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「この浮気ものめ」

ドッキリする表現だが、息子がテレビをガン見して食事が進まず嫁さんから、「彼女のテレ子ちゃん」と皮肉っている。

隣で笑っていると、あなたも「本こちゃん浮気ばかり!」と嫁さんに言わる。一冊を腰を据えてよんでいないと皮肉られた。

さて、では浮気性の私がつい先ごろ読み終わらせたのは?

細川晋輔老師から頂いた本書。どの文章も興味深いです。お書きになられた僧侶の皆さんは現代の名僧ともいえる方々です。

個人的には、細川さんの文章の中で出てくる「請う其の本を務めよ」という部分が象徴的だと感じました。ここでの「本」とは何か・・ある意味今回の不要不急という言葉と10名の僧侶が向き合う裏にある言葉でもあるなと感じたのです。

藤田一照老師も「自分にとっての不要不急を問うということは言い換えれば、自分の本当の欲求とは何かを再確認すること」(68頁)と述べ自己を問う行為を大切にしています。

阿純章師は「人生、何のために生まれてきたのかとよく言うけれども、本質的なことを突き詰めてみると、果たして人生に目的ってあるのだろうか。もしあるとすれば、それは生きることそのものが目的なんじゃないだろうか。」(93頁)と述べ、人生に目的があるかという問いを立てています。

自分はおそらく、「自己と向き合うこと」かな(笑)と感じます。私が行う読書会もワークショップもそのためにあるような気がします。他者という鏡と向き合うそこから己を見つめる。コロナ禍で見つめた本を改めて感じました。

ちなみに耳が痛かったのは、松島晴朗さんのことばです。

コロナ禍の中で、こんなときだからこそお寺の出番だ、とお寺でも新しい取り組みがたくさん発信されました。でも違和感を覚える取り組みも多くありました。自利発想でお寺の経済的な困難を克服するための取り組みが見え隠れする「ピンチをチャンスに」のアクションは不要不急です。           「ピンチをチャンスに」できない、ピンチで孤立する人たちのために、利他発想で救いに行く菩薩道、要・急の求道者でありたい。それこそがお寺が、僧侶が、お釈迦さまの教え、仏法を実践していくという必要緊急の役割なのです。(174頁)

経済的困難を克服するための活動は、しなかったものの、要・急の求道者であれたかと問われると・・・。それでもこの時代に向き合う過程で自分なりの答えは模索しています。

横田南嶺老師が述べる「夜は何もかも忘れて眠る。時には静かに坐ってみる、空を見上げて微笑む、野に咲く花を見て微笑む、そんな穏やかな時を大切にしたいものです。」(31頁)には深く同意するとともに、自己の実力不足を感じるひと時でもありました。

いずれにせよ「不要不急」という新たな仏教語、禅語と向き合う僧侶の葛藤の過程が見られる本書、僧侶の方にはもちろんですが、今という時代と改めて真摯に向き合いたい方々にもお勧めできる一冊です。







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