ベテラン翻訳編集者がやっと出会った、超ド級の物語【編集者通信】
7月30日に待望の 日本語訳が発売となった、ミン・ジン・リーさんの『パチンコ』。本作はアメリカで100万部突破のベストセラーとなりました。
担当編集者の永嶋俊一郎が、本作についてお話しします。
20年来の翻訳出版担当者に「ついに見つけた!」と思わせた本作の魅力とは...…?
なお、本の話noteでは、9/23(水)12:00まで、第1章・第2章が絶賛特別公開中です! (※公開終了いたしました)
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『パチンコ』はどんな小説?
——『パチンコ』は2017年にアメリカで刊行されたのち、100万部突破の大ベストセラーになった小説です。簡単に本作についてご紹介いただけますか。
永嶋 この小説をお書きになったのは、韓国系アメリカ人の著者であるミン・ジン・リーさんです。
物語は1910年の釜山沖の島で幕を開けます。そこから1989年の東京・横浜に至るまでの、在日コリアン一家4世代にわたる、長いタイムスパンの話になります。
釜山沖の島で生まれた女の子が、止むに止まれぬ事情があって、結婚をして大阪に渡るんですね。彼女が主人公と言っていいと思います。移り住むのは、今も韓国人の方のコミュニティがある、大阪の鶴橋です。
しかし、やはり時代が時代なので、今以上に差別が厳しく、かなり劣悪な状況の中に置かれるわけです。その中で、彼女は戦中から戦後にわたっての大阪を生き抜いて、二人の子供を育て上げる。そしてさらにその二人の子供と、孫までの4世代の物語が描かれます。
これだけの長い話なので、エピソードとかキャラクターも膨大に出てきますし、様々なテーマが内包されています。もちろん在日コリアンへの差別の問題が出てきますし、そこから這い上がろうという一種のサクセスストーリーという面もあります。それからもう一つのテーマ、軸となっているのが、女性の生きづらさ、女性への差別ですよね。
大河小説のような形の小説なんですが、日本で読まれた方の中で、「おしん」を思い出した、みたいな方もいらっしゃいました。戦中戦後を貫く歴史の中で生き残った女性の物語ということで、NHKの朝ドラみたいな感じの質感もあるんじゃないかな、と思っています。
——こちらは、2017年の全米図書賞で最終候補に残り、そこでも注目を集めたと聞いています。全米図書賞で最終候補に残るというのは、アメリカではどのような位置付けになるのでしょうか。
永嶋 全米図書賞、英語では、National Book Awardsと言います。これは1950年に、出版社団体などによって設立されました。1989年に全米図書協会(National Book Foundation)が設立されて、今はそこで運営されています。部門はいくつもあるんですけれど、例えば長編小説の賞だと、今までにウィリアム・フォークナーや、ジョン・アップダイク、最近だとリチャード・パワーズ、デニス・ジョンソンなどが受賞しています。
アメリカを代表する小説に与えられる文学賞だと思っていただければいいのかなと思います。
担当者に「ついに見つけた」と思わせた『パチンコ』の魅力
——この本を最初に読んだとき、どのような感想を抱かれましたか?
永嶋 翻訳出版部で20年間仕事をしているんですけれど、ここ最近、小説ってすごく細分化されているな、と思っていました。純文学と大衆小説、さらにその中でもミステリ、SF、あるいは心理小説みたいに、すごく細かくサブジャンルに分かれてしまっている現状がある気がしていて。
このような状況が長い間続いている中で、我々は枝分かれの前の大きな構えの小説、ジャンル分け以前の太い物語みたいなものに飢えてるんじゃないかなって気がしていました。読者も、細かなジャンルを言われても困ってしまう、ってことが絶対あると思います。そういう、枝分かれ以前の物語みたいなものがどこかにないかなとずっと探していたんです。
それをもう、7、8年くらいずっと続けていて、ある日、エージェンシーから『パチンコ』を紹介されたんです。「あ、ついに見つけた」っていうのが、最初の感じでしたね。
同時に、例えば在日コリアン差別の問題だったり、今まさに、日本人が読むべき意味、意義がある上に、いわゆるページターナー、ページをめくらせてしまう、徹夜本みたいな物語としての強さもあると思いました。やっぱりこれはすごい小説だなと、強く印象を受けました。
『パチンコ』執筆の裏話
——ミン・ジン・リーさんは、どのようにしてこの作品を執筆されたのでしょうか。
永嶋 著者は大学時代の講義で、いわゆる在日について知ったらしいです。ちなみにZainichiってローマ字で通じるんですよ。
この講義の中で、作品の中にも出てくる、在日コリアンの男子高校生が差別の末に自殺してしまったという事件を知ったそうです。それに衝撃を受けて、本作の構想を持ったらしいんですね。
長い間かけて執筆していたんですけれども、2007年から2011年まで、一度、パートナーの方の仕事の都合で日本に住むことになったそうです。その時に、在日の方々と対話をして、聞き取りというか、取材をしたんですね。
その結果として、それまで書いていた膨大な原稿を捨てて、一から書き直したらしいんですよ。
ネタバレしない範囲でご紹介しますが、この作品の終盤の方で、主人公の孫のソロモンの、コリアンアメリカンの彼女が出てきます。彼女がいわゆるコリアン差別、日本における在日の問題について、自分の意見を述べる場面があるんです。
多分あの意見がミン・ジン・リーさんの当初の立ち位置だったんじゃないかなって思っています。ソロモンの彼女も、ミン・ジン・リーさんもコリアンアメリカンですしね。彼女の意見が「在日コリアンの問題は、日本の外側からはこう見えるよ」っていうのを代弁していて。
それに対してソロモンがどう答えるか、っていうのが多分、この小説における著者の立ち位置、テーマかなという気がしています。
——ミン・ジン・リーさんの経歴について、改めてご紹介いただけますか。
永嶋 ミン・ジン・リーさんの生まれは韓国なんですね。幼少の時に一家でアメリカに移り住み、以後、アメリカで育って、イェール大学に進学されます。先ほどお話しした、在日の話もここで学んだとのことです。イェール大学を卒業して、弁護士として2年程働いたあと、弁護士をやめて本格的に小説執筆を開始します。
単行本デビュー自体は、2007 年のFree Food for Millionairesという小説で、『パチンコ』は2作目ですね。『パチンコ』は本当に執筆期間が長いので、いわばライフワークみたいな側面もあるのだと思いますね。
——小説らしさもありながら、主人公それぞれが抱える事情や、発する言葉に、とてもフィクションとは思えないようなリアリティがあります。
永嶋 先ほど申し上げましたけれども、日本に約4年いらっしゃった間に、在日コリアンのコミュニティと接触してお話を伺うということを、かなりなさっていたみたいですね。
小説としての読みやすさという点では、ミン・ジン・リーさんが読んできた作品が影響しているのだと思います。
彼女はバルザックや、ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』などに強い影響を受けています。どちらも19世紀ヨーロッパの作家で、その後の物語の、ある種の型を作ったような作家です。作中でも、早稲田の講義のシーンでこの時代の作家の話が出てきましたね。
彼らはまさに、先ほどお話ししたような「枝分かれ」前の19世紀文学の代表作家なんですよね。彼らに影響を受けているのが、『パチンコ』の物語としての面白さというか、サスペンス、スリルにつながっているのかなと思います。
ちなみに僕は読んでいて、ディケンズや、山崎豊子さんの『大地の子』を思い出しました。
翻訳・装幀などについて
——本書は翻訳小説ということで、池田真紀子さんの翻訳の魅力についても教えてください。
永嶋 まず、この小説の翻訳者に池田さんを選んだ理由をお話ししますね。
『パチンコ』は現代文学でもあると同時に、徹夜本的な面白さ、リーダビリティの高さがあるんです。となると、その両方ができる人を探してこなければいけない。
池田真紀子さんは、エンタメサイドだと、文春のジェフリー・ディーヴァーのシリーズをずっと担当していただいています。
一方で、『ファイト・クラブ』のチャック・パラニュークや、『トレインスポッティング』のアーヴィン・ウェルシュと、割ととがった現代文学作品も手がけていらっしゃいます。
そういった過去のお仕事を踏まえて、「文学的でありつつストーリーテラーである作品を訳すのなら、池田さんがベストだろう」と思って、今回お願いしました。
総じて池田さんは登場人物のセリフを訳すのが非常にお上手なんですよ。
例えば英語だったら、敬語がなかったり、一人称が “I” しかなかったりしますよね。だから日本語にする時に、一人称に何を選ぶのか、この人は敬語で喋るのかとか、伝法に喋るのか、などを選ばないといけない。この辺のセンスが非常にお上手でいらっしゃる。
池田さんのこうしたセンスが、本作の読みやすさに大いに関わっているかと思います。
——『パチンコ』は装幀も本当に綺麗ですよね。
永嶋 本作の装幀は刺繍なんですね。
もともと、朝鮮半島の文化の気配を装幀に取りこみたいなとは思っていました。伝統の布みたいなものを使おうかな、と思っていたんですが、実は布地屋さんに行って探そうかなと思っていた時に、ちょうどコロナになっちゃったんですよ。店は閉まってしまうし、外も出歩けない。
結構苦労して、いろいろなところに電話やメールで尋ねて、韓国の国立民俗博物館に、朝鮮半島の昔の刺繍の作品がたくさん保管されているっていうことがわかったんですよ。そこで、韓国の政府機関である駐日韓国文化院が仲介くださって、博物館からデータをいただいて、装幀に使う作品を選びました。クラシカルでありつつ、どこかモダンな装幀でないといけないな、と考えて決めました。
——『パチンコ』は、AppleTVでもドラマ化の予定があると聞いています。
永嶋 AppleTVが本腰を入れて作る、という話がでたのが2年前ですね。スティーヴン・キングの『リーシーの物語』などの他の目玉作品と同時に、ドラマ化が計画されていることがアナウンスされました
AppleTVはコンテンツの中身や進行状況についてはかなり秘密主義で、詳細はわからないんですけれども、着実に制作には入っているようですね。実際にリリースされるまでには、まだしばらくかかるようですけれども……。
最初に朝ドラっぽさがある、と話しましたが、連続ドラマにするにはぴったりな作品だと思います。すごく楽しみにしています。
——世界的な注目作がようやく上陸という感じですね。今年の夏休みはなかなか外出も難しいかと思いますが、これを機会に『パチンコ』をじっくり読んでいただけたらと思います。
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