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ひとり親になって思う、夫婦はチームであったということ

ひとり親です。
毎日、めちゃ忙しい。

・一息つくことが難しい
・仕事の休憩時間もお便りチェックや役所業務
・帰宅後は2時間で膨大なタスクをこなす
→夕食作り、片付け、洗濯や子どものプリント処理、洗濯(干すまで)などなど

これが、毎日続くんだよね。でもこれ、ひとり親じゃなくても子育てしていれば必ず起こりうる作業なんです。

今日は、ひとり親になった視点で『子育て』や『夫婦』について語ってみようと思います。

専業主婦時代の私

既婚時の私は、専業主婦をしていました。振り返ってみて言えることなのかも知れませんが、当時の私は『自分が稼げてないこと』に大きな劣等感を感じていたんです。その劣等感を拭いたい一心で、家事や子育てで周囲に迷惑をかけるものかと徹底してやってたんですよね。

けれどもやっぱり、家事や子育てはいくら頑張っても賃金が発生しない。ともなると、やっぱり自分のしていることが無価値のような気がしてならなかったです。

でもですね、それは大きな勘違いでした。ひとり親になった今の私は『専業主婦だった私の価値』について語り尽くせます!

子育てしながら働くって、すごいこと

よほど恵まれた就労家の方以外は、子どもがいながら家族を養えるほど稼ぐって難しい。子育てしながら仕事にコミットするには、日常の当たり前を忘れてはならないと思います。

服が毎日洗濯されていること
ご飯が用意されていること
食器が毎日洗われていること
食材がいつも家にあること
急な残業に対応できること
子どもが病気しても当たり前に出勤できること
突然のお迎えの電話に日々怯えず働けること
子どもの行事は選んで参加できること

あげるとキリがありません。子育てをしながら仕事にコミットできるのは、必ず誰かが家を回してくれているからであって『家を回す方』も『稼ぐ方』も、その両方が重要なポジション。

けれど、過去の私のように、お金を稼ぐことができない(もしくは、稼ぐ額が少ない)方に劣等感が生まれるケースって、未だに多い気がするのは私だけでしょうか。

もしかするとこの思考は、幼い頃から『将来、稼ぐため』に教育を施されていたり、『たくさん稼ぐ人』を褒め称えたりする文化が蔓延っているからじゃないかなって思うんです。

話が逸れますが『いつのまにか、子どもは大きくなる』『子どもは勝手に育つ』そんな言葉を耳にすることがあります。もしそれにすぐ頷いてしまうようならば、あまりにも子育てに対する想像力に欠けているとさえ思えてしまうんですよね。

子育てする夫婦はチームだったんだろうな・・・

決して、働く側を差し置いて専業主婦だった自分を讃えたいわけじゃないんです。きっと当時の私(たち)に大切だったのは『どちらが、重要な役割を担っているのか否か』の視点ではなく『夫婦とは独立した別々の人間でありながらもチーム』であるといった視点だったのでしょう。

「夫が家事をやってくれない!」
「私は稼げていないから・・・」
「オレが一生懸命働いているのに!」
「僕が稼がなきゃ・・・」

こうした相手に対してのネガティブな概念が生じるのは、チーム意識が足りなかったからなのかも。無意識的に「奥さんVS旦那さん」みたいな構図になってしまったのかも知れません。

子育ては、マジで大変ですよ。

専業主婦とひとり親の経験をもとに、これからの私は『子育てにおける、すべての行いには価値がある』と認識していくことなのかも知れません。

子育て中の皆様、毎日お疲れ様です。
皆さん、すごいですよ!

今日はここまで。

いただいたサポートは、我が家の自閉症児2人のおやつか私の一息の休憩代に使わせてください。私もいつか、ひとり親や障害児育児にサポートできる側に回りたいです。