僕が今に至るまで
2020.02.23
19歳の夏、僕は万引きをして捕まった。
服飾専門学校が夏休みに入り、
弟の留学費用の足しに50万円を用意しようと朝晩毎日工事現場で働いていた。
お腹が空いてもおにぎりを買うお金が無かった僕は、コンビニ店員の目を盗んでおにぎりを持ち去った。
コンビニを出た直後、
後ろから来た店員さんにグッと肩を捕まれ、その後パトカーに乗って警察署に行った。
やってはいけないと分かっていながら自分自身を止められず、親を泣かせた僕は、
自分を見失った。
書店の本にすがりつき、“自尊心”という言葉を覚えた。
自問自答を繰り返すうち、小さい頃に父から言われた
「自分がされて嫌なことはするなよ。」
という言葉が僕の指針になった。
「もしも自分が相手の立場ならどうか」
自分が行う全ての行動にそう問うた。
一年くらいしているうちに、少しだけ自尊心というものの感覚が分かるようになった。
そんな折、
僕は研修旅行で青森の縫製工場を伺った。
その時の工場長の顔が、僕にはとても悲しい表情に見えた。
そして、ファッション業界の生産現場にある闇を知るようになる。
「もしも自分が相手の立場ならどうか」
1年間、自分の全ての行動に対して問いかけ、少しずつ改めてきた。
でも、今僕が学び生きようとしているファッションの世界自体が、弱者のたくさんの犠牲があって初めて成り立つ業界であることを知って、
僕は絶望した。
情けない話、
現実逃避がちな僕はその現実をうやむやにして勉学に逃げた。
就職活動を控え、ビジネス番組を漁っていた僕は、当時創業2年目だったその会社の存在を知る。
まだ正式な社員は代表1人だけの状態だったが、
企業研修をお願いすると快く引き受けてくれた。
「ここなら自信を持ってファッションの世界で生きていける。」
そう確信し、研修期間後もインターンシップをお願いした。
学校に「就職活動」と称して公欠届けを連日提出しながら働き続けた。
その頃から、生活習慣が乱れ身体が壊れ始めた。
睡眠障害を発症し、数年前に完治したはずのてんか発作も再発した。
毎日同じようなミスをし、言語化が出来ずコミュニケーションに不自由し、働く目的も曖昧だった為、
正社員登用のプレゼンは毎度全く話にならなかった。
「今回が本当に最後だよ」と言われた5度目のプレゼンも不採用に終わった。
そして、自分が発達障害であることを知った。
なんとか学校を卒業し、僕はアルバイトとして入社をさせてもらえることになった。
数ヶ月後、社長の計らいで契約社員に成り名古屋へ転勤となった。
そこでもミスは絶えず逃げたくなった。
毎週休日に静かな喫茶店にこもって一人自問自答をひたすら繰り返す。
そのうち
「もしも自分が相手の立場ならどうか」
という問いは、
「もし自分がその生き物だったら-」
「もし自分が地球だったら-」
という視点の問いになっていった。
その視点から、
自分がされて嫌な事は(出来る限り)しない。
する人は、される人。されたのは、してきたから。
と考えるようになった。
その結果、苦しみが増えた。
ファッション業界が地球環境に与える悪影響が凄まじいからだ。
苦しみから脱れるためにがむしゃらに働き、
がむしゃらに働いては生活リズムを乱し、
リズムを乱しては身体を壊しミスを連発する。
負の連鎖に陥いった自分に限界を感じ、ようやく気付いた。
本質的な幸せから湧き出るエネルギーでないと行動は続かない。
ちょうどその頃、名古屋店にきた新店長の言葉が印象に残った。
「ダサい格好の店員に服売られたくないですよね。」
僕への言葉ではなかったが、とてもドキッとして、
その日から「おしゃれな人とは」と考えるようになった。
学生時代の友人の記憶や、街角でふと目についた魅力的な印象の人を観察しては、
「どうして僕は魅力的だと感じたのか」
と問うていくうち、
魅力的な印象を生み出す方程式のようなものを発見した。
そして、その背景にある独自の人間味を知ることに、自分が幸福感を感じていることに気付いた。
この業界から受ける苦しみの原因を解決するために、
この幸福感を上手にエネルギーに変えていけないだろうか。
そう考えて、いま僕はコーディネートを行なっている。
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