恋愛リアリティショーにみる現代の恋愛観
初めに
恋愛リアリティショーをご存知だろうか。
男女混合の複数人で共同生活を送る中で、男女ペアのカップル成立を目指すバラエティである場合が多く、元祖恋愛リアリティショーと呼ばれる「あいのり」も同じ形態をとっている。
「あいのり」は1999年〜2009年まで放送されていて、メインターゲットの若者のテレビ離れが主な原因で、放送終了となった。
近年、AbemaTVなど低予算で制作可能なインターネット番組で再び恋愛リアリティショーが盛り上がりを見せている。
「今日、好きになりました。」
「オオカミくんには騙されない」
「テラスハウス」
「バチェラー・ジャパン」
などが代表的な恋愛バラエティであろう。
本noteでは、上記のうち
「バチェラー・ジャパン」から現代の恋愛観を2つの観点から考察することを試みる。
第一にジェンダーの観点であり、
第二にエーリッヒ・フロム(1956).「愛するということ」の観点である。
①ジェンダー
本章では、バチェラー・ジャパンをジェンダーの観点から考察する。
その前に、読者はディズニープリンセスは物語が子供に美しい夢を与えると同時に、性にとらわれた社会的に模範とされる生き方を植え付けてしまっている懸念について聞いたことがあるだろうか。
プリンセスの人物像に変化があるとしても、社会において求められる女性像を描き出しているという点では共通している。(「アナと雪の女王」「モアナと伝説の海」など、当てはまらない作品も近年は見られる。)
ジェンダーの問題で最も批判的になったとされる作品の代表例として
『白雪姫』(Snow White and the Seven Dwarfs)
『シンデレラ』(Cinderella)
『眠れる森の美女』(Sleeping Beauty)
があるだろう。
これらの共通点としては、李修京, & 高橋理美(2011)は以下のように述べている。
第一に、女性の人生最大の幸せは王子(=理想の男性)によって達成される、つまり他力本願で幸福に対して受動的である人物像であること。第二に、男性優位の社会構造の中で、女性が社会的に力を得るためには権力を有する男性に選ばれる必要があることを反映していること。第三に、当時の社会的に良しとされる良妻賢母の女性像であること。
本題に入ろう。
筆者は、このディズニープリンセスへの批判点と共通することがバチェラー・ジャパンにも少なからずあるのではないかと思う。
第一に、男性の理想像がバチェラーに色濃く反映されていることだ。
社会的に成功し、富と権力を持っている。体を鍛えていて、ちょうど良い肉付きである。女性に対して紳士的で、常にリードをする。しかし、おっちゃめな一面も併せ持っている。顔に関して、いうまでもなくかっこいい。
多くの人が思い浮かべる理想の男性像はこうではないだろうか。ここでいう理想とは、自分の理想ではなく、社会的な理想である。
第二に、男性が女性を選ぶ、女性が男性に選ばれる、という構造である。
バチェラー・ジャパンは一人の男性(=バチェラー)と10人強の女性が共同生活をする中で、バチェラーが1人の女性を選ぶ、という構図である。
男性が女性をジャッジし、女性は選ばれるのを待つ、もしくは選ばれるように行動を起こすことになるだろう。
また、同系列でバチェロレッテ・ジャパンはこれに当てはまらない。
バチェロレッテ・ジャパンはバチェラー・ジャパンの男女逆転した構造であり、女性が複数人の男性の中から一人を選ぶというものだ。
しかし、これも本質的には変わりない。
どちらかの性が優位で選ぶ側と選ばれる側であること、選ぶ側には社会的な理想が反映されていること、今までのものと性が逆転しているところは違いつつも本質的な構造は一緒なのではないだろうか。
②「愛するということ」
「私たちの生きている社会は、購買欲と、たがいに好都合な交換という考え方のうえに立っている。現代人の楽しみとは、わくわくしながらショーウィンドウをながめたり、現金払いであれカード払いであれ、買えるだけの物はなんでも買うことである。そして誰もがそれと同じような目で人間を見ている。男にとっての魅力的な女性、女にとっての魅力的な男性は、自分にとっての「お目当ての商品」なのだ。ふつう「魅力的」という言葉は、人間の市場で人気があり、みんなが欲しがるような特質を「パッケージにした」ものを意味している。」エーリッヒフロム.(1956).『愛するということ』
これはフロムが第1章で現代社会の特徴として、言及したものである。
読者はこれを読んで、何を思うだろうか。
筆者は、心にくるものもありながら、現代の恋愛観やバチェラーに通ずるものが多くあると感じる。
魅力的であるかどうかをバチェラーが判断していく、つまり共同生活は長期的なウィンドウショッピングなのかもしれない。選ばれる判断基準については、「可愛さ」を代表に「人間性」なども加味されながらバチェラー自身が条件と照らし合わせて、最終的な総合評価の高い女性に購買の意思を示す。
判断基準については、その時代の流行に左右される。
女性は、お酒を飲んだりタバコを吸うなど、活発でセクシーな女性が魅力的だとされていた時代もあるが、現代はもっと家庭的で内気なタイプが好かれる。
もしかしたら、すでに流行が変わっているかもしれない。もしくは、社会全体ではなく、所属コミュニティでそれぞれ魅力的だとされる女性像は違うかもしれない。
男性においても同様で、大胆で野心満々な男性像が魅力的とされる時代もあれば、現代は社交的で寛容であることが求められているように思う。
つまり、筆者の言葉でいえば、バチェラーを代表とした恋愛バラエティにおける恋愛観は非常に資本主義的な原理原則の上に成り立っていると考える。
双方が合意し満足のいく選択のために、まずは市場調査から始まる。
自分の求める要素(=評価基準)にしたがって採点をし、最終的に評価の高い人(=目当ての商品)を決定する(=ウィンドウショッピング)。
そこから、相手に対して、ヒアリングを実施し相手のニーズを考え、それをもとに自分の強みを中心に自分を売り込む。
その結果、相手からOKをもらえて、交渉成立である。
最後に
拙い文章をここまで読んでいただき、感謝したい。
見返してみても、少し攻撃的だと感じるところもあるが、決して誰かを何かを攻撃したいわけではない。
恋愛観は人それぞれで、それは誰にも否定できるものではないと考える。
私自身も、現代的な恋愛観をかなり強く抱いていると自分でも実感する。
また、文書力や考察力を含めて筆者が未熟であるために、誤っている部分や誤解を招く表現などを含んでいるかもしれない。
もしあれば、優しく指摘してほしい。
参考文献
李修京, & 高橋理美. (2011). ディズニー映画のプリンセス物語に関する考察.
エーリッヒ・フロム.(1956).「愛するということ」.紀伊國屋書店出版
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