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浮気

浮気と言っても本の話。積読だらけ、読みかけだらけなんですが…読んでしまう。

古本で買うのを基本としていて、出会う、考え買うが…本書は日蓮宗関係ではなく。母校の一つ二松学舎大学の教授が書いた本だからという理由で浄土真宗の研究の本を読んでみました。

『立正安国論』を読む前提として、同時代の法然浄土宗の姿やあり方を知るということは大切です。その点でも、本書は面白いのですが…

それ以上に教学と実践のギャップ。近代的なイメージとの違い。家族関係の難しさまで、色々考えさせられます。

こういう大きな視点で教学と教団史を研究し、整理してくれると面白いと感じます。

信仰に基づかない、都合でみない視点は個人的には大切だと考えています。

しばしは近現代的な価値観から、親鸞は呪術を完全否定した合理主義者だと論じられるが、そうではない。呪術による往生は否定したが、呪術そのものの効果については否定していないからである。親鸞やその家族らが生きた時代には、豊作祈願や病気祈願、臨終などの場面で呪術に依存するのは当たり前であった。親鸞らは、呪術を真向から否定できるような時代には生きていなかったのである。(255頁)

この視点は、釈迦の仏教の視点にも関わる。輪廻転生の思想は釈迦の仏教では基本である。ただそれがないと成り立たないとは言えないと佐々木閑先生は言う。

 釈迦は、「輪廻はある」と考える古代インドで、合理的に生きる道を思案した。だから彼の教えには輪廻の考えが入っている。当時としてはあたりまえのことだ。だが、現代社会では全く説得力がない。今、無理に輪廻を語ろうとすると、「必ず地獄に落ちるぞ」とか「今の不幸は過去の報いだ」といった脅し文句で人を縛り付けて、恐怖心で説得するしか方法がない。それは不幸の種である。では、釈迦の教えから輪廻をとってしまったら、なにが残るか。                                      残るのは、「努力によって精神を集中し、その力で智慧を獲得せよ。そうすれば必ず、世界を正しく理解できる。世界を正しく見ることができれば、利己的妄念から生ずる心の苦しみを消すことができる」という教えである。それだけが釈迦の発見であり、そこにこそ、仏教の現代世界に発信することのできる、普遍的真理が示されているのである。(62~63頁)

 我々日蓮宗でも同様で呪術的な考え方で仏教を捉えてきた時代があることは確かであるし、それを中心に据え教団は拡大してきたのは、歴史的な事実である。その点は否定すべきではない。

ただ、その考えが日蓮聖人の考えの中心だったのか?それが今この時代に適用できるのか?もう一度問うべき時が来ていないだろうか?肯定するにせよ、否定するにせよ。

さらに言うなら、時代という限界の中で、本来の釈迦の仏教を知り得なかったという事実を無視してそっくりそのまま現代にもって来てよいのか?

仏教なのか?宗派教なのか?見ないで済ますにしていないか?と個人的には考えていて…悩んでいる。

個人的に佐々木閑先生のスタンスが、好きであり、宗派人としては問題なのかもしれない。しかし以下の文章を読むと自分は納得するし、肯定しかできないでいます。

お釈迦様の教えは素晴らしいが、だからといって私は、釈迦を完全無欠な超人だとは思っていない。釈迦も我々と同じ人間。そのことは歴史的事実である。その釈迦の前でひたすらひれ伏し、その言葉や行いの、なにからなにまで、すべてを一切疑うことなく受け入れる、そういう生き方が正しいとは思えないのだ。                                                      この私の考えには、反発する人も多い。「宗教というのは、教祖様の言葉を理屈抜きに丸ごと信ずるものだ。それができないというのは、信仰がない証拠だ」、といった批判である。もし仏教が、「信仰で成り立つ宗教」なら、この批判は正しい。釈迦だって、時には間違うことがあったと考えている私は、けしからん不信心者である。                                   しかしそもそも釈迦の仏教は、信仰で成り立つ宗教ではない。仏教でも「信じなさい」とは言うが、それは、「釈迦の説いた道が、自分を向上させることに役立つ」という事実を「信頼せよ」という意味である。仏教の「信」とは、信仰ではなく信頼なのだ。この違いは大きい。(193頁)

この文章での釈迦を宗祖に置き換えて考えてみることも必要だと個人的には思う。それはするべきでないという意見もあるだろう。一度言われたこともある。(笑)

しかし、以前テンプルモーニングラジオでも話したが、個人的にはオウム真理教の件を思い出すと危険にしか感じない。妄信しないためには、神格化しないで見るという視点が必要なのだと思う。

その意味でも『浄土真宗とは何か』が与えてくれている刺激は大切だと個人的には思う。


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