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リレーエッセイ「言葉のプロ・この2冊」/翻訳の海を進む櫂となる本(紹介する人: 古森科子)

日英・英日翻訳者の古森科子です。2000年に実務翻訳を開始、2012年からは出版翻訳の勉強を始め、最近は翻訳書の下訳等にも取り組んでいます。日英、英日、実務、出版を問わず翻訳全般に役立つ2冊をご紹介します。

『日英語表現辞典』

辞書・辞典が「引く」ものと「読む」ものに大別されるとすれば、本書は明らかに後者に該当する。わからない言葉や用法が出てきたときにその都度「引く」辞書・辞典とは違い、「読む」方はかゆいところにすぐ手が届くわけでなく、必ずしも調べたい言葉が載っているとはかぎらない。けれども腰を据えてじっくり読むと、その真の価値が伝わってきて原文を正しく読み込めるようになる。

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『日英語表現辞典』最所フミ 編著、ちくま学芸文庫

評論家で翻訳家の最所フミさんが執筆された本書は、Twitterで復刊を望む声が高まり2018年に緊急復刊された一冊だ。その話題性に惹かれて買ったものの、数年ほど積読したままになっていた。去年の秋頃、積読の多さに辟易し、少しずつ読み進めるには...と考えたときに浮かんだのが、金融翻訳者の鈴木立哉氏が提唱・実践されている勉強法「翻訳ストレッチ」だった。さっそく1日数ページずつ読み進めたところ、言葉の本質をとらえた解釈がどれも素晴らしく、ただ読んで終わるのではなく、折に触れて引けるようにしたいと思うようになった。ちょうど文芸翻訳家の越前敏弥先生がウェブで公開されていた『この英語、訳せない!』のインデックスをダウンロードしていたので、同じExcelにインデックスを作成、一括検索できるようにした。

本書の特徴のひとつに、似通った意味を持つ単語の違いが明確に示されている点がある。たとえば、“idle/lazy”の項目にはこう書かれている。「この2つの最もたやすい見分け方は、lazyには意思があるがidleにはないということである」。このあと1ページ以上にわたって両者の違いが綴られている。辞書を引いただけではここまで詳しく知ることはできない。

ほかにも、“elude/ evade/ avoid/ escape”、“impel/compel”、”friendliness/ friendship”、”option/ choice”といった単語の使い分け方がわかりやすく記されているほか、commitmentやinvokeなどの日本語に訳しづらい単語についても、用例と共に丁寧に解説されている。1980年に刊行された本書には、現在ではあまり目にしない当時の政治情勢や時代背景が伺える言葉や用語も見受けられるものの、著者の豊富な語彙力や的確な言葉の定義から学べることは大きい。

「たかが辞書、信じるは馬鹿、引かぬは大馬鹿」という格言に初めて触れたのは、2016年に開催された翻訳家・村井章子さんの翻訳セミナーだったと記憶している。辞書に書かれている意味を鵜のみにしてはいけない、だからといって引かないのは言語道断であるというこの格言は、辞書との正しい付き合い方を端的に示している。翻訳する際に辞書をこまめに引く必要があるのは言うまでもないが、そこからさらに一歩踏み込んで、英語圏特有の概念や英語の思考に基づいた言葉の意味を理解するのに、この『日英語表現辞典』は大変役に立つ。

『ロイヤル英文法』

小学4年生でローマ字を習ったときの喜びは今でもはっきりと覚えている。ローマ字=英語と勘違いし、英語が書けると大喜びしたものの、すぐにローマ字=英語ではないと知ってがっかりした。けれども英語への思いを諦めきれず、だったら英語を学びたいと親に頼んで小5から公文式教室で英語を習い始め、高2のときには、AFSの交換留学プログラムを利用して米国オレゴン州の高校に1年間留学した。

英語はずっと好きだったが、英文法が苦手なまま翻訳者になってしまったため、わからない箇所にあたるたびに『ロイヤル英文法』を引いては弱点補強に努めてきた。しかしここ数年、ひと通りきちんとやり直さなくては…という思いが多くなり、昨年、カナダ留学中ののこさんが紹介している「おすすめの英文法勉強法」を参考にして、『ロイヤル英文法』と問題集『ロイヤル英文法問題集』を用いて英文法のおさらいをした。時間はかかったものの、おかげで自分はどこが弱いのか、逆に強いのかを可視化できるようになったので取り組むことができて本当に良かった(私の英文法学習法をまとめたブログはこちら)。

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『徹底例解ロイヤル英文法 改訂新版』綿貫陽 改訂・著、旺文社

本書は、翻訳者になってから英文法の参考書を探していたときに見つけて購入、以来愛用している。実はその前に『英文法解説』という文法書を購入していたが、自分には引きにくく感じていたところ『ロイヤル…』と出合い、それからは『ロイヤル…』しか使っていなかった。ところが今回英文法のおさらいをしたとき、『ロイヤル…』には載っていない説明が『英文法解説』には詳しく載っていることが何度かあり、2冊とも活用することで主要な英文法をほぼ網羅できると実感できた。例をあげると、最近受講した翻訳講座で出てきた”not much of…”という表現は、『ロイヤル...』では見つけられなかったが『英文法解説』には掲載されていた。これから英文法の参考書を買いたいという翻訳学習者には、2冊両方持つことをお薦めしたい。

「仕事に活用する学習書や座右の書」について、正直どの本を紹介するか大変悩んだ。社内翻訳者として毎日10時間近く日英翻訳に取り組んだ時期もあれば、産前産後の5年ほどの無職期間中、2歳児と4歳児を育てながら1年で英検1級を取得した時期もある。最近は出版翻訳に比重を置いており、必要な参考書なども、当然ながら実務翻訳とは大きく異なる。

それでも、どんなときにも共通するのは目標を設定して達成してきたことだ。翻訳を仕事にすると決意したときは「TOEICを900点以上取ってから開始」、在宅で翻訳すると決めたときには「仕事開始までに英検1級を取得」など、翻訳学習に加えて自分なりに目標を設定、達成してきたほか、ここ数年は実務翻訳と並行してリーディングや下訳に取り組むとともに、「シェイクスピアを全作品読む」、「年間100冊読む」、「1冊訳す」等の目標を立て実現してきた。

こうした勉強法がお薦めかと訊かれると正直わからない。少なくとも効率的ではないだろう。昨年文法のおさらいをしたときには、なぜもっと早く取り組まなかったんだと反省したし、翻訳に資格は関係ないという声も耳にする。けれどもプロとして仕事をする以上、最低限の英語力を身につけてからスタートしたいと考えて取り組んできたことは間違っていなかったと思っている。実際、最近通い始めた出版翻訳講座では、講師から資格取得について非常に前向きな言葉を伺うことができて大変励みになった。

無論、資格を取ればそれでいいという話ではなく、日々努力を重ねる必要がある。何年経っても、翻訳に取り組むたびに原文の難しさに恐れおののき、自分のできの悪さに落ち込み、打ちのめされ、もっといい訳ができないかと毎回頭を悩ませている。翻訳の道に終わりはなく、そこに王道はない。ともすれば翻訳という大海原で方向を見失いそうになるときもある。だがきちんとした櫂があれば力強く前に進むことができる。この2冊はそんな櫂となる心強い味方だ。

■古森科子(こもりしなこ)
日英・英日翻訳者。2000年より実務翻訳に従事、2008年に在宅翻訳(分野:太陽光発電)、2012年に出版翻訳の勉強を開始。翻訳協力:『コンパッション・フォーカスト・セラピーに基づいたアンガーマネジメント:真の強さを育てるために』、『花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』他。“Tuesdays with Morrie”や“Auggie Wren's Christmas Story”のような作品をいつか手掛けてみたい。尊敬する翻訳家は小尾芙佐、近藤隆文。映画は『スモーク』、『ストレイト・ストーリー』、『セント・オブ・ウーマン』等のヒューマンドラマ、音楽はロック全般が好き。趣味はチベット体操と洋菓子作り。手作りシュトレンを食べるのが年末の楽しみ。
ブログ:https://kmr475.hatenablog.com

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