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伺う

昨日は茂原の妙光寺で、写経であった。終了後はケアラーズカフェ(介護者カフェ)の主催者の方が、やられている「がんトーク」にお誘いいただき伺わせて頂いた。遅刻して参加したが、がんのことや病や子育てなど体験を伝えて頂いた。
細かいことは書けないが、パートナーを看取る、施主として葬儀を執行して感じた話も聞かせて頂いた。そこで伝えて頂いたに対して思うのは、やはりいかに良き故人であり、他者を思いやった言葉であっても、残された人を縛ってしまう可能性があるということである。その方のあり方には感心したし、すばらしいと感じはしつつだが…

自分は葬儀をさせて頂いた檀家さんには、先方が都合がつくなら四十九日まで七日ごとに伺っている。そこでは、急死や早世で人前では故人をなじれなかったり方は位牌に向けて文句を言ってもよい。思ったことを吐露しないとキツくなると述べている。
故人も無念だろうが、残された人は生きて行かねばならない。そのためには、我慢ばかりや耐えるだけでは難しいと思う。

法事や葬儀は自分の立ち位置を再確認する機会であろうし、故人への最大の供養は儀礼、儀式を契機にして、よりよく生きる。丁寧に生きることではないだろうか?
このnoteでも書いてきたが、コロナ禍となり、法事で参列者と対話をする機会を増やした。残された方々がむつみ出す言葉が、参列者の涙を誘うこともある。私も学ぶことが多い。

今回のお話も学ぶことが多いものだったと感じます。

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