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寺院のあり方

かつてこのノートで寺院と僧侶の使命の個人的な理解を話した。改めて、個人的な僧侶と寺院の立ち位置を考えてみたい。

そこから、寺院と僧侶の今後を考えられたら面白いかもしれない。

寺院の立ち位置

お寺とは、何かというとインドの時代にもどれば、祇園精舎とかになると思われる。信者さんから与えられた修行する場所、僧堂ということになる。

すなわち、修行する場所、修行している場所であり、そこに集うのは、戒(こころがけ)律(ルール)を守る僧侶(出家)とそれを支え、教えを聞きながら、この世の中でいきる一般の方々(在家)であり、在家は八斎戒を守る布薩日などがあった。

一方で、現代日本では、位置付けは複雑になる。

日本の仏教は、そもそも外国すなわち中国から輸入され、鎮護国家の役割であった。国家仏教としてというわけです。途中、国家の統制から逸脱する人々がいるものの、仏教も荘園制の中にいて寺社勢力なんて呼ばれていた。専門用語では旧仏教(顕密仏教、既成概念)なんて言ってたわけです。旧仏教(顕密仏教)は、荘園農家から年貢を上げて貰う。

それにより神仏の守護を頂き、農家は天災から守られる、豊作を得られる。寄進が必要だという仏土の論理に基づいていた。しかし、法然上人は『選択集』第三章本願章の勝劣義で念仏勝行説を主張する。これにより民衆側は寄進などの行為はいらないと理解することとなった。これが、旧仏教側の逆鱗に触れ、弾圧につながった。宗教的な概念が社会運動につながったケースである。

同様な行為は、日蓮聖人では熱原法難が良い例だが、宗教的自由は社会的自由に同じと考えている。現実に農民はお題目を唱えて殺されている。

江戸時代以降

現代の檀家制度は、江戸時代の名残である。全国民はどこかの寺院の檀家になり、戸籍を管理されることとなった。寺院が役所の機能を有していたと言える。結果、墓管理が寺院に一任されたし、荘園的な管理も、任され年貢を上げて貰う寺院もあった。

戦後、農地解放により、江戸時代より持っていた年貢的なあがりを失う。その上で檀家制度が残り、墓じちという状態が起こっている。

個人的考え

さてここからは、私の考えです。我々の檀家制度は旧仏教の年貢を貰う制度に極めて近い、日蓮聖人が生きていたら強く批判されると思うのです。

江戸時代に政府との関係でできた制度でもあり、忍性の鎌倉幕府を後ろ楯にした活動を批判した日蓮聖人の精神からかけ離れていないか?なんて考えてしまうのです。

檀家制度は日蓮宗的には必要でしたが、日蓮聖人の精神からはかけ離れている
このギャップの中でやっているのではと考えてしまっています。

檀家制度は悪ではないと寺院側は言います。会員制であり、手厚いサービスをしている自信があるからなのでしょうか?歴史的経緯で生み出されてきたものですから、我々は確かに悪くはないとも言えますが・・

しかし、日本国憲法の基本的人権の尊重からいうなら、生まれながら選択なしに檀家になっていて、質の良し悪しは運になる。確かに企業努力をしている寺院は、多いとは思いますが・・逆もある。

制度の由来に仏教的な要素は少ない。辛いがしっかりそれを踏まえていかなければなはない。

それを踏まえていれば、よりよくあろうとすべきだと考えるだろうし、それでも維持すべきと檀家にいわれる運営がでなければならない。

ここまで話てきて自分が大丈夫だとは到底言えない。それでも維持したいと思ってもらえる運営をしているのか・・檀家を維持するメリットなり、魅力なりがあるか?

さらには、墓じちでなくファンとして維持してもらえる存在になれているのか?

問われている。



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