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あのディーヴァーが新シリーズを始動! 最新刊『ネヴァー・ゲーム』を冒頭公開

全世界でベストセラーとなった科学捜査の天才リンカーン・ライム・シリーズや“人間嘘発見器”キャサリン・ダンスのシリーズなどを手掛ける、「ドンデン返しの魔術師」ジェフリー・ディーヴァー。

いま世界最高のミステリ&サスペンス作家が、新シリーズを始動する!

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<作品紹介>
 シリコンヴァレーで忽然と姿を消した娘を探す──懸賞金を求めて難事件に挑む流浪の名探偵コルター・ショーの今回の仕事はそれだった。

 だが、やがてショーは、この事件が連続誘拐事件であり、拉致された被害者たちは犯人による死の罠の中に囚われていることを知る。

 失踪者の居場所を割り出す推理力と、亡き父に叩き込まれたサバイバル術を駆使して、彼は迫りくる死から被害者を救い出し、狡猾な犯人を捜し出さなければならない──

◇ ◇ ◇


レベル3 沈みゆく船

六月九日 日曜日

 海に向かって全力疾走しながら、コルター・ショウは船を注意深く観察した。

 全長四十フィートの遺棄された遊漁船。新造から数十年は経過していそうだ。船尾から沈み始めていて、全体の四分の三はすでに海中に没している。

 キャビンのドアは見えない。出入口は一カ所きりだろうが、それはもう海中にある。まだかろうじて海面より上にある上部構造の船尾側に、船首を向いた窓が見えた。人がすり抜けられる大きさがありそうだが、ガラスははめ殺しではないか。あれを当てにするよりは、海に飛びこんでドアを試そう。

 そこでまた考え直す。ほかにもっといい手はないか──?

 ショウは舫(もや)いのロープを探して桟橋に目を走らせた。ロープのたるみを取れば、船の沈没を食い止められるかもしれない。

 ロープは見当たらない。船は錨(いかり)で止まっている。つまり、十メートル下の太平洋の底に沈むのを引き留めるものは何もないということだ。

 それに、もしも本当に彼女が船内に閉じこめられているとすれば、船と運命をともにして、冷たく濁った墓に葬られることになる。

 ぬるついてすべりやすい桟橋を走り出す。朽ちた板を踏み抜かないように用心しながら、血の染みたシャツを脱ぎ、靴とソックスも脱ぎ捨てた。

 大きな波が寄せて砕け、船は身を震わせながら、灰色の無情な海にまた何センチか吞まれた。

 ショウは叫んだ。「エリザベス?」

 返事はなかった。

 ショウは確率を見積もった──女性がこの船にいる確率は六〇パーセント。浸水したキャビン内に閉じこめられて数時間が経過したいまも生存している確率は五〇パーセント。

 確率はどうあれ、次に何をすべきか迷っている暇はなかった。海中に腕まで浸けてみた。水温は摂氏五度前後。低体温症で意識を失うまで三十分。

 よし、計測開始だ。

 ショウは海に飛びこんだ。


 海は液体ではない。つねに形を変える石、のしかかってくる石だ。

 しかも狡猾(こうかつ)ときている。

 キャビンのドアを力ずくでこじ開け、エリザベス・チャベルと一緒に泳いで脱出する。そういう腹づもりでいた。しかし、海は別の魂胆を隠していた。息継ぎのために海面に顔を出した瞬間、波がショウをとらえ、桟橋の杭に叩きつけようとした。杭に生えた柔らかい緑色の髪の毛のような紐状の藻がゆらゆら揺れていた。杭がすぐ目の前に迫ってくるのが見え、ショウは片手を上げて衝撃に備えた。掌(てのひら)がぬるぬるした表面をすべり、頭が杭に打ちつけられた。視界に黄色い火花が散った。

 次の波が来てショウを持ち上げ、またも桟橋に向けて投げつけた。今回は錆(さ)びた大釘にあやうくぶつかりかけた。この様子なら、流れに逆らって二メートル半離れた船に戻ろうとするより、沖へ向かう流れに自然に運ばれるのを待つほうが得策だろう。波が来て、ショウは海面とともに上昇した。錆びた大釘がショウの肩を引っかく。鋭い痛みが走った。出血もしたようだ。

 近くにサメはいるだろうか。

 無用の心配をするべからず……

 波が引いていく。ショウは水を蹴ってその流れに乗った。頭を高く上げ、肺いっぱいに空気を吸いこんでから水にもぐり、力強く水をかいてキャビンのドアを探した。塩水が目を痛めつけたが、目は大きく開けたままにした。まもなく日没という時間帯、海中は暗い。ドアを探し当て、金属のノブをつかんでひねる。ノブは動いたが、ドアは開かなかった。

 海面に顔を出す。息継ぎ。ふたたび水中へ。左手でドアノブをつかんでおいて、右手でノブの周りを探り、ほかの錠や固定具がないか確かめる。

 冷たい水に飛びこんだときの衝撃や痛みは薄らいだが、それでも全身が激しく震えていた。

 かつてアシュトン・ショウは、冷たい水に浸かっても生き延びるための対策を子供たちに教えた。第一の選択肢は、ドライスーツだ。第二がウェットスーツ。帽子は二重にする──人間の体のなかでもっとも放熱量が大きいのは頭部だからだ。ショウの頭のように豊かな金髪で守られていたとしても、それは変わらない。末端部は気にしなくてかまわない。指や爪先から体温が失われることはないからだ。装備が整わない場合、次善の解決策は、低体温症によって意識障害が生じる前、体が麻痺する前、つまり死ぬ前に、さっさと水から上がることだ。

 残り二十五分。

 キャビンのドアをこじ開けようともう一度試みる。やはり開かない。

 船首側のデッキに面した窓を思い描く。女性を助け出すにはあれを破るしかない。

 岸に向かって水をかきながら海中にもぐり、ガラスを砕くのに充分な大きさがあり、かつ、自分を海底へ引きこむほどの重さのない石を探した。

 力強くリズミカルに水を蹴り、波とタイミングを合わせて漁船に戻る。このとき初めて船体にある船名が目についた。いまを生きる(シーズ・ザ・デイ)号。

 四十五度の傾斜を這うようにして船首まで上(のぼ)り、空を見上げているキャビンの前側に立ち、一・二╳一メートルほどの大きさの窓に取りついた。

 船内に目を凝らす。三十二歳の黒髪の女性の姿はどこにもない。キャビンの前半分は空っぽだった。船尾に至る中ほどに隔壁が設けられ、その真ん中にドアが一つある。ちょうど目の高さくらいに窓がついていた。小窓のガラスはなくなっている。仮に女性が船内にいるとすれば、あの奥だろう。隔壁の奥の区画は海水でほぼ満杯だった。

 尖った先を前に向けて石を持ち上げ、ガラスに叩きつけた。二度。三度。何度も。

 この船を造った人物は、風と波と雹(ひょう)に備えて前面の窓ガラスを念入りに強化したらしい。石を叩きつけても傷一つつかなかった。

 もう一つ、わかったことがある。

 エリザベス・チャベルは生きているということだ。

 ガラスを叩く音が聞こえたのだろう、キャビンを二つに仕切るドアの窓の向こうから、青ざめた顔がこちらを見上げた。目鼻立ちの整った顔に、濡れた黒っぽい髪が張りついている。

「助けて!」チャベルの大きな声は、二人のあいだを隔てる分厚いガラス越しにもはっきり聞き取れた。

「エリザベス!」ショウは叫んだ。「もうすぐ助けが来る。できるだけ水に浸からないようにがんばっていてくれ」

 助けが来るとしても、到着するのはこの船が海底に沈んだあとになるだろう。チャベルの生死は、ショウ一人にかかっている。

 ガラスの割れた窓は、そこをすり抜けてキャビンの前半分、まだほとんど浸水していないこちら側に出られそうな大きさがある。

 だがエリザベス・チャベルには無理だ。

 犯人は、意図してか、それとも単なる偶然か、妊娠七カ月半の女性を拉致(らち)してここに閉じこめた。大きなおなかであの窓枠をくぐり抜けるのはまず不可能だろう。

 チャベルは氷のような水から逃れる場所を探しに奥へ戻っていき、コルター・ショウは石をまた持ち上げると、キャビンのフロントガラスにふたたび振り下ろした。


レベル1 廃工場 

六月七日 金曜日(二日前)

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 もう一度言ってくれとショウは頼んだ。

「ほら、あの投げるものよ」女性は言った。「火のついたぼろ布を突っこんで」

「投げるもの?」

「暴動のときとか。ガラスの瓶。テレビでよく見るでしょう」

 コルター・ショウは言った。「火炎瓶(モロトフ・カクテル)」

「そうそう、それ」キャロルは言った。「あれを持ってたと思うのよね」

「ぼろ布に火はついてましたか」

「いいえ。だけど、ねえ……」

 キャロルの声はしゃがれているが、いまは煙草をやめているようだ。少なくともショウは彼女が吸っているところを見たことがないし、煙草特有のにおいが漂ってきたこともない。キャロルの緑色のワンピースの生地はくたびれていた。いつ見ても心配顔をしているが、今朝はふだん以上に気遣(き づか)わしげな表情だった。「あの辺にいたのよ」そう言って指をさす。
〈オーク・ビュー〉RVパーク(キャンピングカー向けの宿泊施設。水道や電源などの設備を利用できる)は、ショウがこれまで滞在したRVパークのなかでもみすぼらしい部類に入る。周囲は林に囲まれていて、その大半を占める樫(かし)や松の一部は枯れ、まだ枯れていない木もからからに乾いていた。それでも木々は密生している。“あの辺”はここからではよく見えなかった。

「警察には連絡しましたか」

 一瞬の間。「まだ。だってあれが……えーと、何だったっけ」

「モロトフ・カクテル」

「持ってたのがそれじゃなかったら、かえって面倒になりそうでしょ。それに、警察にはしょっちゅう電話しちゃってるのよ。ほら、ここではいろいろ起きるから」

 ショウはアメリカ各地のRVパークの経営者を数十人知っている。中年の夫婦にはうってつけのビジネスだ。ここのキャロルのように経営者が一人の場合はたいがい女性で、そしてたいがい夫を亡くしている。そういった女性経営者は、銃を携帯していることの多い亡夫たちに比べ、利用者同士でいさかいが起きたときなどに九一一に助けを求める回数が多くなりがちだ。

「かといって」キャロルは続けた。「火災も怖いし。こんな環境だから。わかるわよね」

 テレビのニュースをふつうに見ている人なら誰でも承知しているとおり、カリフォルニア州では山火事が頻発していた。山火事というと、州立公園や郊外の町、畑が燃えている映像がまず思い浮かぶが、だからといって都市部が山火事の被害と無縁というわけではない。カリフォルニア州史上最悪の被害をもたらした山火事はおそらく、港湾都市オークランドで数十年前に発生した火災で、そのオークランドは二人がいま立っているこことは目と鼻の先の位置関係にある。

 ショウは尋ねた。「で、私に何を……?」

「そう言われると困っちゃうんですけどね、ミスター・ショウ。ちょっと様子を見てきてほしいだけ。見てきてもらえません? お願いします」

 ショウは木立に目を凝らした。たしかに何か動くものがある。しかも風のしわざではなさそうだ。ゆっくりと移動する人影──か? 仮に人だとして、あの速度は、その誰かが戦術的に移動しているということ──つまり、何か悪事を企んでいるということだろうか。

 キャロルはショウを見つめている。この目つきには覚えがあった。よくあることだ。ショウは一般市民にすぎないし、そうではないとほのめかしたことは一度もない。それでも、警察官のような頼り甲斐を感じさせることは事実だ。

 ショウは大きく円を描いてRVパークをいったん出ると、ひび割れてでこぼこした歩道を経由して、街のはずれの車通りの少ない道路の雑草だらけの路肩に出た。

 あれか。二十メートルほど先に、黒っぽい色のジャケットにブルージーンズ、黒いニット帽の男がいる。林のなかをハイキングするにも、敵を踏みつけるのにも同じくらい具合のよさそうなブーツを履いている。たしかに何かを手に持っていた。火炎瓶か、それともただコロナ・ビールの瓶と布ナプキンを同じ手に持っているだけのことか。土地柄によってはビールを飲むにはまだ時間が早すぎるだろうが、オークランドのこの界隈では日常の風景だ。

 ショウは路肩から道路の右側の鬱蒼(うっそう)と茂った木立へと移動し、物音を立てないよう用心しながら足を速めた。地面に厚く積もった何年分かの松葉が足音を吸収してくれた。

 男が誰であれ──不平不満を募らせた利用客であろうとなかろうと──キャロルのロッジからはすでにずいぶん離れている。キャロルが危害を加えられる心配はなさそうだ。しかしそれだけで男を無罪放免するわけにはいかない。

 何かがおかしい。

 RVパークにはキャンピングカーがほかにいくらでも駐まっているのに、男はいま、よりによってショウのウィネベーゴが駐まっている一角に向かっていた。

 ショウには火炎瓶と一時的な関心ではすまない関わりを持った経験がある。数年前、逃走中の油田投資詐欺(さぎ)犯をオクラホマ州で追跡したとき、何者かが投げつけたガソリン爆弾がショウのキャンピングカーのフロントガラスを破って車内に飛びこんだ。キャンピングカーは二十分で焼け落ちた。身の回り品を持ち出すだけでやっとだった。ショウの鼻の奥には、焼けた金属の残骸から立ち上っていたあの不快な臭いの記憶がいまもこびりついている。

 ショウが一生のあいだに二度、それも何年と間(ま)を置かずに火炎瓶を投げつけられる確率は、相当に小さいはずだ。おそらく五パーセントといったところだろう。今回、オークランド/バークリー地域を訪れたのは私的な用件のためで、逃亡者の人生を破滅させるためではないことを考え合わせれば、確率はさらに下がるだろう。昨日、ちょっとした法律違反を犯しはしたが、それが発覚して罰を食らうとしても、せいぜい言葉で鞭(むち)打たれる程度のこと──筋骨たくましい警備員や、悪くても警察から𠮟責されるだけで終わりのはずだ。火炎瓶を投げつけられるいわれはない。

 ショウは男の背後十メートルまで迫っていた。男は落ち着きなく周囲に視線を巡らせている。RVパークをのぞくだけでなく、すぐ前を走る通りの左右を気にしたり、通りの反対側に数軒並んだ廃ビルを透かし見たりもしていた。

 男は瘦せ型で、白人、ひげは生やしていなかった。身長は百七十五センチにわずかに届かない。顔中にニキビ痕が散っていた。ニット帽の下の茶色い髪は短いようだ。男の外見や動作は、どことなく齧歯(げっし)類を連想させる。背筋の伸び具合からすると、元軍人だろうか。ショウに軍隊経験はないが、友人や知り合いには元軍人が何人かいる。またショウ自身、青春時代の一部を軍隊じみた訓練に費やし、『アメリカ陸軍サバイバル・マニュアルFM21−76』最新版に基づく口述試験を定期的に受けさせられたりもした。

 男が持っているのは、たしかにモロトフ・カクテル──火炎瓶だった。布ナプキンらしきぼろ布をガラス瓶の口に押しこんである。ガソリンの臭いもかすかに漂ってきた。

 ショウはリボルバー、セミオートマチック拳銃、セミオートマチックライフル、ボルトアクションライフル、ショットガン、弓と矢、狩猟用ゴム銃の扱いに精通している。刃物にもそこそこ詳しい。そしていま、ポケットに手を入れて、ふだん使う頻度のもっとも高い武器を取り出した。携帯電話だ。目下はiPhoneを愛用している。画面を何度かタップし、警察・消防の緊急対応通信指令員につながると、現在地といままさに目撃している状況だけを伝えて電話を切った。また何度かタップしてから、黒っぽい色合いの格子縞のスポーツコートの胸ポケットに携帯電話をしまった。昨日のちょっとした不法行為を思い出し、不安がわずかにうずいた。いまの通報から身元を割り出され、逮捕されることはあるだろうか。いや、その心配はないだろう。

 このまま警察の到着を待とうと決めたちょうどそのとき、男の手にライターが現れた。一方で、煙草を取り出すそぶりはない。

 そうとなると──しかたがない。

 ショウは茂みの陰から出て男との距離を詰めた。「おはよう」

 男はさっと振り返りながら腰を落とした。ベルトや内ポケットには手をやらなかったのは、火炎瓶を取り落としたくなかったからかもしれないし、そもそも銃を携帯していないからかもしれない。あるいは、男はプロフェッショナルで、銃の位置と、それを抜いて狙いを定めるまでに何秒かかるかをつねに正確に把握しているからかもしれない。

 細い顔に並んだ細い目は、ショウが銃を持っているか否かをすばやく確かめ、次に銃に代わる武器を持っているかどうかを確かめた。ショウのブラックジーンズ、黒いエコーの靴、灰色のストライプのシャツ、ジャケットを見る。短く刈りこんだ金髪も。ネズミ男の脳裏を“刑事”という語がよぎっただろうが、警察バッジを掲げ、しかつめらしい声で身分証の提示を要求するタイミングはすでに過ぎている。おそらくはショウを一般市民と判断しただろう。ただし、一般市民といっても見くびってはならないことも察したはずだ。ショウは身長百八十センチほど、肩幅が広く、筋肉はしなやかでたくましい。頬に小さな傷痕、首筋にはそれより少し大きい傷痕がある。ランニングの趣味はないが、ロッククライミングをやり、大学時代はレスリングの選手として活躍した体は、ふだんから臨戦態勢にある。視線はネズミ男の目をとらえたまま揺らがずにいた。

「どうも」甲高(かんだか)い声だった。フェンス用のワイヤのように張り詰めている。発音の癖は中西部、ミネソタ州あたりのものと聞こえた。

 ショウは火炎瓶に一瞬だけ視線を落とした。

「ガソリンとはかぎらないぜ、小便ってこともありえる。だろ?」男の笑みは、声と同じように張り詰めていた。しかも作りものだ。

 格闘に発展するだろうか。できれば避けたいところだった。ショウが最後に殴り合いをしたのはずいぶん前のことだ。気分のよいものではない。自分が殴られるとなればなおさらだ。

「何に使うつもりだ」ショウは男が持っている瓶に顎をしゃくった。

「あんた、誰だ?」

「旅行者だ」

「旅行者か」男は思案顔で視線を上下に動かした。「俺はこのすぐ先に住んでる者でね。うちの隣の空き地にネズミが出て困ってる。そいつらを焼き払ってやろうと思っただけだ」

「カリフォルニアで? ここ十年でもっとも降雨量の少ない六月に、火を放つ?」

 もっとも降雨量が少ない云々(うんぬん)はこの場の思いつきだが、噓とは誰も思うまい。

 たとえばれたとしてもどうということもない。この男の言う隣の空き地もネズミも噓なのだろうから。ただ、とっさにそういう話を持ち出したということは、ネズミを生きたまま焼き殺した経験が実際にあるのだろう。要注意人物のうえに、不愉快な人間でもあるようだ。

 動物に無用の苦しみを与えるべからず……

 ショウは男の肩越しに男の背後を──男が向かっていた方角を見た。たしかに空き地はあるが、その隣の区画には古びた商業ビルが建っている。男の住まいも架空、隣の空き地もやはり架空だ。

 近づいてくる警察車両のサイレンが聞こえた、男はなおも目を細めた。
「ほんとかよ」ネズミ男は顔をしかめた。その表情は、“なんで通報なんか”と言っていた。ほかにも何か口のなかでぼそぼそとつぶやいた。

 ショウは言った。「そいつを地面に置け。早く」

 男は従わなかった。落ち着いた様子でガソリンの染みたぼろ布に火をつけた。ぼろ布はたちまち激しく燃え上がり、男はストライクを取りにいくピッチャーのように鋭い一瞥(いちべつ)をショウに向けたあと、ガソリン爆弾をショウに投げつけた。


◇ ◇ ◇

つづきは書籍でお楽しみください。

ジェフリー・ディーヴァー『ネヴァー・ゲーム』は2020年9月25日に発売!


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