界に開かれていて(開放)
  エネルギーや物質が常に流れ込み、
   そして流れ出ていて、
 ・なのに常に変わらずそこにある(定常)
・・・ように思われる何か、のことだ。

例えば、川の流れの激しい所にできる「渦」みたいな。

渦には、
 水の流れの勢い、という形で、
 エネルギーが常に流れ込んで来て、
 そして流れ出て行くし、
渦を構成する水分子も
 すごい勢いで入れ替わっていく。
なのに渦は、常にそこにある。

僕たちも同じだ。

食べ物という形で、
 エネルギーや、物質を常に取り込んでいる。

そして、
 運動したりして、エネルギーを放散してしまうし、
 余った物質や、いらなくなった物質は排泄してしまう。

つまり、
 僕たちの体は、
 エネルギーも物質も常に激しい出入りしてるのに、
 今日の僕は、昨日の僕と同じ「僕」のつもりでいる。

僕たちは定常開放系だろう。

ウイルスは?

ウイルスをクローズアップして、
殻と遺伝子だけでできた粒をじーっと見てても、
ちっとも「生き物だ」っていう感じがしてこない。

この粒には、エネルギーも物質も出入りしていない。
これは定常解放系じゃないだろう。

でも、もっと視点を引いて、遠くから見たら?

実は、
 遺伝子を複製するプロセスにも、
 タンパク質を作るプロセスにも、
ATPが必要だ。
つまり、エネルギーが必要なプロセスなんだ。

だから、
 細胞の中でウイルスが新たに作られるプロセス
には、
「エネルギーが必要」
ということになる。

そしてもちろん、このプロセスには「材料」、つまり「物質」も必要だ。

つまり、ウイルスの集団が、
 ある生物の集団の中で
 ある一定の期間、維持されている
という現象
(例えば、ある小学校で、インフルエンザがある一定の期間蔓延してしまう、という現象)

の全体を遠くから眺めると、
そこには、
 エネルギーの出入りがあるし、
 物質の出入りがある。

これは定常開放系だと言っていいと思う。
これは「生き物だ!」という気がしてくるんだ。

アサガオや犬を「生き物だ」と思うんじゃなくて、
「現象」に生命感を感じるなんて、変な話だろう。

でも、ウイルスの集団としてのダイナミックさを思うと、
どうしてもそういう気がしてしまうんだ。

ウイルスの反対側に見えてくるもの

まあでも、
 ウイルスは生命なのか、どうか?
は、結局その人の感じ方次第、なのかも知れない。

それより、ウイルスのあまりにもシンプルで、ミニマリストな生き方を見ていると、逆に「生きる」ってことについて見えてくることがある。

ウイルスは「情報」しか持ってなくて、
 「エネルギー」も、
 「物質」も、
細胞から分けてもらっている。

つまり、「生きる」ためには、情報だけじゃダメだ。
エネルギーも、物質も、絶対に必要だと分かる。

「セントラルドグマ」っていう考え方がある。

生命の本質は
DNA → RNA → タンパク質
という情報の流れにある

っていう考え方だ。

セントラルドグマは画期的だった。

セントラルドグマ以前の生命のイメージって、
 ドロドロしてて
 やわらかくて
 なま温かくて
 とらえどころのない、なにか
という感じ。

それが、セントラルドグマのおかげで、

「とりあえず DNA を起点に考えてみよう」

っていう手掛かりが、突然与えられた。

これがきっかけで、20世紀後半、生物学は爆発的に進歩した。

でもたぶん、その爆発は終わりつつあって、
生物学は壁にぶつかっている。

この壁をぶち破るヒントは、たぶん、
生命の本質は情報だけじゃない、ってあたりにある。

セントラルドグマは、たぶん
生命から、いろんな要素を
そぎ落としすぎたんだと思う。

生物学は、もう一度、生命の、
 ドロドロした感じ
 なま温かい感じ
みたいなものと真正面から向き合う必要がある
と思う。

情報、エネルギー、物質
これらが激しく渦巻く
細胞
という巨大なシステム

このシステムを、なるべくバラさずに、
まるっと見つめる生物学や数学。

そういうものが、次に必要なんだと思う。


*  *  *  *  *

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