両方、わかってあげたい

自分に子供が生まれたら推しと同じ名前を付けたいか否か。

十年来の付き合いであるアニメオタクとアイドルオタクに同じ質問をしてみた。

(※推し:オタクが自分の時間とお金と労力を最大限に注ぐ対象のこと。主にアニメではキャラクター、アイドルの場合はもちろんアイドルを指す。)

両者の意見は割れた。

アイドルオタク(以下:ドルオタ)は絶対に付けたくない!と断固拒否し、
アニメオタク(以下:アニオタ)はやぶさかではない、付けても良い…!というのだ。

それぞれの言い分はこうだ。
ドルオタ「今は死ぬほど好きでも、冷めたときにむなしい」
アニオタ「例え推しが(作中で)死んで、新しい推しができても、好きだった気持ちは変わらない」

楽しい同窓の場は一瞬で討論会に。
この日は答えがでることなく解散となったが、帰宅してひとりで両者の隔たりの理由を考えてみた。

意見が異なった理由はおそらく「気持ちが冷める」ことに対する考え方だ。

自分が大好きな読書に置き換えてみた。

わたしはこれまでに夢中になった本は繰り返し何度でも読む。ハマっているときはもちろん、数年経ってからも何度も読み返す。その間、ずっと同じ情熱を同じ本に注いでいるわけじゃない。別の本に感動して、直前まで夢中になった本を大した内容じゃなかったな〜なんて思っていることもある。これはきっと過去の本へ「気持ちが冷めている」状態と同じだと思う。

その状態にもかかわらず何度でも読み返すのは、そのたびに違う一面を発見するからだ。
自分が愛を注いだものが何度でも姿を変えてわたしの目の前に現れる。これはわたしにとって自己肯定にもつながるもので、ものすごく感動する。過去の強い思い入れと落胆両方があってこそ感じる変化なのだ。

この考えは今回のアニオタに近いのだろうが、これは本で考えたからであり、ドルオタの気持ちがわからないわけではない。自分の子どもを呼ぶたびに昔の男(みたいなもん?)を思いだすのはあんまり楽しくなさそうだ。

こうして目線や考え方を変えるだけで、両者の気持ちに寄り添うことができる。

なかなか素敵な気づきじゃないだろうか!

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