ジャイアンは本当に映画(大長編)だけ“良い奴”なのか

こんにちは、局地的収集癖です。

先日荷物を整理している最中大長編ドラえもんの漫画を発掘し、不覚にもドはまり。子供の頃読んでいたときとは違った発見があったので、ちょっとだけまとめたいと思います。

ジャイアンは本当に映画(大長編)だけ良い奴なのか

ジャイアンあるあるといえば、本編と違って映画では…のパターン。では何故スネ夫は嫌な奴のままでジャイアンだけ良い奴とされるのか?

まず日常においてジャイアンはのび太に対してかなり理不尽で横暴な態度を取ります。いわば日常パートにおける悪役。

一、ページ数の都合

毎回の連載で編集さんから降りてくるページ数に漫画家の先生方は起承転結を納めなくてはなりません。長編なら次回への引きもあるでしょうが、ドラえもんは大体一話完結の物語で構成されています。

限られたページ数の中で導入に長く時間を取られるのは致命的と言って良いでしょう。つまり、スムーズな導入への舞台装置的な役割を担っていると考えてジャイアンとスネ夫を見ていきます。

こんなセリフを聞いたことはないでしょうか。

「またジャイアンか」

そう、また。ほんの数コマ揉めてる場面を描けば細かく経緯を説明しなくてもドラえもんにも読者側にも「いつものやつ」と伝わるわけです。なんならセリフなしでものび太が泣きながらドラえもんに泣きついていれば何が起きてるのか大体わかります。

ドラえもんにおけるメインはバラエティ豊かなひみつ道具と、それをのび太少年がどのように扱うのかが見どころ。ひみつ道具の使い方などは必ず入れなくてはいけないのでわかりやすいお約束があれば大変便利なのです。

その点、大長編はページ数が膨大

悪役はどんな立場でどのような人物で、どんな風に誰と揉めているのか。説明や描写を設ける余裕があるわけです。

スケールの大きい冒険においてジャイアンは心強い味方として活躍してくれます。さすがジャイアン、やったぜ!な見せ場も豊富。

対してスネ夫少年は映画や大長編でも嫌味を言ったり泣き言を言ったりジャイアンに比べれば損な役回りになっています。同じ日常パートの悪役であるにも関わらずこの差は何なのか。これは後でまとめます。

二、ジャイアンの性格

ジャイアンは大長編においてかなり義理堅い男として描かれます。

自分が助けられたらそのことをずっと忘れず、絶対にそれを返してくれます。もちろん作中内で完結する義理堅さではありますが、それは生死を分けるような場面でも発揮されるため、かなり男気のあるキャラクターに見えるかもしれません。

しかし、日常におけるジャイアンと大長編や映画に登場するジャイアンの本質はなんら変わりがないと私は考えます。

大長編になるとジャイアンがよく見えるのではなく、映画とかにならないと彼らの他に悪役が用意されないのが要因の一つ。

大冒険に合わせてドラえもんたちの前には立ち向かうべきスケールの大きい相手が出てきます。こうするとジャイアンと対立する必要がほぼありません(途中意見の食い違いなどはありますが)

ジャイアンと対立していない状態なのでのび太はジャイアンにとって非常に有益な相手になります。同じ目標を持ち、またのび太のモチベーションが日常とは大きく異なるので強要したり脅す必要がまるでないのです。

つまり大長編でジャイアンが良い奴という認識は間違いで、大長編のときだけのび太がジャイアンにとって恩ある行動をしてるだけという可能性が高いです。ジャイアンは返してるだけなのでそもそものび太のアクション自体が違う。

映画のジャイアンは良い奴→映画のときだけジャイアンにとってのび太が良い奴。に認識を改めました。

スネ夫はどうして映画で良い奴になりきれないのか

一、共感

日常パートを飛び出すと途端にやる気に満ち溢れるのび太、良い奴と持ち上げられる強い男ジャイアン。そして普段から優しいしずかちゃん。人間からするとほぼ不死身に近い頑丈さのドラえもん。

彼らは迷いもするけど決断も早いし極限状態に追い込まれてもスッパリと物事を受け入れます。しかし冷静に考えてみてください。
単純にそんなこと出来るか?小学生だぞ。

困難に立ち向かっていく他のメンバーに背を向けて逃げ出すスネ夫。嫌だと駄々をこねるスネ夫。
情けなく見えるこの姿が大人になった今にしてみると一番人間らしいように思えます。だって死ぬかもしれないところにそんな覚悟持って飛び込めない。常に死と向き合っていないし、現代の日本で何不自由なく平和な日常を送っている小学生。まず無理。全てを一瞬で投げ打つには彼は満ち足りすぎている。

煌びやかな活躍を見せるメンバーの中に彼が一人居ることで共感の余地や、そんなわけないだろという状況を緩和出来ます。至極真っ当なことを言ってるしスネ夫。
どうして子供だけで立ち向かうんだ皆。状況的に仕方ないのはわかるんだけども。

みたいな突っ込みを先回りで黙殺出来ます。これがあることで引っ掛かりがなく読める。偉い。

皆の心の弱い部分、逃げたい、助かりたい、嫌だといった弱音を全部スネ夫が引き受けてくれています。体の震え、怯え、やらなくてはいけないという状況で彼だけが素直に全身でそれを表現している。
一見ただ勇敢に戦いへ向かう仲間たちの、内面にある部分の表層化ではないかと思うのです。スネ夫の涙は皆の涙

いや過言だったかもしれない。

二、スネ夫の性格

基本的にはジャイアンと一緒で、彼も大概物事を自分の思う通りに運ぼうとする傾向があります。(上手くいかないけどのび太もそう)

スネ夫の場合、願望の実現手段は太い実家(つまりお金)とジャイアンを上手に誘導することにあります。
ジャイアンの目的が自分と合っていれば全力で乗っかるし、不都合(リサイタル)などがあれば何とかその気にさせて回避に向かいます。

けれどお気に入りのおもちゃを取り上げられても自分で取り戻す手段はほぼなく、そのため興味や標的をのび太に逸らす必要があります。
他力本願でのらりくらり。自分で戦わないのがスネ夫であると言えるでしょう。

方向性は違えどジャイアンもスネ夫も自己中心的で自分勝手。自らの力で状況を打破出来るジャイアンと、常にその後ろに隠れて漁夫の利を狙うスネ夫ではやはり活躍のしようが変わるのも当然といったところでしょうか。

しかし前面にさえ出なければそれなりに優秀な活躍を見せるのがスネ夫。現場が合わないだけ。多分。きっと。恐らく。

二人の行動原理

こんな言葉がありますね。「俺か、俺以外か」
これは本来であれば俺という極上の男的な意味合いで何というかこう、色気のある言葉なのでしょうが、ある意味ジャイアンとスネ夫もこの言葉の通りなのだと思います。(意味は大きく異なりますが)

良くも悪くも自分が基準

ジャイアンは目的に向かって体当たりというか、真っ向勝負なイメージですが、自分の身を守ることに関しては二の次といった印象があります。
対してスネ夫は自己保身に優れ、多少思い入れのある相手でも切り捨てることを選択肢に入れることが出来ます。結局押し通されたり恐怖を飲み込んだりして完全に見捨てることは出来ないのですが。

なんともバランスのいい二人。

私としては喧嘩をしても仲直り出来て、長く一緒に居られる関係性はうらやましい限りです。(暴力やカツアゲは嫌ですが)






というかジャイアン的にはのび太を対等に扱っているつもりなのにのび太が予想以上に弱くて逆にびっくりしているときとかあるのでは?

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