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愚鈍故に…

過日はヨガ教室が本休寺であったが、10名参加されていた。コロナ禍でもあり、先生と相談して定員を10名程にしてもらっている。
ヨガ教室に参加されている方から、本休寺でフラダンス教室を始めたいので、貸して頂けないか?との依頼があり、貸すことになりました。
僕は習いませんが…踊るのは昔から嫌いだったしね!(笑)地域の方で感心ある方は、ご参加ください。

午後は葬儀社の場所を借りたケアラーズカフェ(介護者カフェ)に伺う。参加者がいなくて、ファリテータさんやあんしんケアセンターの職員さん、葬儀社の職員さんと話しましたが、その折、ビラの作成の相談に
わかりやすさやその会のあり方などを話し合いました。
さて、そこではファシや主催者目線でなく、ビラを貰う人の視線としてわかりやすいか?という話に。ファシとしては安心安全のためある程度、スタンスや説明を入れたいが(守秘義務がありもらさないよという意思表示)、それが必要な方もいるが…逆にその説明で怖くて来れない人もいるかも…と葬儀社の職員さんから言われてなるほどと目から鱗…
立場が変わると見る世界が変わる。
いつも、意識しているつもりですが、やはりわかってないな…と自分の愚鈍ぶりに…幻滅です。そういう意味でも対話がやはり必要なんだなーと再確認。
今は人が来てないけど、未来のためにということでお金にはならないが、みんな考えてはいました。

さて、目線が変われば見方は変わるというのを実感したのは…今よんでいる
『モノ申す人類学』

本書は進化生物学者が現代社会や大学のあり方、AIとの関わりかたなどを考えていくものだが、読むとわかるが、問いへの的確なデータや思考法を提示し明確な結論を提示してくれる。気持ちのよい文章です。
現代社会になんとなく違和感を感じている人にはおすすめです。立ち止まる、考える。周りの空気に負けない、自分で考える姿勢は、愚鈍故に学びたいと思う。
空気を読むのが得意な日本人にあって空気を敢えて読まないというのが大切だと感じます。
実は空気が読めてないだけじゃないの?と思わないで…(笑)少しだけど反省してます。

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