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無私の日本人

本休寺と妙光寺で毎朝、仏教の言葉や感銘を受けた言葉を紹介しはじめて3日目になりました。

今回の意図となぜ、この文章か?という話を書いてみようか?という感じでブログを書いてみます。

まず、本日の言葉は磯田道史『無私の日本人』のあとがきの言葉です。

「無私の日本人」あとがき

「時折、したり顔に「あの人は清濁あわせ呑むところがあって、人物が大きかった」などという人がいる。それは、はっきりまちがっていると私は思う。少なくとも、子どもには、ちがうと教えたい。ほんとうに大きな人間というのは、世間的に偉くならずとも金を儲けずとも、ほんの少しでもいい、濁ったものを清らかなほうにかえる浄化の力を宿らせた人である。」
(330頁)

この文章を読んだのは、2012年で朝日新聞の連載「日本人の叡智」に感銘を受けて買って読んだのが最初です。

三人の江戸人のあり方を追っていますが、やはり穀田屋十三郎が凄い!またそれを書くにいたるはなしは「あとがき」に書かれていますが凄い!

この本を読むならぜひ「あとがき」からと言ってしまう理由は読めばわかります。

映画「殿利息でござる」になっていますが、僕は原作に惚れこんでいてみれません(笑)

本書を読んでいると随所に、そこはかとないブッタのことばが理念でなく実践として提示されているような気がします。

間違いなく我田引水ですが😀

今枝由郎「新編スッタニパータ ブッタの〈知恵の言葉〉」より

「いかなる生きものも 弱いものも 強いものも長いものも 短いものも 大きなものも 小さなものも 眼に見えるものも 見えないものも 遠くのものも 近くのものも すでに生まれたものも これから生まれるものも 生きとし生けるものをことごとく幸せにせよ」(53-54頁)

頭でわかることと実践することは、とてつもない距離があります。できていないとしりつつ紹介しました。

今回の意図

実は多くの僧侶仲間が、コロナウィルス騒動から朝のお勤めや祈願を動画やフェイスブックにアップされています。

何気ない日常を維持し、人々のために祈るのは凄い!と思いつつも・・個人的に自分がやりたいことかというと・・どうも好きではなさそう。(私も朝勤はしていますよ)

直筆の手紙で文通という活動ももともと豆でなくて・・

日々私がやっているのは、読書に朝勤、掃除とすれば無理なくやれて少しだけど皆さんに提供できるのは・・というわけでこんな遊びを始めてみました。

ぱっとはしませんが、これくらいなら続けられるかな?(笑)


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