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学ぶ

少にして学べば 壮にして為すことあり 壮にして学べば 老いて衰えず 老にして学べば 死して朽ちず

とは佐藤一斎の言葉である。この言葉を強く感じさせてくれたのは…横田南嶺老師がテンプルモーニングラジオで話された内容です。コロナ前、五十を超えて習いごとを行なってきたとのこと。維持しようとすると衰える成長しようとして始めて維持できると謂われハッとした。

来年には50才になる自分、語学など嫌いで逃げ惑ってきた。しかし、南嶺老師は中国語を習っていたという。

そんな時に…これがユーチューブで流れる。

今更役に立つか?というと正直わからない。それでも学びたいと感じて…買ってしまいました。

最後までやれるかはわかりませんが…ある意味で出家者が出家的な生活すなわち役に立つ立たないにかかわらず探求するという挑戦です。

4月22日の読売新聞では77歳の女性の方がコロナ禍でうつうつとした気分を打破するためオカリナを学び始めた記事が載っている。

読みながら頭によぎったのは、ブッダの以下の言葉です。

学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。 彼の肉は増えるが、彼の智慧は増えない。(ダンマパーダ 第十九章152      岩波文庫版)
 頭髪が白くなったからとて「長老」なのではない。ただ年をとっただけならば「空しく老いぼれた人」といわれる。                    誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷(そこな)わず、つつしみあり、自らととのえ、汚れを除き、気をつけている人こそ「長老」と呼ばれる。     (ダンマパーダ 第十九章260、261 岩波文庫版)

老にして学ぶ必要性を仏教は説く。長老とは、自らととのえ、汚れを除き、気をつけるものであるという。コロナ禍だからこそ、まさにそれを目指して努力したいものだなと思う。

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